舞台 「ワタシタチはモノガタリ」 観劇レビュー 2024/09/14
公演タイトル:「ワタシタチはモノガタリ」
劇場:PARCO劇場
企画・制作:PARCO PRODUCE 2024
作:横山拓也
演出:小山ゆうな
出演:江口のりこ、松岡茉優、千葉雄大、入野自由、富山えり子、尾方宣久、橋爪未萠里、松尾諭
公演期間:9/8〜9/30(東京)、10/5〜10/6(福岡)、10/11〜10/14(大阪)、10/18〜10/19(新潟)
上演時間:約2時間35分(途中休憩20分を含む)
作品キーワード:ラブコメディ、青春、脚本家、舞台美術、笑える
個人満足度:★★★★★★★★☆☆
演劇ユニット「iaku」の主宰であり、『モモンバのくくり罠』(2023年12月)では今年(2024年)に第27回鶴屋南北戯曲賞を受賞した横山拓也さんの新作書き下ろしを「PARCO PRODUCE 2024」で観劇。
演出は、劇団四季『ロボット・イン・ザ・ガーデン』(2020〜2021年)や、『ビロクシー・ブルース』(2023年11月)などの演出を務めた小山ゆうなさんが担当している。
私は横山さんの脚本作品は「iaku」公演では『流れんな』(2024年7月)など近年では毎度のように観劇しており、プロデュース公演でも『う蝕』(2024年2月)などを観劇している。
今作は小説家を目指す肘森富子(江口のりこ)と15年間文通した中学時代の同級生である藤本徳人(松尾諭)との物語である。
舞台は富子が大学を卒業する時に徳人に対して手紙を書くシーンから始まる。
富子は大学時代にずっと小説家を目指して色々なコンクールに応募したが選ばれることはなく夢を叶えられずにいることを綴る。
そしてお互いに30歳になるまで独身だったら結婚しようと冗談まじりに書く。
徳人もその手紙に対する返事で出版社に就職することになったことを書き、冗談まじりで結婚の約束をする。
しかし二人が30歳になった時、徳人は藤本真里奈(富山えり子)と結婚することになる。
徳人の結婚式で富子は久しぶりに徳人と再会する。
30歳になった徳人はビジュアル的には少し残念な感じになっていた。
しばらく経ったある日、出版社に勤める徳人は妻の真里奈や娘のこよみ(橋爪未萠里)がハマっているケータイ小説『これは愛である』の存在を知る。
そのケータイ小説は、その著者の体験をベースにしていて15年間文通していた男女の物語だというのだが...というもの。
横山さんの演劇作品は数えてみたら今作が10本目の観劇となるのだが、いよいよ横山さんが新たな境地で大成功を収めたのだなと確信出来るほどの見事な出来で素晴らしかった。
長年横山さんの演劇を観劇してきた私にとって、最近の横山さんの戯曲にはそこまで強く心惹かれなかった。
横山さんの劇作家としての腕のピークは、『逢いにいくの、雨だけど』(2018年初演)や『あつい胸さわぎ』(2019年初演)だと私は勝手に思っていた。
しかし、今作は脚本の仕上がりとしてもその二作に匹敵するくらい面白かった上、小山さんの演出もあって商業演劇として一つの集大成を観た気がした。
まず脚本に関しては、横山さんが得意とする学生時代の青春ラブストーリーと大人になった現代の物語を交錯させることで誰もが共感出来るような物語に仕立てている上、劇中劇として小説の中の登場人物と現実世界の登場人物が対話することで、演劇でしか表現出来ない描写を違和感なく作り出している点に魅力を感じた。
また少しネタバレになってしまうが、昨今『セクシー田中さん』での一連の事件で問題視されている原作者が商業性によって搾取されてしまう問題を上手く取り扱っていて、原作を大事にする劇作家だからこそ描ける作品で等身大の脚本のメッセージ性に説得力があると感じた。
やはり横山さんは、AI、LGBTQなど昨今のトレンドを脚本に無理に嵌め込もうとせずに、人間の心の奥底にある普遍的なテーマで等身大の戯曲を書くことの方が向いているのではと感じた。
また、最近ではコミカルな会話を戯曲に入れることも増えているが、今作はそれが一番無理なく機能しているように感じ、笑いを誘うセンスなども抜群に素晴らしかった。
そしてなんと言っても演出が素晴らしくて、横山さんでは出来ないであろう演出的アプローチで、横山さんの戯曲の素晴らしさを最大限に引き出せているように感じた。
中央にある巨大なL字型の舞台装置の中で表現される劇中劇は、映像なのか現実なのか分からず錯覚させる手法が、脚本の中の世界と現実の世界とを曖昧にしていて演劇での良さを最大限に引き出していた。
あの演出手法を観た観客の多くがその素晴らしさに引き込まれるに違いない。
さすがは劇団四季で演出を担当するくらいの方だなと感じた。
役者もとても豪華で素晴らしく、江口のりこさん、松岡茉優さん、千葉雄大さんといった著名人もハマり役で素晴らしかったのだが、特に良かったのは松尾諭さんと橋爪未萠里さん。
松尾さんのひたすら関西弁でツッコミを入れる感じのテンポの良さは今作のコメディシーンを形作る上で欠かせない存在で、彼の演技によって劇場の空間が和んでいるように感じた。
