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舞台 「逢いにいくの、雨だけど」 観劇レビュー 2021/04/17

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【写真引用元】
iaku公式Twitter
https://twitter.com/iaku_info

公演タイトル:「逢いにいくの、雨だけど」
企画:iaku
劇場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
作・演出:横山拓也
出演:尾方宣久、異儀田夏葉、橋爪未萠里、近藤フク、納葉、松本亮、川村紗也、猪俣三四郎
公演期間:4/17〜4/25(東京)、5/8〜5/9(大阪)
上演時間:約120分
作品キーワード:会話劇、群像劇、家族
個人評価:★★★★★★★☆☆☆

2021年の岸田國士戯曲賞でも最終選考にまで選ばれた、演劇ユニットiakuの横山拓也さんの代表作の再演ということで観劇。
物語は、1991年夏とその27年後の2018年冬の出来事を同時進行に描いたもので、1991年夏にキャンプに出かけた幼き金森君子と大沢潤の間で起きた事件が、27年もの歳月を経てある出来事をきっかけに再び顕在化し二人の時間が動き出すというもの。
数々の重苦しいヒューマンドラマを劇場で観劇してきた自分にとって、今作で描かれる事件はそこまで重たいテーマには感じなかったのだが、それでも自分だけ成功して良いのかとか、自分が過去してきたことに対して長い間相手を苦しめているんじゃないかと、ずっと心の傷を背負い続ける慢性的な苦しさを感じて、誰にでもある普遍的な心の傷だからこそ観劇していて胸が痛く感じた。
そしてキャストさんが全員はまり役でとにかく素晴らしい。中でも、君子を演じるKAKUTAの異儀田夏葉さんと潤を演じるMONOの尾方宣久さんの二人のやり取りは、思いも寄らない形で噛み合っていそうで噛み合っていない辺りがもどかしかった。凄く形容し難い感情にさせられた。シリアスな内容に見えて、風見を演じた松本亮さんの明るく間の抜けた感じが笑いを上手く劇中に取り入れてくれて、良い中和反応を起こしてくれた。
この繊細な物語は、映画化されてしまうときっと薄れてしまうんじゃないかと思った。舞台で生の芝居として目撃することで、何かを思い、何かを感じられる作品だと思った。多くの人にオススメしたい。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/424950/1577288


【鑑賞動機】

横山拓也さんが手掛けるiakuの作品はいつか観劇したいと日頃から思っており、今回は初演時に評判の良かったiakuの代表作ということで観劇した。今回の劇場であった、三鷹市芸術文化センター星のホールも以前からずっと行ってみたいと思っていた劇場の一つだったので、劇場の雰囲気も堪能したいと思っていた。期待値は高め。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

この物語は、幼馴染の金森君子(異儀田夏葉)と大沢潤(尾方宣久)の二人が中心となる物語で、二人が小学生だった1991年夏と大人になった2018年冬の2つの時間軸で起きた出来事が同時進行で描かれる。ただ、内容を書き起こす上で時系列順に説明した方が分かりやすかったので、そのように書き記していく。

1991年夏
君子は絵画教室の幼馴染である潤と2泊3日のキャンプへ行くといって家を出発する。君子は数年前に母親のヨウコを病気で亡くしており、ヨウコの妹で君子にとっては叔母の小出舞子(橋爪未萠里)が君子の母親代わりとして世話をしていた。舞子が君子を見送ると、君子の実の父親である金森悠太郎(近藤フク)が起きてきた。舞子は君子に対してもっと父親らしく振る舞うように悠太郎に説教をする。しかし、学習塾経営の社長出勤をするような悠太郎にとって、舞子の言葉はあまり響いていないようだった。

その日の夜、君子とキャンプへ出かけた潤の両親である大沢秀典(猪俣三四郎)と大沢和子(川村紗也)は、おしどり夫婦のようで秀典が今日は潤がいないから二人で久々に外食でもして夫婦水入らずの時間を過ごそうと提案するが、和子は今日の夜は20時まで久々に悠太郎(君子の父)と会う約束をしていると外食を断る。和子と悠太郎は学生時代同じクラスメイトだったということもあり、お互い結婚してからも時々二人で会っている仲であった。
秀典は寂しそうな素振りをしながら、和子が悠太郎と会ってくる約束を容認し、帰ってきてから二人での時間を過ごそうと約束する。
悠太郎と和子は食事をする。くだらない話を出来る間柄はこの二人でだけだとお互い再確認する。
しかし和子はきっかり時間を守って20時には切り上げて帰宅する。

