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舞台 「しびれ雲」 観劇レビュー 2022/11/23


【写真引用元】
キューブ舞台制作 Twitterアカウント
https://twitter.com/cube_stage/status/1550371352749559808/photo/1

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公演タイトル:「しびれ雲」
劇場:本多劇場
劇団・企画:KERA・MAP
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:井上芳雄、緒川たまき、ともさかりえ、松尾諭、安澤千草、菅原永二、清水葉月、富田望生、尾方宣久、森準人、石住昭彦、三宅弘城、三上市朗、萩原聖人
公演期間:11/6〜12/4(東京)、12/8〜12/11(兵庫)、12/17〜12/18(福岡)、12/24〜12/25(新潟)
上演時間:約205分(途中休憩15分)
作品キーワード:昭和レトロ、ヒューマンドラマ、家族、笑える、群像劇
個人満足度:★★★★★★★★☆☆


日本を代表する劇作家の一人であるケラリーノ・サンドロヴィッチさん(以下ケラさん)が2001年に立ち上げた演劇ユニット「KERA・MAP」の舞台作品を初観劇。
今作は、「KERA・MAP」としては10回目の公演となり、前回の「KERA・MAP」で上演された「キネマの恋人」(2019年)と同じ架空の島である梟島(ふくろうじま)を舞台に物語が展開される。
今作は「キネマの恋人」の前日譚や後日譚などではなく、全く登場人物が異なり、作品ジャンルも全く異なるので、「キネマの恋人」を観劇したことがない私でも全く気にならずに観劇することが出来た。

時代設定は昭和10年という昭和が始まって間もない頃の話、この東京から遠く離れた田舎である梟島の住民たちの他愛もない日常の会話劇によって展開されていく。
石持国男という若くして亡くなった男性の七回忌が行われるということで、国男の妻である石持波子(緒川たまき)の妹である門崎千夏(ともさかりえ)とその旦那である門崎文吉(萩原聖人)は、その法事に行くことになっていた。
しかし文吉はあまり乗り気ではなかったらしく、胃の調子が悪くて体調が良くなさそう。千夏はそんな旦那を早く喪服へ着替えさせようとする。
そこへ、海辺に到着していたボートに、見知らぬ一人の男性がいた。彼は今までの記憶を亡くしてしまったらしく、住民たちは彼をフジオ(井上芳雄)と名付けた。
その時、梟島の空には「しびれ雲」が出現し、その雲が出るとその日を境に島の潮目が変わるという噂があった。
その後、フジオは梟島の住民たちと馴染んでいきながらも、他の登場人物たちの人間関係を和やかに、時には面白おかしく描きながら進行していくというもの。

とある方のTwitterの感想で、「昭和の朝ドラのような世界観」というものがあったが、まさしくその通りの演出と世界観であったという印象。
昔の古いテレビで日本のドラマを観ているような、そんな錯覚を感じさせるくらい音楽は昭和の和やかなメロディを感じさせてくれ、人々の会話も方言で人情深く描かれていて、凄く和やかな一時を感じさせてくれた。
舞台「世界は笑う」のような昭和レトロな街並みを作り込むといったビジュアルにフォーカスしている訳ではなく、登場人物たちが織りなす会話と人間の温かみにフォーカスしている所を感じて好感が持てた。

また、NHKの朝ドラの「君の名は」のような、昭和のほんわかしたメロディと会話劇だけではなく、所々ひょうきんなコメディシーンもあって、その点に関してはケラさんの作品だなという印象を受けた。
そして、役者たちが如何せん皆元気いっぱいなので、その辺りに昭和時代の田舎町の活気と人情を感じられて素晴らしく、舞台ならではの空気感を感じ取った。

ステージから漂うタバコの煙、男たちの笑い声、女性たちの甲高い笑い声、仏壇のおりんの響き渡る音、昔ながらのラジオの音、「ボー」という船の音、全てにノスタルジーを感じられて日本人であればどこか懐かしさを感じられる、終始そんな世界観に浸っていられることだろう。
特にこの作品が訴えかけてくるような強いメッセージ性はなかったのだが、その世界に浸れたらそれで十分と、そう思わせてくれるくらい上質な舞台作品だった。

本多劇場に初登場となる井上芳雄さんが凄くキャスティングとしてハマっていた。登場人物の中で最もピュアで清々しい姿が印象に残った。
ともさかりえさん演じる千夏、萩原聖人さん演じる文吉の、いかにも昭和時代初期の夫婦といった、良い意味で古臭い演技が非常に好みだった。
ここも非常に適役だと思った。
一男役を演じた石住昭彦さんや竹男役を演じた三上市朗さんのあの貫禄ある昭和男も迫力があって好きだった。