橋爪さんは横山さんの作品には欠かせない役者だが、今作でも橋爪さんが演じる脇役だからこそ脚本の面白さが何十倍にも助長されるシーンが何度もあって素晴らしかった。
横山さんと小山さんのタッグは、今までの横山さん作演出では辿り着けない新たな境地へと導いた気がして、横山さんの戯曲ファンである私にとっても嬉しかった。
U-35、U-18チケットもあり予習も不要で親しみやすい作品だと思うので、幅広い観客にぜひ観て欲しい。
↓ティザー映像
【鑑賞動機】
横山拓也さんの新作書き下ろしだからというのが観劇の最大の決め手。最近では横山さんは色々な演出家とタッグを組む機会も増えてきたが、個人的には『う蝕』(2024年2月)での瀬戸山美咲さんとのタッグはピンと来なかったので、小山ゆうなさんとのタッグは果たしてどうなのかと恐る恐る観劇した。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
肘森富子(江口のりこ)が姿を現し手紙をしたためる、手紙の宛先は中学時代の同級生の藤本徳人。大学を全て単位が取り終わったので卒業することになったと手紙で告げる。しかし、大学時代に小説家デビューをしてやるという夢は叶えられそうになくて悔しいことも綴る。そして、もしお互いに30歳になっても独身で居続けたら結婚しようと冗談まじりで書く。
その手紙を藤本徳人(松尾諭)は受け取る。小説家デビューに早いも遅いもないから大学卒業してからでも夢に向かって頑張れば良いと励ましの言葉を書くと共に、徳人自身は出版社に就職することになったと書く。そして
富子からの30歳になってお互い結婚しようという文面に、冗談まじりで適当な返事を書いておく。
富子は妄想する。ヒジリミコ(松岡茉優)とフジトリヒト(千葉雄大)という小説の中の二人の男女が結婚するのを。結婚式では定番のメンデルスゾーンの『結婚行進曲』の音楽と共に、二人が末長くお互いを愛し合うことを誓う。
しかし、現実の世界ではそんなロマンチックなことは起こらない。藤本徳人は30歳のタイミングで藤本真里奈(富山えり子)と結婚することになる。富子は徳人の結婚式に呼ばれて15年ぶりに徳人と再会するのであった。しかし、徳人は随分と30歳にしては老け顔のおじさんになっていた。
富子は徳人と同じ中学時代の文芸部の同期の西谷ひかる(橋爪未萠里)と一緒にいる。西谷も久しぶりに徳人に会ってみたら残念な感じになっていたよねと本音をぶっちゃける。そこに当時の文芸部の顧問の先生である大江田三郎(尾方宣久)が通りかかり、西谷はすかさず挨拶に行く。
富子は結婚式が終わった後に、徳人に会いに行く。お互いに15年間文通はしていたけれど実際に会うのは久しぶりだねと会話する。富子は、手紙にお互い30歳まで独身だったら結婚しようと書いたことを告げる。すると徳人はそんなの覚えていないと言う。富子は手紙に書いたよなんで忘れたのと冗談混じりに会話するのだった。
中学時代の学校の教室で、文芸部の顧問の大江田先生は今日から夏休みに入るから3年生は引退だねお疲れ様でしたと言う。そして徳人の方を見て、何か言いたいことがあるみたいだねと言って彼を壇上に上がらせる。すると徳人はフジトリヒトになってイケメンになっていた。西谷はあの徳人がイケメンになっていたのでびっくりし、これはおかしいと言い張る。フジトリヒトは親の仕事の関係で東京に引っ越すことになったと言う。そこへ肘森富子も壇上に上がる。すると富子も富子ではなくヒジリミコになっていた。西谷はさらに大騒ぎする。こんなに二人が美男美女ではなかったはずだと。
富子と徳人が二人で話している。そのバックには、フジトリヒトとヒジリミコがいた。二人とも少し名残惜しそうにしながら、富子は徳人が東京に行っても元気でやって欲しいとお互いエールを送る。富子は去っていく徳人を一度呼び止める。富子は徳人の東京での住所を教えて欲しいと言うが、フジトリヒトとヒジリミコはお互い抱きしめあっている。徳人は長い住所なんだと住所を読み上げる。
そこから15年もの間、徳人と富子はずっと文通していた。富子は徳人の顔やビジュアルは好きではなかったけれど、彼の書く文章は好きだったと言う。沢山の文字たちがまるで雪のように降り頻る映像。
出版社で働く徳人は、同僚の白山健(尾方宣久)と話していた。白山の担当する小説家には売れそうな人もいてチャンスがありそうなのだが、徳人の担当する小説家はどの人も売れそうになく仕事にもやりがいを感じてなさそうだった。
徳人は家に帰る。家には妻の真里奈がいた。真里奈は最近ハマっているケータイ小説の『これは愛である』を知っているかと徳人に尋ねる。徳人はケータイ小説なんて読まないから知らないと答える、そんなネットの世界で流行っている小説まで追えないと。真里奈は出版社で働いているのに知らないの?というリアクションをしながら面白いから是非と布教していた。徳人は、ケータイ小説よりも川見丁子という女優のファンであった。
