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昭和40年代:学生村のはなし 長野県

故郷 ふるさとのない都会の学生のうちどのぐらいが学生村とんだ長野の山村などで夏休みをすごしたのだろうか。

新宿から電車を乗りつぎ乗りつぎ、降りた駅からはバスで50分。たどり着いたのは、山あり清い水の流れる川あり、ひと昔前までは かいこを育てていた作りの良い家々がぽつんぽつんと一国一城 いっこくいちじょう風情 ふぜいで見られる村だった。

それぞれの家には名前があり、「与五郎山 よごろうやま」の ぬしは、有線ラジオで短歌などを矍鑠 かくしゃくとした初老の人。

その屋敷 やしきの階下の座敷 ざしきは学生たちが集まる格好 かっこうの場所だった。以前 かいこ 部屋だった二階は小さく区切られ男性だけに貸してあった。その一部屋一部屋には源氏 げんじ きみの愛した女性の名前がつけられていた。 むらさき うえ藤壷 ふじつぼ夕顔 ゆうがお。。。

かわれていたウサギは夏中、学生たちの良い遊び相手になった。二ヶ月の間その村をはなれたのは、近くの町に花火祭りがあった時、暗くなるころトラックのうしろにおおぜいで乗りこんで出かけた。あるとき村人たちと学生との間でバレーボールの試合があり、学生たちは村の女性ばかりのグループに完敗 かんぱいして くやし涙をのんだ。

集まった学生の中にはもう大人 おとなと言える文学青年らしき人もいれば、大学に入ったばかりの元気いっぱいの女子学生もいた。あるとき、文学青年が彼女に聞いた。「世の中、何かこわいものある?」「ううん、なんにもない」とほがらかに即答 そくとう。「僕はそういう人がこわい」。

朝昼晩は、山菜 さんさいや新鮮なやさい豊富 ほうふの食事だった。あすは皆引きはらって都会に帰るという晩。「与五郎山」では、ごちそうの山菜 さんさいがならびそのまん中にうさぎ肉。敬愛 けいあいする主が自分のウサギを犠牲 ぎせいにしてくれた心持ちを思う気持ちと かわいがっていたウサギを いた む気持ちとの間で学生たちの心情 しんじょうはゆれた。それが最後の晩餐 ばんさんになった。

     兎追いしかの山 小鮒 こぶな釣りしかの川  
        夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
     (岡野貞一作曲 高野辰之作詞 童謡「ふるさと」)
 
(長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」第一章の補足 ほそく ;昭和40年代に青春を過ごしたつか子のストーリー)

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