昭和レトロ好きな方、人と人が関わり合うことで生まれる温かみや和みを感じたい人にとっては特におすすめしたい一作だった。


【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501230/1939804


【鑑賞動機】

ケラさんの新作公演だったから。ケラさんは「イモンドの勝負」にせよ、「世界は笑う」にせよ、いつもハイクオリティなコメディ作品の新作を上演されていて、もっと彼の創る作品に触れたいと感じたから。
ミュージカル俳優井上芳雄さんをしっかりと舞台で拝見したことがなかったので、ぜひ舞台を観てみたいと思っていたのと、菅原永二さん、富田望生さん、尾方宣久さんといった、以前観劇して演技が好きだった役者さんも沢山出演されていたのも観劇の決めて。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等あるがご容赦頂きたい。

昭和10年のある朝、石持国男の七回忌ということで、門崎千夏(ともさかりえ)は喪服姿で外にいた。夫の門崎文吉(萩原聖人)は、同じ工場の職場の後輩の縄手万作(菅原永二)の家に泊まりに来ていた。千夏は、文吉を迎えに万作の家に迎えに来ていた。
万作の家には、万作の妹の縄手やよい(清水葉月)もおり、やよいはおしゃれな格好をして「夜まで戻りません、行ってきます」と元気な声で家を出ていった。千夏が万作に文吉はどうしているかと聞くと、まだ寝間着姿だという。
そこへ千夏の姉であり、亡くなった国男の妻である石持波子(緒川たまき)がやってくる。千夏は七回忌が9時半集合かと思っていたが、波子の話に10時半からであることを知り、1時間早かったことに気がつく。
波子がいなくなると、万作の家から文吉が出てくる。文吉は七回忌は10時半集合だと聞いていたのでまだ寝ていたのだと言う。それに、胃の調子が悪くて胃薬を常備していると言う。
その時、なにやら近くのボートの中から見知らぬ一人の男(井上芳雄)が頭に切り傷のついた状態で現れた。自分の名前も分からず、今までの記憶が何もないのだと言う。千夏はその時、空を見上げると「しびれ雲」というそれは妙な雲がかかっているのを見た。

ここでプロジェクションマッピングによるオープニングが入る。

石持家にて、そのボートにいた見知らぬ男は「フジオ」と名付けられ、内科医の占部新太郎(松尾諭)に看病されていた。そこへ石持富子(富田望生)もやってきて一緒にフジオの面倒を見てくれた。
国男の七回忌を無事終えた石持家では、石持家の親戚たちが食事をしながら談笑していた。亡くなった国男は肉が食べられない人だと皆思っていたが、とある人の逸話から肉を食べていたのではないかという話になり、その時は本人がそれを肉だと思って食べていたのか、肉だと気が付かずに食べていたのか、その真偽は国男自身にしか分からないから不明だという話もしていた。
そこから、国男の父である石持一男(石住昭彦)とその息子で国男の兄にあたる石持竹男(三上市朗)の親子で、少し対立するような口論が起きる。

ケーキ屋を営んでいる佐久間一介(三宅弘城)は、外から石持家にやってきたが、どうやら道端にお経と木魚が落ちていたようで、それはどうやら七回忌でお経を唱えてくれたお坊さんが帰って行く時に落としていったのだろうということだった。佐久間は、お経と木魚を石持家に置いておく。そして、自分の所でやっているケーキも持ってきたが、一瞬で食べられてしまう。
国男の妻である石持波子とその娘である石持富子は、佐久間と挨拶を交わす。富子は21歳になるというのに、なかなか結婚相手が見つからず誰か良い人はいないかと波子は佐久間に尋ねる。富子はこの後裁縫の稽古があるのでこれで失礼しますと、波子と富子は帰ろうとする。
そこへ、石持伸男(森準人)がやってくる。伸男は竹男の息子で26歳であり、叔父にあたる国男には小さい頃から可愛がってもらったにも関わらず、国男の七回忌には参加しなかった。竹男の妻であり伸男の母にあたる石持勝子(安澤千草)からは、どうして国男の七回忌に欠席したのかと追及されるも、伸男はその理由を明かしてはくれなかった。伸男は、国男の七回忌に参加したくなくて、昨晩から石持家を留守にしていた。
伸男は、石持家で休養していたフジオとばったり会って、見覚えがある!と声をかける。フジオは伸男のことが見覚えがなくてポカンとしていたが、伸男は、フジオと以前会っており、昨晩倒れていたフジオをボートで休ませたのだと言う。実はフジオは、昨晩伸男に助けられていたのだった。
その時、港から先ほどの七回忌でお経を唱えてくれた坊主(菅原永二)が、船に乗ってこの島を後にしようとしているとの情報が入る。坊主は住職としての衣装をすべて海に投げ捨ててこの島を去っていった。舟にはもうひとり、舟を漕ぐ女性(清水葉月)がいた。