徳人は川見丁子(松岡茉優)の出る番組を見る。インタビュアー(尾方宣久)もいる。この番組の今日のコーナーはおすすめの作品特集。川見丁子がおすすめする作品第一位はケータイ小説の『これは愛である』。川見も楽しみにしているという『これは愛である』の魅力について語り始める。
川見はソファーで間野ショージ(入野自由)と二人でくつろいでいた。間野は川見がおすすめする作品の特集を見たと言う。そして、そこで自分の映画作品を紹介してくれても良いんじゃないと言う。川見は、自分が出演している作品をおすすめするとかやばいだろとバッサリ言う。それに、間野が学生時代に撮った映画は何年も前の作品だし、あの作品がサブスクに上がっているのも川見が出演していたからだと。
DJゼン(富山えり子)は、書道でライブペインティングをするアーティストのウンビョウ(千葉雄大)の紹介をする。ウンビョウは一枚の紙に巨大な筆でアートを描き、次第に紙は真っ黒になっていく。
ライブペインティングの終了後、ウンビョウの所属事務所の社長の大川通子(富山えり子)は、ライブペインティングは素晴らしかったけれど、どうしてカメラがアップになった時に顔を伏せてしまうのと聞く。視聴者たちはみんなウンビョウの顔を見たいのにと。するとウンビョウは、あまり顔出ししたくないんでの一点張りだった。大川とウンビョウの間で喧嘩が始まってしまうのではないかと間を取り持とうとするザブ(尾方宣久)もいた。
ケータイ小説『これは愛である』は、みるみるとネット上で拡散されて話題になっていく。この小説を読むと、みんな自分の恋愛体験を思い出してしまうと話題だった。さらにあの川見丁子がおすすめしたと言うのもあって、さらにいいねやシェアも増えた。
徳人と白山は話している。今ケータイ小説の『これは愛である』が大人気だと。この白山はこのケータイ小説を書いた本人とやり取りして出版出来ないかコミュニケーションを取ってみると言う。
徳人が家に帰ると、10歳の娘である藤本こよみ(橋爪未萠里)はライブペインティングのウンビョウに熱中していた。
富子はひかると喫茶店でお茶する。富子は、今世間で話題の自分の15年間の文通の体験を元にして書いたケータイ小説『これは愛である』のことについて話す。最近、とある出版社から富子の元に電話がかかって来てぜひ出版したいとのことだった。その電話越しは白山だった。富子は喜んで出版して欲しいと願い出る。しかし、白山からはこんなことを聞かれる。文通相手の方とはプライバシーの都合上了承は得ているのかと。富子は、徳人に『これは愛である』に登場する文通相手が藤本徳人がモデルであることを伝えていないと言う。もちろん小説の中での名前はフジトリヒトに変えているけれど、文通内容はそのまま小説で使っているから許可を取らないといけないと言う。
ひかるには、徳人に連絡取って許可もらっちゃえばいいんじゃないのと言う。そんなに難しい話ではないのではと。富子は渋々徳人に手紙を書く。ケータイ小説『これは愛である』に登場する文通相手のモデルが徳人であること、そして小説として出版することを了承して欲しいと。
その手紙が藤本家に届く。しかし、その手紙の内容を最初に読んだのは『これは愛である』の大ファンの藤本真里奈であった。真里奈は、フジトリヒトのモデルが夫であることを知って驚き爆笑する。
一方で間野は、川見が紹介した『これは愛である』がネット上で話題になっていて出版化も動き出していると言うことに託けて、自分が映画監督になって『これは愛である』を映画化しようと動き出す。そしてヒジリミコ役を川見にしようと。小説を書いた富子と直接会うようコミュニケーションを取る。
久々に富子と徳人は再会することになる。もちろん『これは愛である』の件についてである。徳人は富子に怒り出す。なんで勝手にあんなケータイ小説を書いたのかと。徳人は出版化や映画化することに猛反対する。そんなケータイ小説から売れたという売れ方でいいのかと。富子はショックを受ける。徳人はもっと好意的に自分のことを応援してくれると思っていたから。
しかし、富子が今度『これは愛である』の映画化に伴って、映画監督の間野という人とキャスティングされる予定の川見丁子と会ってくるのだと言う。徳人はびっくりして、自分が川見の大ファンでもあることを言って富子についていくことになる。
間野と川見の元に富子が現れる。二人とも笑顔で富子を待ってましたとばかりに出迎える。富子も本物の川見に出会えて感激している。そして今日は、実際に『これは愛である』のフジトリヒトのモデルの男性も連れて来ていると言う。間野も川見もテンションが上がる。しかし富子は、事前に「ごめんなさい」と謝っておく。
実際に徳人が入ってくる。間野と川見は呆然とする。間野は、二人はご結婚されているんですか?と聞いてしまい、川見はネタバレを踏んでしまって憤る。川見は『これは愛である』が結果的に結ばれない物語であると知り、結末を変えたいと言い出す。ハッピーエンドな終わり方にしたいと。富子は複雑な気持ちになる。あまり結末は変えたくないなと。それにまだ徳人はこの作品の映画化に強く反対している。なぜなら家族からも散々な目に遭っているから。娘のこよみに関しては、『これは愛である』のフジトリヒトが徳人だと聞いて散々なことを言われていた。