その夜、キャンプ先で潤は君子に向けて羊の絵を描いてみせる。
そして、君子がキャンプへ持ってきたガラスで出来た筒状のおもちゃを、潤は物珍しそうに取って眺めて中を覗いてみたりしていた時、君子の覗いたら危ないという忠告があったにも関わらず、潤はそのまま中を覗いて見ておりその際にガラスの破片が左目に入ってしまって大怪我をしてしまう。

悠太郎は和子と会った帰り、舞子からの電話でキャンプ先の潤が君子が持っていったガラスのおもちゃで目を怪我して病院へ運ばれたことを知る。悠太郎と舞子はすぐさま病院へ向かう。
同じく潤の自宅で留守番をしていた秀典の元へも電話で連絡があり、秀典と和子で潤の運ばれた病院へ向かった。
秀典は潤の目が失明したらどうしようと心配する思いと同時に、なぜ君子に危ないガラスのおもちゃをキャンプへ持ち込ませたのかと悠太郎と舞子を強く批判した。君子の親と潤の親の間柄が不仲になってしまうことを避けようとした和子は、必死で感情的になる秀典を抑えようとする。
悠太郎は今回の事故で発生する手術費用は全てこちらで負担すると言い残し、悠太郎と舞子はその場を避る。

数日後、潤の左目は手術を行った結果失明ということになる。悠太郎、舞子と秀典、和子の4人は今後のことについて話す場を設ける。
手術費用の負担については、絵画教室の方で保険が下りるらしく、負担費用は発生しなかった。しかし、秀典はこれだけは言っておきたいと言って、悠太郎と舞子の二人の責任で潤が失明してしまったことを改めて強く主張する。そしてまた一触即発の状態となってしまい、その間を必死で和子が取り持つ。
秀典は、自分の息子が頭も良く絵を描くセンスもあったため、このまま何の障害も持たず大きくなってどんな大学に進学して、どんな会社に勤めて、どんな人といつ頃結婚するのだろうかと楽しみにしていたのに、左目を失明してしまって障害を持ってしまってその楽しみを奪ってしまい、どうしてくれるんだと悠太郎と舞子に向けていってしまう。
舞子が何か君子のことについて語ると、あなたは君子の母親ではないではないかと秀典は言ってしまう。
秀典は、今後君子と潤を会わせないようにするためにも、大沢家は遠く埼玉へと引っ越しをすると言う。
君子と潤の親はその場を去る。

秀典は、まるで左目を失ってしまった潤には興味が無くなってしまったかのように、和子に対して一人っ子って大変だなあ、もう一人子供を産もうと言ってくる。和子はそんな秀典を受け入れられなくなった。
一方、舞子は悠太郎に対して君子の母親になるために私と結婚して欲しいと告げる。悠太郎は驚く。ヨウコが亡くなって5年間一緒に過ごしてきて時間は十分に経ったから、君子のためにもこれは必要なことだと迫る。しかし、悠太郎は受け入れてくれなかった。

その後、大沢家は埼玉へ引っ越してお互い会わなくなった。潤は絵画教室を辞めた、それ以来君子と潤は会わなくなった。悠太郎と和子も会わなくなった。
悠太郎は舞子と君子の元を離れて一人でアパートを借りて暮らすことになった。そして、大沢家でも潤の失明をきっかけに秀典と和子との仲は悪化し、秀典は和子、潤の元から去って一人暮らしを始めた。


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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/424950/1577287


2018年冬
27年後、君子は焼肉屋でバイトしながら絵本作家として活動していた。そして「名探偵羊のメイタン」という絵本を発表し、その作品で絵本作家の新人賞に応募していた。
君子の元に一本の連絡が入る。それは、君子が絵本作家新人賞に選ばれたという連絡だった。君子は大喜びし、彼女のフリーのマネージャーである石本智(納葉)も大喜びしていた。
君子と石本は、絵本作家新人賞の授賞式に呼ばれることになった。授賞式にあたり、いくつか質問されることがあると思うので、その想定質問を石本は君子にいくつかしていた。しかし、君子的には絵のことよりも脚本についてもっと質問して欲しいといった素振りだった。