その日から、フジオは毎日日記をつけることにした。ボートで自分が記憶をなくして倒れているのを、門崎夫妻が見つけてくれて、石持家で看病を受ける。その時、空を見上げると、不思議な形の雲があった。「しびれ雲」というのだそう。「しびれ雲」が現れると、その日を境にしてこの島の潮目が変わるとの言い伝えがあり、それを信じる者もいれば、信じない者もいるのだそう。

伸男と富子が甘味処であんみつを食べていた。伸男は密かに富子に彼がどうして国男の七回忌に来なかったのか、その理由を話す。伸男は、石持家でおそらく国男が書いたと思われる恋文の存在を示す。そこには、見に覚えのない女性の名前が出てきて、その人への想いが綴られていた。国男は結婚しているにも関わらず、生前にそのような浮気をするとは酷いと思い、七回忌を欠席したのだと言う。富子もそれを聞いて大泣きしてしまう。
伸男は、あんみつを出す甘味処の店員の婆さん(菅原永二)にも、夫がこんな雨の日に外出するなんて、きっと浮気されているかもしれないなんてことも言う。
富子は伸男と会ったことは母の波子に言わず、ただただ呆然として心配されるのだった。

フジオは文吉の働く工場で働き始めることになった。その工場の上司にあたる権藤(三上市朗)からは、物覚えが非常に良いとフジオのことを褒める。新人でここまで仕事覚えが早いのは経験したことがないと。
文吉は、いつも工場には妻の千夏が作ってくれた弁当を持って、昼食にそれを食べていた。そして、いつも胃腸を壊す羽目になっていた。それでも文吉は、妻の千夏が作る弁当なので食べるようにしていた。
しかしある日、工場にご飯を欲しがる子犬が来ていたらしく、文吉はその子犬に弁当を与えた。そして弁当箱には子犬の痕跡が残っていたので、これはもしや私の弁当を食べるのが嫌になったのだと思い、千夏は文吉と喧嘩し、別居することになる。

ここで幕間に入る。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501230/1939797


万作の家にて、文吉は千夏と別居するようになり万作の家で暮らしていた。そこではフジオも寝泊まりしていた。
フジオはどうやら好きな人が出来たようである。安江という佐久間のケーキ屋さんで働いている女性である。万作の妹のやよいは、フジオの恋愛話に興味津津である。
そこへ万作の家へ千夏が訪ねてくる。文吉が出てくる。千夏は文吉に謝ろうと思ってやってきたつもりだったらしいが、文吉の千夏に対する強い口調に千夏も腹が立ってしまい、結局2人は和解することなく千夏は去ってしまった。
佐久間は、友人の占部と菊地柿造(尾方宣久)と共に打ちっぱなしに来ていた。フジオがどうやら佐久間のケーキ屋で働く安江に恋心を抱いているようで、その話で盛り上がっていた。
フジオは、万作とやよいたちの前で、安江のことについて話し始める。フジオは安江と2回しか会ったことがないらしく、1回目は佐久間のケーキ屋で、ケーキを買った時に店員をやっていて、「いらっしゃいませ」「このケーキ下さい」「おつりxx円です」「ありがとうございました」の会話のやり取りをした。2回目はどこかへ食事へ2人へ行ったそう。やよいはフジオの幸せそうな話を聞いてほっこりしていた。

千夏と別居して不仲になった文吉は、一緒に住んでいるやよいのことが好きになっていき、彼女と2人で出かけることが多くなる。そして、文吉とやよいは手を繋ぐ。しかしその手の繋ぎ方には、どことなくぎこちないものがあった。
文吉が働く工場の職場に、千夏から電話が入って文吉を出してくれと呼ぶが、文吉は電話にすら出てくれず、結局千夏は文吉と対話する機会も与えられなかった。
一方、国男の浮気のことを知ってしまった富子は、未亡人として今でも国男に一途である母の波子に対して、好きな人が出来て再婚しても良いんだとのことを言う。波子は再婚する気なんてまっさらなかった。そこで富子と波子の間にも距離があるようであった。