そこで間野が提案する。フジトリヒト役に娘さんの推し俳優をキャスティングしたら娘さんも喜ぶのではと。徳人にこよみの推し俳優について尋ねると、ライブペインティングのウンビョウだと答える。では、ウンビョウをフジトリヒト役にしようと間野は言う。
ここで幕間に入る。
ウンビョウの元に大川がやって来て、映画の出演オファーが来ていると言う。今話題の『これは愛である』の映画化の出演オファーでフジトリヒト役らしいけれど、どうしてウンビョウなんだろうと大川は首を傾げる。まあ、売れるチャンスではあると思うとも言う。ウンビョウは、普段オファーには興味を示さないのだがなぜかこの出演オファーには興味を示して受けることになる。
徳人は家で妻の真里奈に、『これは愛である』の映画化でフジトリヒト役がウンビョウになりそうだと言い、真里奈はびっくり仰天して娘のこよみに伝えなきゃと言う。
徳人と富子は、映画化される『これは愛である』の最後について話していた。徳人は最後をハッピーエンドにさせることに強い抵抗を示した。もしそうなるのなら、小説家として戦った方が良いと。富子はバッグから文通手紙を全て出す。とんでもない数の手紙が出てきて驚く。
背後には、ヒジリミコとフジトリヒトが現れる。二人はキスをして最後結ばれる。徳人はこんなのおかしい、全然ロマンチックじゃないと反対するが、ヒジリミコとフジトリヒトが小説の世界から現実世界に出て来てしまい、最後がハッピーエンドの方が面白いじゃないと語りかけてくる。徳人はずっと反対しているが、ではなぜそんなに熱く反対しているの?とミコやリヒトたちに問い詰められる。それは、リコのことが好きだからじゃないのと。いや違う、違うんだと徳人は言い張る。
ヒジリミコとフジトリヒトが消えると、そこに間野が入ってくる。『これは愛である』の映画化の企画は白紙に戻ってしまったと言う。理由は、フジトリヒト役で予定していたウンビョウが降板したからだと。
間野は、初回の『これは愛である』の読み合わせということで、川見とウンビョウを呼び出して練習させていた。しかしウンビョウは俳優をやり慣れていないのもあって棒読みだった。間野は、もっと抑揚をつけて読んで欲しいと指摘するがウンビョウの読みは一向に解消されない。そんなウンビョウに痺れを切らしてしまう川見。その様子を見てウンビョウは川見の演技はわかりやす過ぎる、もっと内面から出てくるものを出さないとと演技に注文をつける。川見はウンビョウに向かって激怒する。川見はその場を後にする。
ソファーで間野と川見が話している。間野は本当にこの映画化をどうしようとかなり悩んでいるようだった。間野は今回のチャンスを活かして売れたかったのにと言う。川見は間野に突っ込む。そうやっていつまでも自分が売れることばかりを考えているから売れないんじゃないのと言う。川見は続けて、今回のキャスティング、徳人と富子二人にやってもらうのもありなんじゃないかと言う。
徳人と富子は二人で話している。徳人は、映画化で『これは愛である』のフジトリヒト役がウンビョウになるという話をしたとき、娘から大ブーイングだったと言う。ウンビョウがフジトリヒト役やったらウンビョウが嫌いになっちゃう、ウンビョウが汚れると。しかし徳人は、大丈夫だよそうはならないからと言うと、娘は安心していた。
二人でこの物語の結末はどうなるのかと話している。それは、富子がどうしたいかなんじゃないかと。
ピアノで卒業の音楽と共に、手紙が沢山降ってくる。ここで上演は終了する。
まず劇中劇の構成が本当に素晴らしかった。富子と徳人が15年間文通し合っていた過去は、ヒジリミコとフジトリヒトがお互いに思いを馳せながらやり取りする過程として小説に落とし込まれることで、中学時代の甘酸っぱい青春から大人になるまでの叶わぬ恋まで含めて、多くの人が共感出来るように仕上がっている点が素晴らしい。この脚本の中で『これは愛である』のストーリーから自分の過去の青春ドラマに思いを馳せて感動する読者たちがいるように、『ワタシタチはモノガタリ』を観て自分の青春時代を懐古して楽しむ私たち観客がいるこのメタ構造が好きだった。
そして、その小説の世界と現実の世界が後半で曖昧になっていって、それが富子や徳人自身の混迷でもあるように感じて、それが演劇でしか描けない形で描かれていて素晴らしかった。
また、横山さんが最近では商業演劇でも脚本を担当するようになったからこそ、『セクシー田中さん』のような問題に対して近い立場になるからこその、等身大の訴えも感じられてそれが凄く強いメッセージ性としても伝わってきて良かった。玉田企画の舞台『영(ヨン)』(2022年9月)でも似た作品が作られていたが、今作の方がその切実さがストレートに伝わってくるものがあった。
