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「誰かに必要とされたい」地域活動から離れられない新卒です。

私は勉強が対してできず、運動も苦手。
コミュ力が高いわけでもなかったので、小学生の頃から、私の得意なことってなんなんだろうという疑問を抱えてきた。
自分の得意なことを活かした仕事をして、必要とされる人になりたかった。誰に必要とされるのか、は特に考えていなくて、「なるべく多くの誰かに」と考えていた。

なので、自分が必要とされる場所をずっと探していた。いろんな習い事や学校行事に積極的に参加した。そのうち、行動力がある人、という強みができた。

そして高校生の時、学校を飛び出して、自分が住んでいた隣の市のまちづくり活動に参加した。
そこで、自分のまちをよりよくしたい、自分の暮らしをよりよくしたい、というモチベーションをもってバリバリと地域活動に邁進する大人たちに出会った。
こんなかっこいい大人たちに「高校生でこんなに行動できてすごい」と褒められた。
かっこいい大人たちに褒めてもらえて嬉しかったので、かっこいい大人に近づくためにまちづくりを学んでみようと思った。

東京の大学でまちづくりを学びつつ、大学3年生の時からとあるコミュニティスペースに入り浸り、地域活動に邁進した。地域活動に邁進するかっこいい大人たちに、「学生なのにちゃんと活動に来て偉い」「地域のことをちゃんと考えていて偉い」と褒められた。
正直、活動に行きたくない、面倒くさい時や、
活動のなかでミスをして大人に迷惑をかけて、「自分ってほんとにダメだな、死にたい」と思うときもあった。
それでもきちんと迷惑をかけたことを謝って諦めずに活動を続けていれば、また褒めてもらえた。 
地域の人たちと積極的にコミュニケーションをとるうちに、コミュ力が高い人、という強みができた。

地域の中で若者は必要とされる。
行動力があり誰とでもそれなりにコミュニケーションがとれる意欲の高い若者は、地域の担い手候補として必要とされる。
私は必要とされる人になれている感覚に溺れて、地域活動に邁進した。

就職した今も、仕事として地域に関わることをしているので、積極的に地域活動をしている。
地域活動はお金にならないし、なにかわかりやすい特定のスキルが身に付くわけではないので、私は恐らく社会的には市場価値がないし、必要とされていない。

でも地方のどこかでは、地域に若い担い手がいなくて、地域おこし協力隊を募集している地域がある。
若い意欲の高い、まちのためになる活動をしてくれそうな若者を求める場所がある。

都会で市場価値がないのなら、いまの私が必要とされる地方に行った方がまだ幸せかもしれない。
誰かに必要とされている、役に立てているという実感は、地方の方が感じやすい?

そういうわけで、私は地域活動に邁進したし、これからも地域に関わっていくだろう。


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