一方、潤は自動販売機の飲み物を売る営業マンとして働いており、今日は野球場に来ていた。そこで昔から野球をやっていた風見匡司(松本亮)という男と知り合う。お互い片目を失明しているということで仲良くなった二人は、潤は風見に向けて年賀状を描いて送りたいといって、その運びとなる。

君子の絵本作家新人賞の授賞式当日、様々なことを質問攻めにされて緊張した君子だったが、「名探偵羊のメイタン」に出てくる羊の絵について聞かれた時、ふとその絵のモチーフとなった小学生の時一緒にキャンプに行った潤の羊の絵をそっくりそのまま真似していたことに気がつく。
それから君子が、そんな潤の描いた羊をパクって絵本作家の新人賞を授賞したことに罪悪感を感じ始め、しばらく会っていなかった潤に会って、今回の絵本作家新人賞を授賞したことを報告したいと強く思い始める。

年が明けて、潤は野球場で再び風見に会い、潤が送った年賀状の話題になる。今年の干支が何であるか忘れてしまっていた潤は、年賀状に十二支全ての絵が描かれていた。それを見て滑稽に思う風見だったが、そこに描かれていた羊の絵が、この前絵本作家として新人賞を授賞した「名探偵羊のメイタン」に出てくる羊にそっくりであることを指摘する。
潤は驚く。その「名探偵羊のメイタン」の作者が、自分の幼馴染の小出君子だったからである。潤はそこで初めて、君子が絵本作家として活躍しており、彼女が最近新人賞を授賞したことを知る。潤は無性に君子に会いたくなる。
そこで、風見は潤と君子を会わせようと、その場を設けようと準備を始める。

石本の元に一本の電話が入る。それは、絵本作家としての君子のファンとかではなく、野球場で仕事をしている風見からだった。そしてそれが、潤という君子の幼馴染との繋がりであることを知り、君子と石本は潤の居場所が分かったので逢いにいくことになる。
寒い寒い野球場で、君子と石本は風見と共に潤が来るのを待つ。
潤がやってくる。
君子は昔、潤が描いた羊の絵を使って絵本作家新人賞を授賞してしまったことや、あの事件のことについて何も謝ることなく今まで来てしまったことについて謝った。だが、潤は別に君子のことを恨んでいた訳でもなく、今の義眼となってしまった自分の身体を受け入れて暮らしているので、謝ることはないと優しくなだめてくれる。
しかし、風見はそんな潤の優しさに腹が立って、そんなことで許してしまって良いのかって勝手に熱くなっている。また石本は、潤もそんなに気にしてないみたいだし、そこまで謝らなくてもと君子をなだめる。
潤は冗談で、じゃあ僕と君子で何か一緒に絵を作ろうかと提案するが、君子は本気で乗ってしまって何か一緒に作ろうと約束しようとする。
潤と君子は去る。

潤は、自分は今の人生を受け入れて幸せに暮らしていたのに、まるで自分の人生が君子の人生より劣っているような前提を押し付けられているような感じがしてムカついたなあと感じつつ、冗談で提案した君子との共同制作について本気にさせてしまったことで困惑する。
風見は、今でも自分の目を失明させた野球部の監督のことを恨んでいるが、監督が異常なほど自分を優しくしてくる性で恨みをつぶやけないんだと言う。

君子は潤に再会出来たことで、自分がずっとモヤモヤし続けてきた思いを伝えることが出来たと喜びを感じ、その勢いで叔母の舞子に連絡をする。久しぶりに潤に会ってきたと。舞子は電話越しに戸惑っていた印象だった。そして、このまま悠太郎にも今回の新人賞授賞の報告をしたいと申し出る。