さらに、富子が『これは愛である』の結末を描けないように、『ワタシタチはモノガタリ』のはっきりとした結末も描いていない点も私は良いなと感じた。ここに関しては、賛否が分かれる所かもしれないが、結末を敢えて描かない所に脚本家としての誠実な態度を感じた。結末って脚本では非常に重要な所、脚本家はその脚本を愛していればいるほど迂闊に結末を描けないと思う。それを今作そのもので具現化しているようにも感じられた。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
小山ゆうなさんによる圧倒的なエンタメ性の強い演出によって、横山拓也さん演出では辿り着けないけれど、非常に横山さんの戯曲の良さを存分に引き立てる演出になっていて素晴らしかった。この演出・舞台美術は、来年の読売演劇大賞演出家賞にノミネートされそうだと感じるくらい素晴らしかった。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
なんといってもステージ上で一番目立つ舞台装置は、ステージ中央奥に置かれている。巨大なL字型の中が空洞になっている舞台装置。客席に向けられている面だけに壁がなく、中に入れるようになっていてその中でも演技が出来るようになっていた。
基本的には、このL字型のブロックの空洞の中では富子の小説の中のシーンが展開される。つまり、ヒジリミコとフジトリヒトのシーンである。またこのL字型の舞台装置は回転出来るようになっていて、裏側には斜めに階段がかけられていた。この階段を使って、徳人と富子の学生時代のシーンも描写されていた。
そして、このL字型の舞台装置の外側に、同じようにL字型の形をしている枠のような舞台装置も置かれていた。基本的にこのL字型の枠は転換中も動かされることなく固定だった記憶である。この額縁のような枠が、現実世界と小説の世界の境界線を表現しているようで、この額縁を飛び越えてステージ奥側へ行くと小説の世界へ入り、逆に額縁を飛び越えてステージ手前側へ来ると現実の世界へ来れる。特に第二幕の、徳人、富子、リヒト、ミコの会話のシーンで重要な役割を果たしていた。さらに、この額縁はどんな仕組みになっているかよく分からなかったが、蛍光色にカラフルに光っているように見えた。シーンによってもその色合いは緑だったり赤だったり紫だったりピンクだったりと異なる記憶だった。
それ以外の舞台セットは一部のシーンで使われて、転換すると移動させられるものが多かった。序盤に登場する富子の書斎(上手側)だったり、中学時代の文芸部の教室の教卓や机と椅子、徳人の家のリビングの机と椅子、川見と間野の家のソファーなど。
一番目立ったのは第二幕で天井から降りてくる巨大なブランコのように横に揺れる横長の台。そこに富子は文通していた手紙の一式を置いたりする。途中でそのブランコで徳人に攻撃したりしてぶつかっているシーンはコミカルであった。
次に映像について。
映像演出で一番特徴的だったのが、映像なのかリアルの役者がやっているのか分からない演出が盛り込まれていたこと。こんな演出は私も初めて観たので驚きを隠せなかった。序盤のシーンで、リヒトとミコの結婚式のシーンがある。L字型のブロックの中にリヒトとミコと神父が実際にいたのだが、周囲の映像演出によってこの三人も最初は映像なんだと思っていた。しかし映像ではないことに後から気付かされ面食らった。そのくらいリアルの空間と映像が一体化している演出で素晴らしかった。
結婚式のシーンで、リヒトとミコの顔をドアップで映像に投影するのも表情が見えて良かった(流石に事前に用意してある映像だとは思う)。それ以外でも良いなと感じられた映像は沢山あった。例えば、富子が文通で手紙をしたためているシーンで、映像として文章がずらっと投影されるのも良かったし、文字が雪のように上から下へ降ってくる映像も好きだった。
特に好きな映像はケータイ小説『これは愛である』がネット上で拡散されていく映像。いいねの数がどんどん増えていったり、シェアの数もどんどん増えていったり、匿名のアカウントによって様々な口コミが書き込まれていく映像も現代的で好きだった。
それと、ウンビョウがライブペインティングで筆を使ってアートを描くシーンで、ウンビョウの筆の動きに沿って、映像で舞台セットに墨が塗られていく演出も好きだった。あんなに舞台装置はシンプルなのに、ここまで舞台美術で遊べる作品になっていてすごいなと小山さんの演出力の高さを感じた。
空の風景を映像に投影したり、新緑を映像に投影するのも青春を感じられて好きだった。
次に舞台照明について。
エンタメ性が強いスタイリッシュな照明だったなという感覚だった。特にウンビョウのライブペインティングのシーンの舞台照明は凄かった。様々な角度で上から雷のように白く強く照明が当てられてパフォーマンスだった。
富子や徳人が文通の手紙を書く時の照明も好きだった。役者が広いステージにポツンといる中で、その人にだけ白くスポットが当てられる。凄く落ち着きがあって温かみのある照明演出だった。
