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スイカと鳩: ひとりの小さな平和活動

「そのスイカ、好き」

フィラデルフィアの街を歩いてるとき、店で買い物してるとき、こちらの眼を見ながら、私の胸のブローチを指し誰かしらそう話しかけてくる。皆、声を上げずに。

「写真撮ってもいい、スイカ?」遠慮がちに聞いてくれる。

それだけで、自分たちが同じ思いで繋がっているのが伝わってくる。

「スイカ」はパレスチナの国旗の代替。その土地で栽培され、国旗と同じ赤、緑、白、黒の色合いだ。

国旗の掲示が違法とされた1967年以来、「スイカ」はそれに代わって人々を結んだ。93年に禁止は解除されたものの国旗への攻撃は止まなかった。それで「スイカ」は生き残った。

昨年10月のイスラエルに対するハマスの攻撃をきっかけに始まったパレスチナへの反撃は、何万人もの死傷者が出ていながら未だに続いている。

そこで抵抗のシンボルとしての「スイカ」は蘇り、広く使われるようになった。

私の胸の「スイカ」を見て、ヨソを向く人もいる。

その反応で、このシンボルを胸にする自分がパレスチナ側、即、反イスラエル側ととられてしまったのかと思いめぐらす。

「そうではないのです。わたしの気持ちはパレスチナ側でもイスラエル側でもなく、ただ一刻も早く戦闘がやみパレスチナに平和が訪れてほしいのです。」

その思いを伝えたくて、平和のシンボルのハトのブローチも、スイカと一緒につけることにした。カンボジアで弾丸の「殻」を溶かしてつくられたものだという。

実は、わたしは国旗という国旗はどの国のでも近しい気持ちがわかないのだが、「スイカ」には愛着がわく。

だからこれを私の小さな平和活動にしよう。停戦の日のくるまで、毎日必ずスイカと鳩を胸につけよう。

戦争を止めることができなくても まず自分が、世界のどこかであってはならない戦争に何の力もない人たちが巻き込まているのを忘れないように。



つか子と「あの人」 (創作大賞2024応募作品) をお読みいただければ、とても嬉しく思います。ありがとうございます。

『昭和40年代:学生村のはなし』『クエーカーのふつうしないこと:拍手』『アフリカ系アメリカ人:一瞬たりとも』『明治の母と昭和の娘』 『本当の思いを云わ/えない本当の理由』 『伝統ある黒人教会のボランティア』   『スッキリあっさりの「共同」生活』 あわせてお読みくださったら感謝です。


「つか子と「あの人」











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