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教員生活が始まる前(大学生活前編)

現実と自信が持てない自分

いよいよ大学生活のスタート

「学校の先生になりたい」という目標、具体的には「英語の先生になりたい」という目標を明確に持てた中での大学の授業が始まった。

1年目は、専門の授業よりは共通科目の授業を受けることが多かった。社会に関すること、食に関すること、もちろん英語の授業もあった。

いくつかの中から自分の興味のある授業を選ぶこともでき、「自分で受けたい授業を選べるなんて、大学すごいな」と思った。

共通科目の中にあった英語の授業で、オーストラリアの先生の授業が今でも印象に残っている。

日本語を全く話さず、活動の説明も全部英語だった。(おそらく日本語を話せるのだろうとは思うが、不明だった。)

英語での説明が分からないこともあったが、活動自体はそう難しいこともなく、周りの人と確認し合いながら進めることができたので、特に問題はなかった。

この授業にはペーパーテストがあり、自分の持っている知識を使って全力で解き、返却されたときの驚きと戸惑いは今でも忘れられない。

✓が多く、〇が少なかったのだ。

一瞬、「めっちゃ間違ってる」と思い、戸惑い、落ち込んだ。しかし、外国では「正解を✓、不正解を〇」で印付けるということを後で知りホッとしたのと同時に、文化の違いに大きな驚きと発見があった。

また、今まで日本の教育で受けてきた習慣との違いを知ったとき、「中学校や高校での英語教育は本当に『英語教育』なのだろうか」というちょっとした疑問を持った。

共通科目の授業以外に、選択科目の授業では自分の所属する学部の授業から選択することができた。

もちろん、英語の授業を選択するのだが、イギリス文学、アメリカ文学、英語学、古代西洋史、英語コミュニケーション、英米文化など種類が多く、聞きなれない言葉があり、どれを選ぶかかなり迷った。

「どんな授業なのだろう」と選んだある授業に初めて参加したときも衝撃だった。

これもアメリカ人の先生の授業で、話も説明もすべて英語。もらう資料もすべて英語の文章。さらに、その先生のしゃべる速さも今まで聞いた英語よりもはるかに速く、専門的な語句もあり、あきらめた。

なぜその授業を受けるのをあきらめたのか、それは自分に自信が持てなかったからだ。

小学生の頃から英語に触れ、中学校や高校でも英語の学習に努力してきたつもりだったが、それはいわゆる「受験のための英語」だったと気づいた。

それから、大学が設けていた無料の英会話コーナー(英語のネイティブの先生と少人数で英会話する場)があることを知り、とても気になり参加してみた。そこでも、厳しい現実に出合った。

先生から与えられた会話のトピックは理解できたのだが、それに関する自分の考えを英語でなかなか表現できなかった。

全く話せなかったわけではなく、自分の知っている単語や文法を使って2~3文で話したくらいだった。参加していた人(一つか二つ先輩であろう)の中には、流暢に自分の考えを英語で話している人もいた。自分に不甲斐なさを感じた。

英語の先生になる前に、「海外への留学」という言葉も頭の中にあったが、今の自分の能力では通用しない、自信が持てない等の理由で、トライする気持ちはなかった。

人生で初めて居酒屋でバイトを始めた。しかし、社会の現実・厳しさやそのバイト先での理不尽さを感じ、2ケ月ほどで辞めた。

大学生活1年目の当初は、今までとは違う現実を目の前にし、自分の能力に自信が持てないと感じることが多かった。

地道な継続で、少しずつ自信を取り戻しに

そんな気持ちで過ごしてはいたものの、もちろん楽しいこともあり、少しずつ自信を取り戻していった。

理解に苦労する授業もあったが、何とか最後までやっていけそうな授業は参加し、単位をもらえた。

英語の授業や課題レポートなども通して、少しずつ知識や専門用語などを覚えていった。

上記で紹介した大学の英会話コーナーにも時々参加したり、英語の少しずつアウトプットのスキルを磨いていった。

そう積み重ねをしているうちに、英語にも自信が持てるようになり、英語だけで進む授業、英会話の授業にも参加した。英語の力が身に付いてきていることも少しずつ実感できた。

居酒屋のバイトは2ケ月ほどであきらめたが、次に、中学校まで通っていた学習塾の塾講師としてバイトを始めた。

英語や国語、数学などの教科の担当を持ち、教えることに対してのスキルを伸ばし、また教えることの楽しさを感じていった。

その塾では同じ大学生でバイトしていた同僚もいたり、中学当時お世話になった先生もいたりして、楽しく仕事をすることができ、大学卒業まで続けた。

音楽に興味を持ち、バンドサークルに入り、初めてベースを弾き、コンサートにも出演した。
練習やそのコンサートを通して、先輩方から成果を認められたり、自分の楽しみを見つけていった。

大学での友達も増え、一緒に勉強を頑張ろうとしてくれた友達、趣味の多い友達、共通の趣味を持つ友達、高い理想や目標を持って前進しようとしていた友達にも出会い、多くの刺激があり、自分を鼓舞してくれた。

大学の第2言語の授業は、「フランス語」を選択した。
そのフランス語の授業や海外の文化・文学に関する授業で、言葉の難しさも感じていたが、新しいことを知り、外国の現地のことや外国の文化にも興味を持つようになった。

振り返ってみて

  • 中学校や高校での英語の授業(英語だけではないが)のシステムややり方は変わらないといけない。単語や文法を覚え、長文が読めるようになり、点数を上げるだけでなく、英語を使ってお互いの考えを共有し、自己表現する場を設けることも必要だ。また、「受験やテストのための学習」という性質を変えないといけない。

  • 自分が置かれた場所で、どんな経験をしたか。それが、人との出会い・つながり、視野の広がり、努力が報われていくこと、自分の目標に近づいていくことなどに関連し、生きる意味を与えてくれる。失敗ももちろん付いてくるが、そこからどう改善し、学び、前進していくかのチャンスを与えてくれる。

  • 人生は苦楽の繰り返し。

  • 継続は力なり。


◆To be continued.(大学生活後編)


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