あとは、L字型の舞台装置の中にリヒトとミコがいるシーンで、その装置の中が黄色くそして水色にグラデーションしながら照明が当たっていて、ちょっと神秘的な色合いになっている空間が絶妙に好きだった。こういう舞台照明を思いつけるの天才だなとつくづく感じた。
L字型の舞台装置の輪郭も、その外側にあるL字型の額縁の枠も、色とりどりに光っていて物凄く綺麗で、横山さんの戯曲がこうやって他の演出家とのタッグで、さらに良い方向に進化していっているのを感じた。
次に舞台音響について。
横山さんの戯曲は、割と序盤と終盤以外は無音で会話で観せることが多いイメージだが、今作では何ヶ所か会話のシーンに音楽を入れていた。ピアノの音楽が多くて、卒業式に流れる有名なBGM(タイトルが分からない)がラストとそれ以外のシーンでも使われていて凄く惹き込まれた。
あとはウンビョウのライブペインティングのシーンの奇抜な音楽も好きだった。こうやって他のシーンと上手い具合にメリハリがつけられるシーンが挿入できると観客としても気持ちを切り替えられて没入しやすいなと思う。
ネット上で拡散される際のシーンのBGMも素敵だった。
「iaku」は割とベタな音楽が多くて、今作でも結婚行進曲やピアノの卒業の音楽などがそうだが、そういう楽曲が非常に戯曲に合うから素晴らしい。曲を聞いているだけで泣けてしまうあたりも横山さんの作品らしさだなと思う。まさに心洗われた。
最後にその他演出について。
最後に手紙が天井から降ってくる演出が素晴らしかった。この作品なら最後降らせたいよねと思う。15年間文通してきたという長い時間のストックがあるので、それらをかき集めて未来をどうするかについて考える演出は、手紙を降らせるが一番しっくり来ると思う。素敵だった。
あとは役者さんの早着替えも多くて素晴らしかったなと感じた。一人二役やる役者さんが多く、特に松岡茉優さんのミコと川見だったり、橋爪未萠里さんの娘のこよみと西谷ひかるの早着替えも素晴らしかった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
PARCO PRODUCEということで豪華なキャスティングだったが、ほとんどの俳優さんが複数役を上手くこなしていて素晴らしかった。また松尾諭さんを始め、非常にコミカルな演技が上手くて横山さんの戯曲でこんなにも笑えたのも初めてだった。それは、戯曲の素晴らしさだけではなく、ひとえに台詞を上手にコメディに落とし込む俳優たちの力量も素晴らしかったからだと思った。
特に素晴らしかった役者について記載する。
まずは、主人公の肘森富子役を演じた江口のりこさん。江口さんの演技は、直近だと舞台『リア王』(2024年3月)で演技を拝見している。
富子は、ずっとこの人物像の気持ちに感情移入していた。小説家としてずっとデビューしたいと何年も頑張っていたが日の目を見ることなく時間だけが過ぎた。しかし、ケータイ小説『これは愛である』がネット上でバズったことによって、それをチャンスにメジャーデビューしたいと切望する。それまではずっとwebライターをやってきて、本当はそんなことしたい訳ではないのだけれど食べていくために渋々やってきた。
徳人は自分の小説家としての成功をどんな形でも喜んでくれると思っていた。しかし、出版社という立場になっていた徳人は職業柄ケータイ小説なんて相手にしていなかったし、そんな売れ方をする小説家を一流ではないと偏見を抱いていた。そこに富子と徳人の価値観の違いを感じて共感させられたし、物語としてもリアリティあって面白かった。
さらに富子を苦しめる出来事は、川見に結末を変えて欲しいと言われたこと。小説家にとって作品のタイトルや結末というのはアイデンティティと言っても過言ではないだろう。そこを変えてくれというのはなかなか苦しい指示を強いられているに違いないなと感じた。
結末はどうしたら良いだろう、徳人からは自分の描きたいようにすればいいと言ってくれる。売れるためにはなんだってした方が良いのか、しかしなんでも言いなりになった結果の作品は果たしてwebライターとして仕事してきたことと何の違いがあるのだろうかと。この辺りは、劇作家でこれから徐々に商業演劇でも活躍していく横山拓也さんの等身大の悩みなのではないかと思う。つまり、富子の人物像というのは、性別は違えど横山さん自身そのもののように思える。
その辺りのキャラクター描写がリアルでとても好きなキャラクターだった。
次に、今作で一番演技が素晴らしかったと思えた藤本徳人役を演じた松尾諭さん。松尾さんの演技は、KERA・MAP『しびれ雲』(2022年11月)で演技を一度拝見している。
とにかく関西弁のコミカルな会話がとても会場を沸かせていて素晴らしかった。台詞のテンポやタイミングが丁度よくて、「ここ」という適切なタイミングと内容で笑わせてくれる。横山さんの戯曲で今までもコメディっぽい会話はあったのだが、どこか役者が無理をしていたり、ネタとしてあんまり笑えないみたいなものもあったが、今作のコメディ要素に関してはほぼ完璧と言って良いほど全てが噛み合っていた。それは、松尾さんの演技力の高さも影響していると思う。
