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明治の母と昭和の娘
明治生まれの母から「がまんしなさい」という言葉を聞いたことがない。
「がんばって」それもない。それどころか「『がんばって』と人に言うのは自分はきらいだ」と母がはっきりいうのは聞いた。人が自分で勝手に?がんばるのはかまわないそうで、他人が「がんばれ」と言うのはお門違いだというのだ。
したいことは何でもさせてもらった気がする。「子供がやりたい」と言ったら「その時やらせなくちゃ、半年後ではもう子供の気持ちはどこかいっちゃっているだろうから」というのだ。
昭和生まれの娘はそれに同感とは言えない。半年そこらで気持ちがどこかにいっちゃっているくらいなら、本気でやる気とは言えないだろうから、やらせなくてよかった、時間もお金もエネルギーも無駄 せずに。これは理屈に合う。
ただ、このむだというのも、この母に言わせると、人生でむだなことは一切ないと言い切るのだ。これは何度も聞いた。娘はそれを信じたいのだが、自分の人生をふり返るとむだをずい分やった気がする。命あるうちに、いつか母の言ったことを信じられるようになりたい。
自分がしたいことで母親にさせてほしいと頼んだその当人の娘がさせてもらってびっくりしたことがある。高校に通っていた時のことだ。
高校の校舎は、家から、徒歩、バス、電車、乗りかえ電車、その降りた駅から山道かけ足で一時間ちょっとのところにあった。ある日、昼休みに小冊子を読んでいたら、急に精神!が高揚して!、当たり前のこの教室の決められたこの席になどすわっていられないと心が騒ぎ、事務所まで行って家に電話をかけてもらって、母にその気持ちをそのまま告げた。
「ここを今すぐ、とにかく出たい」と言ったら、なんと母が即「わかった。それなら帰っておいで」と言ってくれた。おなかが痛いとかじゃない、一冊の本を読んで「感動のあまり」平凡なふつうの教室になどもう一分とすわっていられない、そう思っただけのことだ。
こんなことをゆるす母親がどこにいるだろう。母親が逝ってから20年余り、今思うと、そのときの母親は、まずサッと娘の心の中に入って自分が娘だったらそうしたいだろうと感じてそう答えたのだろう。常識ある世の中全体はどこかにおいといて。
「やんなざっせ、やんなざっせ、なあんでも好きなように、やんなざっせ」どこからか母の博多弁が聞こえてくるようだ。
(長野ゆうほ著短編「地球自転の音のない音」の補足;昭和40年代に青春を過ごしたつか子のストーリー)
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