先日梟島を去って逃げていった坊主が、再びこの島に帰ってくる。坊主は東京でジャーナリストとして活躍しているらしく、そこでとある文献を発見し、そこに書かれていることによってフジオの正体が判明したのだと言う。フジオの本名は、「オオツダイスケ(記憶が正しければ)」と言い、梟島の田舎で過ごしている場合ではない、経歴の素晴らしい大物であるのだと言う。
すぐにフジオを石持家に連れてきて、坊主の話を聞かせてその文献を読むように言う。しかしフジオは、「オオツダイスケ」という名前にも覚えがなく、自分がそんな大層な経歴だったのかとポカンとしているようであった。
その時、ずっと寿司屋の大将のような狂ったテンションだった一男も平常心を取り戻すようになっていた。また、伸男がずっと国男が浮気相手に恋文を書いたものだと思っていた手紙が、実は国男のものではなく占部のものだったことも判明した。伸男は、手紙の筆跡と国男の年賀状の筆跡を照らし合わせて同一人物だと思っていたが、他の人が見比べたら全然違うと言っていた。伸男は悪いことをしたとうなだれる。富子も色々衝撃を受けて震えていた。
一方フジオは、坊主から渡された文献の冒頭すらも読まず、きれいさっぱり海に投げ捨ててしまった。自分は元々東京にいた身で、実際こんなことをしている場合ではないのかもしれないけれど、自分はこの島にとどまって暮らしたいのだそう。
その時、空にはまた「しびれ雲」がかかっていた。一同は船の「ボー」という音を聞きながら「しびれ雲」を眺めていた。
ここで上演は終了する。

ストーリー自体は、ケラさんらしくないと言ったら良くないかもしれないが、「イモンドの勝負」のようなナンセンスっぽさは全くなく、「世界は笑う」以上にストーリーも追いやすいものになっていた。特にこの物語で観客に訴えかけるメッセージ性というものもなく、シンプルに昭和レトロで人情深い田舎の人々の会話劇を堪能出来たというエンターテイメントだった。
「しびれ雲」の出現によって、梟島に住む人間模様は変化する。まるで潮目が変わったかのように。「しびれ雲」は物語序盤と終盤で登場し、その出現が物語の起承転結としっかり呼応している点が面白かった。フジオは案の定よそからやってきた男で、この梟島に住み着くことになるのだが、なぜ彼がかつての暮らしを忘却し、梟島に住み着くようになるのか。多くを語っていないで物語が終わる点が興味深い。そのため、この脚本を考察していく上での解釈の余地を大きく与えているので、強いメッセージ性を感じられなかったように思える。個人的には、もう少しフジオの過去にフォーカスした内容も多くを語りすぎない程度に盛り込んだ方が、より面白みが増したような気がしたが。
それでも、この会話劇が織りなす空気感と世界観が物凄くマッチしていて自分の好みでもあったので大満足だった。ずっと浸っていたいくらい和やかで平穏で心地よい作品だった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501230/1939801


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

まさに「昭和の朝ドラのような世界観」を具現化したような舞台美術と演出で、昔の古いテレビで放送されていた日本のドラマの世界が本多劇場のステージに広がっていた感覚だった。
舞台装置、衣装、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台装置はとても豪華だった。舞台「世界は笑う」みたいに大規模な場転(そもそもステージ上の舞台装置が一新されるくらいの大きな転換)はなかったけれど、シーンによっては装置のギミックを使って装置自体が別の建物に変わったり、そもそも捌けてしまう舞台装置があったりと変化はあった。
ステージは2段舞台になっている。まず下の段だが、下手には昔の建物の玄関が設置されていて、そこは万作の家の玄関となっている。この玄関から寝間着姿の文吉が登場したり、やよいが出かけていったりする。そしてこの玄関は、場転すると伸男と富子の2人があんみつを食べる甘味処にも変化する。蝶番がおそらくついていて、開くと甘味処に、閉じると万作の家の玄関になる。
下の段中央は、石持家のシーンになると横に長いちゃぶ台が広がり、そこで皆で座布団を敷いて食事をする。その背後には仏壇が置かれていて、おりんと線香と国男の遺影が置かれていた。その上手横には、おそらく石持家の玄関に通じていているであろうデハケがある。石持家のシーン以外だと、フジオと文吉が務める工場としても使われ、作業服で職員が弁当を食べるシーンもここで行われた。
下の段の上手側には、石持富子と波子が暮らす家の玄関らしき場所が設置されていた。
上の段では、まず下手側には木造と思われる建物の外壁が装飾としてあって、その横に石畳の階段があった。上の段の中央には、外のシーンであると何もなく、石持家のシーンになると寝室となり、神棚と思われる装飾が上空に登場し、白い布団も登場する。フジオはここで看病されていた。上手側にもやはり木造と思われる建物の外壁が装飾としてあった。
ステージ背後には、青い海をイメージした幕が一面に用意されていて、夕方になると照明効果もあってオレンジ色になって、非常にノスタルジーを感じる舞台美術だった。
小道具もインパクトがあって好きだった。例えば坊主が持っていたお経の帳面が、非常に長いのが折りたたまれていて広げるとパタパタと広がっていく感じが好きだった。また、木魚も気持ち大きめに作られているように感じてインパクトがあった。