40歳のおっさんと言ってしまえば納得してしまうほど、出版社に勤めていて考え方も古くて、トレンドにも疎くてとても良いキャラクター設定だった。妻の真里奈からも娘のこよみからもいびられ家族の中でも孤独、職場でも華々しい成果はなく下降気味、そしてそんな生活が何年も続いているから半ば諦めている感じがあった。
大ファンである川見の前だとデレデレする徳人が最高に良かった。そして、第二幕での富子、リヒト、ミコとのシーンでひたすら三人にいじられて関西弁で突っ込むシーンがコメディとして非常に素晴らしかったのだが、この文通していた15年間というのは、もう自分は違う人と結婚してしまったから過去のことと受け流そうとする気持ちと、でもやはり思い入れがあって適当な形にはしたくなくて熱くなる感じもあって、そこの気持ちのせめぎ合いを感じられて凄く好きだった。
ヒジリミコ役と川見丁子役の2役を演じた松岡茉優さんも素晴らしかった。松岡さんは、舞台『23階の笑い』(2020年12月)以来2度目の演技拝見である。もちろん映像作品でなら何度も見たことがあるが。
特に川見丁子役のキツイ性格の松岡さんの演技が素晴らしかった。川見はビジュアルも良く売れっ子の俳優という設定で、だけど性格はキツいといういかにも芸能界の売れっ子の俳優でいそうな感じのキャラクター設定でツボだった。間野に対して容赦なく辛辣なツッコミを入れる所、そしてウンビョウに対してブチギレるあたりも物凄く見応えがあって好きだった。前も思っていたが、松岡さんは俳優としての演技の幅が広いから、ミコみたいにいかにも清楚な可愛い女性も演じられるし、こういうキツい女性も演じられるから器用で素晴らしいよなと思う。
フジトリヒト役とウンビョウ役を演じた千葉雄大さんも素晴らしかった。千葉雄大さんの演技は、舞台演劇生配信ドラマ『あの夜であえたら』(2023年10月)で直近は演技を拝見している。
特に印象に残ったのはウンビョウのキャラクター設定で、落合陽一だったり米津玄師みたいな人を思い浮かべながら重ねていた。あまり顔を表に出したくなくて、芸術に対するこだわりが物凄く強くて近寄りがたい感じ。でもそのミステリアスな感じからファンは大勢いる。そのキャラクター設定が好きだった。そしてそのキャラ設定を活かしながら、コミカルなシチュエーションを沢山設けて場を盛り上げていく脚本設定も好きだった。
映画監督兼プロデューサーの間野ショージ役を演じた入野自由さんも良かった。入野さんも最近だと舞台『リア王』(2024年3月)で演技を拝見している。
本当に間野のキャラにはずっと良い意味で苛立ちを感じていた。学生時代の時しか映画を撮ったことないのに最短距離で売れようとしていてクズだなと思った。そしてこういうプロデューサーっているんだろうなとも。
そして、一番最悪なのは平気でネタバレを踏んでしまって、そしてその作品の登場人物のキャラにマッチしているかどうかは関係なく、自分たちの都合でキャスティングしちゃおうとするあたり、本当に無理だなと思って見ていた。そんな感じでセンスないからいつまでも売れないんだよと言いたかった。
そして、横山さんの作品には欠かせない、西谷ひかる役と藤本こよみ役を演じた橋爪未萠里さんも素晴らしかった。橋爪さんは、iaku『モモンバのくくり罠』(2023年12月)などで何度も演技を拝見している。
今回の橋爪さんは、非常に客席を笑いで湧かせていて、ずっとiaku作品で横山さんと共に小劇場から駆け上がってきた役者さんなので、PARCO劇場という大きい劇場をこんなに湧かせていて私まで嬉しくなった。
西谷ひかる役の、ズバズバと本音を遠慮なく言っちゃう性格が物凄く好きだった。徳人に対して残念な感じになったとか、リヒトとミコを見て美男美女になっているとかそういう大きなリアクションで笑いを取る感じが堪らなく良かった。
さらに、まさか橋爪さんが10歳の娘役をやるとは思わなかった。10歳で年齢が非常に幼い役といえど遠慮なく思ったことをバンバン言っちゃうという意味では西谷と共通していて笑いをとっていて好きだった。ウンビョウが汚れるは面白かった。徳人パパ辛いな...と思った。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
私は今作を観劇していて真っ先に思い浮かべたのは、日本テレビによる漫画『セクシー田中さん』のテレビドラマ化における、原作者の自殺問題である。ここでは、そちらの事件について言及しながら著作権について考察していく。
2024年1月、漫画『セクシー田中さん』の原作者である芦原妃名子さんが自殺した。2023年10月に『セクシー田中さん』は日本テレビでドラマ化された。当初は、テレビドラマの脚本には芦原さんは関わっていなかったが、終盤の部分のみ芦原さんが担当することになった。それには、漫画の内容を大きく改変したことに対して芦原さんとテレビドラマ制作陣側とで対立があったらしく、それを芦原さんがSNS上で表明していた。
