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アフリカ系アメリカ人・一瞬たりとも

一瞬たりとも
フィラデルフィアに着いて初めの頃、「アメリカで驚いたことは?」と聞かれていたなら、同じコースを取った教室でのクラスメートの一言を言っただろう。「物心ついてから、自分が黒人だという意識なしでいたことは一瞬もない。」
 
りんとした態度、その表情。あたりは、数分、静まり返った。周りにいた、つか子も大勢の白人のクラスメートの誰も、しばらく声が出なかった。「一瞬たりとも。」つか子は、同じ、非白人であっても、全ての権利を剥奪はくだつされ奴隷として無理矢理連れて来られた祖先をもつ彼女と、好んでアメリカに来たのでは、出発点が違う。
 
背も高く、周りの皆に敬愛の念を抱かれていた今は亡き黒人の友人の言葉だが、彼にとっては「目立つ」というのが痛みでなく、自分の存在が、まるでそこにいないかのように「見えない存在」なのが痛みだと。

別の女友達は、「どうせ、人の目に立つのだから、その向こうを張って、思いきり派手で、目立つ服をまとうようにしている」と教えてくれた。彼女は、朝、息子を送り出す時に、その日、無事に帰ってくることを、心の底から祈る。黒人の若者は、家を一歩出たら生きて帰ってこないかも知れないという可能性が、大げさでなく、現実の問題としてある。そして、子供たちに、警官との対応をしっかりと教えておく。日本で、親しみを込めて「お巡りさん」と呼んだ時代に育ったつか子には想像を超える。
 
彼女の夫は、背がこれまたすこぶる高い、ハンサムで教育もあり、市で重要な地位に就いている人だが、子供の時から、「自分は、白人に、脅威きょういを与えない穏やかな印象を与えるよう、ソフトスポークンに努めている」と、あるとき言った。「生き残るために」そう言葉を続けなかったが、その意味は明白だった。

思えば、あと二人、同じく高い教育を受けた黒人男性の友人たち、同じように、物腰が柔らかい。それは彼らの本性なのか、子供の頃からそうなるよう努めた結果なのだろうか。この夫婦は、退職後はハワイに移住する計画で、毎年二週間はハワイで過ごしている。

アジア系の自分
ここ、アメリカ六大都市で、アジア人の顔をしているつか子は珍しくない。ただ、行くところによっては、「ああ、ここでも、自分一人だけ、白人でない」ということはある。正直に言えば、会場などに入って、自分の頭の中で、人を数える癖がついた。つか子は、「あっ一人私のような人がいる、黒人はゼロ。。。」といったふうに。自分でもいやな癖だと思ったのだが、反射的にそうしているので、やめられなかった。

ただ、つか子にとってそういった意識は、四六時中ではない。その意識が、一瞬たりとも自分を離れない。。。それは、どんなにしんどいことだろう。つか子の場合、自分が少数だと言うのを忘れられる時が随分とある。この社会に入った歴史が違うから。彼女には、一瞬たりとも忘れさせない社会が、歴史がある。
 
アジアの顔をしているつか子が出会う人は、人によっては、つか子の存在を、無視できる存在、いくらか、ミステリアスな存在、どうでも良い存在、脅威を与えない存在、つか子は、とおにそんな歳を過ぎたが、特に若い女性だと、いくらか興味を惹かれる存在。それが、黒人なら、白人にとって、そういったさまざまな反応のある前に、その関係が歴史的に位置付けられてしまう。

コロナとアジア人差別
米国では、コロナの後、ホームレスが12%も増えたと言う。コロナを元大統領が「チャイナ・ウィールス」と呼んだ。そのせいか、コロナ下の米国では、アジア人差別、迫害といった問題が急激に増えた。
 
つか子は、今まで、アジア人の自分が「見えない存在」であることの痛みはあっても、迫害の対象になったことはほとんどなかった。それが、「一夜明けて」、その対象となったという認識に驚かされることになった。ある日、つか子が一人で買い物に出かけたとき、向こうからつか子に向かって歩いて来る人が、自分に何か言っているのだが、聞こえない。すれ違った瞬間、その言葉は、「帰れ!帰れ!お前のウチに帰れ」だとわかった。

ハッとして振り返ったが、向こうはそのまま歩き去った。何か言い返すにも、ショックで声が出なかった。つか子はアメリカにもう四十年以上住んでいた。人生の半分をとおに超えていた。もし声が出たとしても、つか子に何が言えただろう。
 
真珠湾攻撃の年に十六歳だった日系二世の友人の話を思い起こした。シアトル沖の島で、農業を営む両親と住んでいたのが、いきなり、家族ごと砂漠地の収容所に移された。アメリカ人として生まれ育った自国でこの仕打ちにあった彼女が、その時の衝撃や困惑、無念さや悔しさを語ってくれたのだが、つか子は、その時それを他人事としてしか聞いていなかったのが、自分にも小さなスケールで降りかかった今になってわかる。
 
つか子が「お前のウチに帰れ!」と言われたその日から、一人で外出していると、夫は「K?(大丈夫か)」とテキストするようになった。



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つか子と「あの人」:プロローグ1〜6

つか子と「あの人」 (創作大賞2024応募作品) お読みくだされば大変嬉しく思います。

エピローグ: つか子と「あの人」 (つか子と「あの人」 の続き)


新作品: 『救急車のサイレン』    『みじか〜い出会い・三つの思い出』 
     『夫の質問:タンスの底』  『外せないお面』 

『昭和40年代:学生村のはなし』『クエーカーのふつうしないこと:拍手』『アフリカ系アメリカ人:一瞬たりとも』   『明治の母と昭和の娘』
『本当の思いを云わ/えない本当の理由』 
『伝統ある黒人教会のボランティア』  
 『スッキリあっさりの「共同」生活』 


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