次に衣装。
衣装はメイクも含めて本当に昭和初期の世界観にピッタリ合っていて素晴らしかった。
個人的に好きだったのが、後半のシーンが12月とかの冬のシーンになると思うが、千夏ややよいの冬服のあの古っぽい感じの衣装が好きだった。茶色くてメイクも相まって昭和を感じさせられて素晴らしい。
一方で、物語前半の千夏や波子の黒い喪服姿も非常に昔っぽさがあって素敵だった。昔の喪中は、皆女性はあんな感じで黒い着物を着ていたのかなと想像すると面白い。モノクロのドラマや映画で登場するような古い衣装が世界観を上手く作っていた。
あとは萩原聖人さんが演じていた文吉の、あの髪型の感じとメイクの感じも昭和初期っぽさがあって好きだった。決して現在を生きる男性の風貌ではない、懐かしさを感じさせる姿が良かった。
あとは、坊主の頭が完全に作りものに全振りして被り物で丸刈りを表現していたりするあたりにコメディ性を感じられて好きだった。

次に映像について。
まずは、オープニングのプロジェクションマッピングで使用されていた映像について。今作でのプロジェクションマッピングは、過去観劇した「イモンドの勝負」や「世界は笑う」に比べると、そこまでプロジェクションマッピングにこだわらずとも・・・と思った。音楽のチョイスは良いのだが、無理くり映像を挿入してオープニングを作った感じがしてしっくりこなかった。登場人物ごとに俳優の名前を登場させてくれるのは、対応がついて観客に優しいとは思ったが。
劇中でも雨のシーンでは雨をプロジェクションマッピング的に投影したり、海の波を投影したり、いくつかプロジェクションマッピングを入れていたが、無理に入れる必要はないのではと思った。

次に舞台照明について。
印象に残った舞台照明は、菊地が営むバーでのシーンの、あの青と緑のカラフルでおしゃれな照明。劇中でそのような色彩の照明が他では使われていなかった(当たり前だが)ので印象に残った。
それと、終盤の夕焼けのシーン。上空には「しびれ雲」がかかっている。あのノスタルジーを感じさせる夕焼けを照明で作れるって凄い。あの世界観にずっと浸っていたいと感じた。
それに付随して、上空に「しびれ雲」が現れたときのあの上空から白く光る感じの照明も良かった。照明演出とは関係ないが、「しびれ雲」について、公演タイトルになっているにも関わらず、その形状などを映像で表現したり説明したりする場面が全くないのも面白い。非常に解釈の余地を残してくれているあたりも、今作のあえて多くを説明しない作風としてよく出来ている。
工場での雨のシーンでのちょっと青暗くなる照明も雰囲気があって良かった。

次に舞台音響について。音楽、効果音、生音、全てが良かった。
まず音楽について。音楽はオープニングだけでなく場転でも多々使用されていたが、これぞまさに「昭和の朝ドラ」の主題歌に使われていそうな優しい曲調のゆっくりしたメロディで素晴らしかった。どこか懐かしさを感じさせてくれる楽曲で、歌詞はないのだけれどハマっていた。私はNHK朝の連続テレビ小説「君の名は」のオープニングを思い浮かべた。まさにそんな感じの楽曲だった。
それから若干クラシックらしいメロディがかかる場転もあった。そこには上品な感じも見受けられるし、レトロな感じも受ける。非常にハマった楽曲だった。
次に効果音だが、これもまた全面的に素晴らしかった。まずは港を想起させる波が打ち寄せる音。穏やかに「シャバー」と客入れ段階から流れていて、その音だけでも癒やされる。そしてこの波の音からもノスタルジーを感じられたのは、音のせいなのだろうか、それとも舞台美術のせいなのだろうか。
それから、船の「ボー」という音がまた素敵だった。あの音にかき消されてフジオが一瞬何て言ってたか分からないシーンがあった。そこもなんか良かった。リアルだなと感じた。音のボリュームも絶妙なのだろう。
録音に関しては、場転中でフジオ演じる井上芳雄さんのモノローグが録音だったのは、ちょっと物足りなかったかなと思う。あそこは地声でやってほしいなとステージ近くの客席で観劇していた私は思ってしまった。
そして生音が凄く良い。仏壇でおりんを「チーン」と鳴らす音、男性たちの笑い声、ラジオから流れる音、全ての生音にノスタルジーを感じられて素晴らしかった。少しばかり舞台「夏の砂の上」を思い出したりなどもした。田舎の家や暮らしから聞こえてくる生音にノスタルジーを感じるという観点では、素晴らしさが共通していた。