そのSNSは話題になって、テレビドラマの脚本家やプロデューサーは批判された。こうして事態は大きくなっていった矢先に芦原さんは命を絶ってしまった。
私は、あまりテレビドラマについて詳しくなくて『セクシー田中さん』については、芦原さんが自殺される前のSNSでの表明で反響があったタイミングで初めて認知し、その直後に芦原さんが亡くなったという形になったのだが、私の友人・知人の多くがこの一連の事件についてショックを受けていた。
この『セクシー田中さん』の原作者の自殺の一連の事件は、詳しい事情は私はネットの情報でしか把握はしていないが、やはり芦原さんと脚本家・プロデューサーといったテレビドラマ制作側とのコミュニケーション不足、認識合わせ不足、そして著作権に対しての不十分な理解があったのではと思う。
もちろん、漫画をテレビドラマ化するというのだから、完全に漫画の内容を全く変えずにドラマ化するのはおそらく不可能だろう。しかし、その際に一部変更するにしても原作者の意向は尊重されるべきであるし、それは法律によっても定められている。
芦原さんが最終的に、ドラマの最終部分だけ脚本を担当することになったというのは、物語の結末への改変で許しがたい部分があった可能性がある。そしてそれは、『ワタシタチはモノガタリ』にも通じてくる話である。
物語の結末は、その原作者にとって極めて重要なパートであるはずである。以前ミュージカル『この世界の片隅に』を観劇した時に買ったパンフレットに、原作者のこうの史代さんのコメントが載せられていたが、ミュージカル化が決まった時に、結末を変えなければあとは自由に演出して良いと言ったそうである。やはり原作者にとって、結末というのは非常にこだわりがあって改変されたくない箇所なのだと思う。
『ワタシタチはモノガタリ』でも、川見が結末をハッピーエンドにしたいと言ってきた時、富子は抵抗を感じていた。それは15年間文通をしていた徳人との物語をベースにしているので、最後に結ばれてしまったら事実と大嘘になってしまう。それは抵抗を感じると思う。
しかし川見もプロデューサーの間野も、そこに対する富子の気持ちを察することが出来ず推し進めようとしていて、『セクシー田中さん』と似たような事象を招きかねない展開に途中までなっていた。結果的にウンビョウがあまりにも演技が出来なくて企画は白紙に戻ったが、もしそうなっていなかったら危うく結末を改変されて『これは愛である』は映画化されていたかもしれない。
映画やドラマの制作側は、脚本家やプロデューサーなど多勢であるが、原作者は基本的に一人しかいないことが多いので、多勢に無勢になりがちである。いくらお互いに話し合いの上進めたと言っていても、大勢の意見によって原作者の一人の意見がかき消されてしまう可能性だってある。その辺りを考慮することが、こういった類の問題では重要なのではないかと考えた。
また、著作権に関して皆が理解を深めることも重要なのだなと感じた。『ワタシタチはモノガタリ』でも、富子は自分の作品の中で徳人からの手紙の内容をほぼそのまま作品に使っていたが、それに対して相手の了承を取っていなかった。だからこそ少し面倒なことになっていたのも事実である。ここには富子自身にも問題が一つあって、やはりネットで公開する前に徳人に確認を取ってから公開すべきだったのだと思う。そうすれば、徳人が勝手に傷つくことはなかったと思う。
また、川見や間野も、結末を改変することは大きな改変で富子との相談が極めて重要であることをしっかりと分かっていなかったのも問題である。そして、そういうことをプロデュース側が勝手にしてはいけず、しっかり自分の権利を主張しないといけないことを富子自身もよく分かっていなかったのも自分が損をするという意味で問題である。そういう意味で、徳人のサポートは非常に心強かったのだが。
今作は、これから小説家や劇作家などのオリジナルの脚本を書く身になる夢を持っている人たちに向けて、著作権に対して一つの問題提起をしているようにも感じた。何か創作をしたいのであれば、著作権に対してしっかりとした知識を身につけるべきで、もし何かあった時に権利を主張すべく戦う覚悟が出来ているかも試されるのだと。
これは、ずっと劇作家としてキャリアを築いてきた横山拓也さんだからこそ描ける作品だと思うし、そういう横山さんだからこそ説得力を感じさせられて素晴らしい作品だったなと感じることが出来た。
↓横山拓也さん過去作品
↓小山ゆうなさん演出作品
↓江口のりこさん過去出演作品
↓松尾諭さん過去出演作品
↓松岡茉優さん過去出演作品
↓千葉雄大さん過去出演作品
↓富山えり子さん過去出演作品
↓尾方宣久さん過去出演作品
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