最後にその他演出について。
全体的に、今作で描かれる昭和レトロは、舞台「世界は笑う」で描かれる昭和レトロとは全く異なるジャンルだなと感じた。舞台「世界は笑う」は、どちらかというと昭和レトロでもファンタジー色が強く感じられた。横浜のラーメン博物館に来た時と同じような感じ。昭和な雰囲気を体験者をワクワクさせる感じに着色した感じの昭和レトロだった。それはそれで素晴らしい世界観なのだけれど、私たちの日常にあった昭和とは少しかけ離れている感じがしていた。一方で、今作で表現されている昭和レトロは、ファンタジー性は薄くて着飾ってなくてシンプルな感じはあるのだけれど、間違いなく日常に溶け込んだ昭和に近いのだろうなという気がして、だからこそ私はより強くノスタルジーを感じる。公演パンフレットのあの表紙のザラザラした手触りや写真のあの青写真ぽい感じも、凄く日常の昭和に近い感じがして身近に感じられた。
あとは嗅覚を使った舞台観劇も出来て良かった。一番良い例がタバコの煙。結構前方の席で観劇出来たので、竹男や一男がタバコを吸う時の煙が客席まで届いてあの煙臭さにもノスタルジーを感じた。
あとは方言も非常に良い影響を与えていた。特に劇中で頻出するのは、「ごめんちゃい」という言葉。キャスト全員が言っているのではなかろうかというくらい登場するが、ここには方言が持つ人情深さと可愛げみたいなものが詰まっている。「ごめんちゃい」と言うと、堅苦しくない謝り方な感じがする。人と人との交流と和を重視する梟島のような田舎のコミュニティでは、堅苦しい言葉を使っていたら窒息する。だからこそ、謝る時も少しくだけていた方が合うのかもしれない。そして、その「ごめんちゃい」という言い方にも、可愛げがあってどこか許さざるを得ない雰囲気を醸し出していて、朗らかなのが良かった。方言ってそういう影響力があるのだなあとしみじみ感じた。

【写真引用元】
ステージナタリー
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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

キャストは基本的にはKERA・MAPでおなじみの豪華な俳優が勢揃いしている上、キャスティングもこれでもかというくらい皆ハマっていて素晴らしかった。どの役者の方も、昭和初期の世界観にぴったりハマっていたが、井上芳雄さん演じるフジオだけがどこか他の登場人物とは浮いていて、そこが非常に役としてハマっていて素晴らしかった。
特に注目したキャストに着目して感想を述べていく。

まずはフジオ役を演じた、ミュージカル俳優として大活躍中の井上芳雄さん。井上さんの演技を生で拝見するのは実は初めてであり、井上さん自身も本多劇場で演技をするのが初めてだそう。
井上さん演じるフジオが登場してまず感じたのは、非常に凛々しくて他のキャストと違ったオーラを持っているなと感じた。井上さんが昭和初期の頃の色彩が地味な服装を着ていると、ちょっと滑稽に感じられるが、またそれがどこか他所の土地から迷い込んできた感じがあって良かった。他のキャストとは浮いている感じが、フジオという青年が他所の土地に迷い込んでしまった感じを上手く引き出していて良かった。
そして、特に幕間を挟んだ後半を観劇していて感じたのだが、非常に感情がピュアである点も面白かった。安江という佐久間のケーキ屋で働く女性を好きになるのだが、その好きになった感じがこんなにもピュアなのかと思わせるくらい一途で、観ていて心がじんわり温まる。この心のじんわり温まる感じが、この物語全体でも共通している感じがして、だからこそ良いお芝居だったなと後で回顧出来る作品だったのだなと思う。
ただ個人的には、日記をつけ始めたなどのモノローグのシーンは地声でやって欲しかったけれど音楽がかかりながらだったので難しいか。

次に、門崎千夏役を演じたともさかりえさんも非常に素晴らしかった。ともさかりえさんの演技を生で拝見するのも初めて。
ともさかさんは、本当に昭和初期の女性を演じるのが上手い。それこそ昔の古いテレビで放送されている時代劇とかに登場しそうなほど、昔の女性の姿がそこにはあった。もちろん衣装の影響も大きいと思う。法事ということで黒い着物を着た姿はモノクロの古い時代劇に今にも出てきそうである。でもそれだけではなく、あの方言を駆使しながら誰にでも愛想よく、そして甲高く元気な声で主人を思う姿が、個人的には非常に昭和時代の女性らしさを感じられて良かった。
そして一時は夫の文吉に嫌われて傷つき、いつも喧嘩をしてしまうものの、やっぱり主人が恋しくてしきりに彼の元へやってきたり、電話をかけたりする行動が、観ていて非常に旦那想いで素敵だった。自分もそんな女性に愛されたいなと思う。
またこういった時代劇にともさかりえさんの演技をお目にかかりたい。

次に、千夏の夫である門崎文吉役を演じた萩原聖人さんも素晴らしかった。萩原さんの演技を拝見するのも初めてだったが、萩原さんも衣装等も相まって渋い昭和時代の男性を演じるのがとても上手かった。
昭和時代の男性といった感じの着物と、ちょっと癖のかかった髪型もらしかったのだが、それ以上に萩原さんは渋さと滑稽さの両方を兼ね備える役者で、そこに素晴らしさを感じた。
いつも眉を潜めながら、けれどフジオの前では戯けてみたり、非常に奇策でフレンドリーなキャラクターにも惹かれた。それでもって容姿や出で立ちは、どこか昭和の朝ドラの男性にいそうな渋さがある。好きだった。

石持波子役を演じた緒川たまきさんも素晴らしかった。緒川さんの演技は「世界は笑う」で一度拝見している。
昭和の女性という点では、どちらかというとともさかりえさん演じる千夏の方が個人的には好きだったのだが、波子に関しては未亡人になっても石持家のことを強く思い、そして娘のことを非常に可愛がる姿が、昭和時代の女性だなと感じる。あの真っ直ぐな精神が好きだった。
石持家の親戚から、波子に対して好きな人を作って再婚して良いぞ的なことを言われた時の焦り方とかも、凄く波子の性格が出ていて好きだった。

ケーキ屋を営む佐久間一介役を演じた三宅弘城さんも素晴らしかった。三宅さんも「イモンドの勝負」で一度だけ演技を拝見している。
今回の芝居で大笑いした部分の大部分は、三宅さん演じる佐久間が絡んでいたように思える。そのくらい三宅さんは非常にコミカルな要素を担っていた。持ってきたケーキを大食いされてしまったり、打ちっぱなしに仲間と行ってゴルフクラブで叩かれたり、非常にひょうきんな芝居をされる方で、尚且舞台中に声が響く方なのでとても魅力的だった。
昭和初期の地方という落ち着いた印象はなかったが、彼みたいな役も物語を駆動する上で絶対必要で、とても重要な役だったんじゃないかなと思う。

若いキャストの中では、石持富子役を演じた富田望生さんが本当に素晴らしかった。富田さんの演技は、2019年に舞台「フラガール -dance for smile-」で演技を一度拝見している。
ちょっと体型がふくよかで、あまり恋愛上手って訳でもなさそうで、母が早く結婚して欲しいと心配する感じも凄く伝わってくる。でもそのふくよかな感じが、とても田舎娘らしくて愛らしくて彼女の気持ちに感情移入させられてしまう。
富子が泣き叫ぶシーンが何度かある。あの演技がとても好きだった。凄く子供っぽい感じがとても好きだった。だからこそ彼女の感情がどストレートに伝わってくる。とても素晴らしかった。

一方で、縄手やよい役を演じた清水葉月さんが演じる若き女性は、富子とは対照的でこちらも良かった。
やよいの昭和時代の都会の女性らしい茶色いコートが非常に似合っていたし、髪型もショートカットでとても似合っていたが、一番好きだったのがフジオの恋愛話を「うんうん」とにこやかに聞く姿が好きだった。
そして元気よく家を飛び出したり、文吉のことを好きになって手をつないだりと、今作での胸キュンなポイントを彼女の役が担っていて良かった。

あとは、石持一男役を演じた石住昭彦さんと、石持竹男役を演じた三上市朗さんの昭和の逞しい男たちのやり取りも風情あって好きだった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501230/1939802


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作は、特に凝った仕掛けのある戯曲である訳でもなく、何か強いメッセージ性のある作品である訳でもなく、まして新規性のある作品でもないシンプルな舞台作品だったと思うが、個人的には非常に好きな世界観に浸れて大満足だった。
ここでは、私がこの作品を観劇して感じたことをつらつらを書いていこうと思う。

ケラさんは、今年(2022年)は「世界は笑う」と今作の「しびれ雲」ということで2つの昭和レトロな舞台作品の新作を世に生み出した。昭和レトロな世界観は演劇の世界とかなり親和性の高いものであると思うが、この「世界は笑う」と「しびれ雲」は、同じ昭和レトロを扱っていても毛色は全く異なる。
8月に上演された「世界は笑う」に関しては、1950年代の新宿が舞台であり、戦後の高度経済成長真っ只中の物語。その時代に生きる昭和喜劇人たちを描いた群像劇である。場所が昭和30年代の新宿というのもあり、映画「ALWAYS三丁目の夕日」で登場するような活気づいた昭和の東京だったり、横浜のラーメン博物館のような、どこかファンタジーな昭和レトロな世界がそこにはあった。
私自身は行ったことがないが、西武園ゆうえんちも2021年に昭和の熱気に満ちたテーマパークをコンセプトに生まれ変わったが、きっとこのような世界観に近いのではないかと思う。現代人が思い描く、ファンタジー色の強い昭和レトロだと思う。そんな世界の中で、尖った喜劇人たちが生死をかけるかのようにピリピリさせた人間たちの群像劇を描いている。
一方で「しびれ雲」はというと、時代も昭和初期というのもあって時代も多少異なるのだが、場所が田舎町の地方で穏やかな港町となっていて、そこにずっと暮らし続ける住民たちの人情溢れる群像劇だったように思える。舞台セットも「世界は笑う」と比較すると地味で、背後に海が広がり、民家の外壁と旧家の座敷が舞台上に展開される。
だか個人的には、本当の昭和レトロってこっちの方がリアルに近いんじゃないかなと思う。自分が生まれ育った町というのは、決して昔は西武園ゆうえんちのテーマパークのような景色だった訳ではない。むしろ、「しびれ雲」で描かれるような地味な世界観だと思う。
だからこそ、「しびれ雲」の世界観の方が個人的にはノスタルジーを感じられて親近感を味わえ、心地よい空間に感じられたのかもしれない。自分は「世界は笑う」よりも「しびれ雲」の方が満足度は高かった。
ノスタルジーを感じられたからこそ、昭和の朝ドラのようにも感じたのかもしれないし、心がじんわりと温まったのかもしれない。
そして「しびれ雲」では登場人物皆が心温かくて、皆感情移入が出来て人間としても観ていて面白かったので好きになれたのかもしれない。登場人物全員が愛おしかった。

ここからは、この「しびれ雲」の脚本に関する考察をしていこうと思う。先述したように、この脚本はどこか新規性がある訳でも、強いメッセージ性がある訳でもなくシンプルなお話になっている。
そして個人的には解釈の余地が意図的に多く残されている物語だと感じた。そこに演劇の良さを上手く活かせている気がした。

例えば、フジオは東京から記憶を失ってやってきて梟島の人々に救われるが、彼はどうやら素晴らしい経歴を持つ人物らしいのだが、果たして何者なのか、そしてどうして梟島にやってきたのか、一切劇中では明かされない。そこに解釈の余地を大いに残していると感じた。
一方でその対比として登場するのが、梟島の坊主である。その坊主はどうやら坊主としていることに嫌気が差してしまったらしく、東京に行ってジャーナリストになる。そこでフジオの正体を知ることになるのだが。
そこから類推するに、フジオも東京の暮らしに嫌気が差してしまって、田舎に漂流したくなったのだろう。今までの過去を一切捨てて。物語の最後に、フジオが過去「オオツダイスケ(たしか)」として過ごしてきた証となるものを全部海に投げ捨てた。きっと都会での生活が嫌になったのだろう。都会でバリバリ仕事をするよりも、もっと人と人との繋がりを大事にして人間らしく生きたかったのかもしれない。
しかし、これもあくまで推測なので、ここの解釈に関しては観客それぞれで異なると思うので、そういった議論が出来るような余白を感じられて好きだった。

そしてもう一つ、今作のタイトルにもなっている「しびれ雲」。この「しびれ雲」は、梟島に出現すると、島の潮目が変わる不思議な雲と言い伝えられているだけで、どんな形状の雲なのか、どんな色をしているのか、全く描写されていないので、こちらも非常に観客の想像に委ねられている箇所である。
この「しびれ雲」は劇中で2回出現しているが、それによって梟島の住民たちはどう変わったのだろうか。
まず一回目の出現は、フジオがこの梟島にやってきたという潮目の変化がある。そしてそれが原因ではないが、石持家の一男も寿司屋に成りきったりと狂い始めたり、門崎の夫婦の仲が悪くなって別居を始めたり、富子が伸男の勘違いによって、死んだ父親国男を疑い始めたりする。
しかし、二回目の「しびれ雲」の出現によって、石持家の一男の狂った様子は収まるし、門崎夫婦も仲直りするし、富子と伸男の勘違いも解ける。しかし、フジオは東京に帰ることになるのかと思いきや、彼はその証拠の紙を海へ投げ捨て梟島へ留まることを決意する。

その心境の変化が、果たして「しびれ雲」のせいなのかは観客の解釈に委ねられる所である。そして、なぜかフジオだけはその「しびれ雲」による潮目の変化の影響を受けなかったことも、何か解釈の仕方があるのかもしれない。それは元々梟島の人ではないからかもしれない。でも梟島に馴染むフジオがいる。

そんな形で、今作は私にとってはとても好みに合った舞台作品であり、こうやって解釈の余地を多く残してくれるシンプルな作品だったからこそ、その面白さにも響いた気がする。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501230/1939803


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