また潤は和子に電話で、君子と再会したことを連絡した。和子もやはり戸惑っていた印象だった。ここで物語は終了。

上演時は、この1991年夏と2018年冬の出来事が同時進行で描かれていたので、終盤は君子と潤が再会するシーンと、舞子・悠太郎、秀典・和子に亀裂が入るシーンが同時だたので、ラストへの畳込みが半端なかった。
潤が左目を失明するという、ヒューマンドラマのテーマとしてはそこまで重々しいものではないのだが、登場人物それぞれの思いや心情が丁寧に描かれていて、それがワッと表に出てきてぶつかりそうになるからこその、辛さや痛みを感じた。
映画化も可能ではあると思うが、この作品の深みを感じ取るという意味では生でこうやって舞台として観られたことによって味わえたんじゃないかと思っている。
この作品の深い部分に関しては、考察部分で触れるとする。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/424950/1577290


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作品の世界観は、物凄く観客が微睡んでしまうような不思議なエモーショナルな空間に感じられた。凄く繊細で、凄くきめ細やかで贅沢な時間を堪能することが出来た。
いつもの通り、舞台装置、照明、音響、演出の順番で見ていく。

まずは、舞台装置。この舞台装置の独特なオーラが世界観全体も不思議なエモーショナルな空間にしていて、物凄く好きだった。
舞台装置は、まるで階段のように上から下へ向けて段々になったもので、まるで全体が野球場のスタンドをモチーフにしたような感じだった。全体的に黒いのだが、その階段のようになっている段の部分が白くなっていて、黒い物体に白い縞模様が横に何本も入っているような不思議な出で立ちになっている。
そして、その舞台装置の中央部分には、ぽっかり空洞のようなものが空いており、その左端、右端にはデハケが、中央には壁が設置されていて、周囲の階段状になっている白のラインに合わせて、壁にも白くラインが横に引かれている作りになっていた。
この段上になっている部分に乗って、役者たちは演技をするので、その立ち位置だったりがそれぞれのシーンで工夫されていて好きだった。
特に、ラストの潤と君子が再会して話をするシーンでの風見と石本の立ち位置が、凄く潤と君子を客観的に見下ろしつつお互い自分の連れ(風見だったら潤、石本だったら君子)の味方になって言い合っている構造が好きだった。
また、その舞台装置の手前の平らなステージで演技が繰り広げられることもあり、例えば1991年夏の舞子・悠太郎と和子・秀典夫婦が重たい雰囲気の中話し合うシーンとかが主にそうなのだが、そこも一番手前ということもあり臨場感あって痺れた。

次に照明。照明は基本的に奥の野球場のスタンドをモチーフにした舞台装置を照らす照明と、手前側のステージを照らす照明で分かれていたが、基本は通常の白い照明で照らされていた。
特に印象に残ったのは、潤がガラスのおもちゃで左目を失明させてしまうシーンでの赤い照明。鮮やかな色を使った照明効果が数少なかったので、とても印象に残る演出。それと、どのシーンかは忘れた(たしか悠太郎と和子が食事をしたシーン?)が、舞台の背後にあったワイヤーみたいなものが神秘的に照らされる演出が物凄くエモーショナルで好きだった。凄く神秘的、語彙力ないがそれに尽きる演出だった。

そして音響、まず客入れの音楽が素敵。テンポがゆったりとした心が落ち着くようなBGMがかかり、開演で暗転しながら曲のボリュームも大きくなっていくあの感じによって、一気に舞台の世界へ惹き込まれていく。
それ以外は特に音楽がかかるシーンはなかったが、潤が失明してしまう事故のシーンで、君子の台詞が音声でかかるあたりが好き。以前拝見した、ウォーキング・スタッフプロデュースの「岸辺の亀とクラゲ」でも似た演出があったが、物語全体の鍵となる過去の話が音声によって流れるという演出方法は、現在の時間軸を生きる登場人物が過去のことを思い出すという動作にも感じられるし、今舞台上で演じられていることと別の世界で起こった出来事であるという差別化にも捉えられて凄く好きだった。
また、今作では度々登場する電話の音も良かった。携帯電話が鳴る音、家電が鳴る音、全て効果音も異なっていてこだわりを感じた。スピーカーも至る所に設置されているんじゃないかと思う。

最後に演出、印象に残った演出部分をいくつかピックアップして触れておく。
まず、悠太郎・舞子、秀典・和子の男女関係をエモーショナルに描いている点がとても素晴らしかった。悠太郎と舞子のもう少しで男女の仲になってしまいそうなドキドキさせるようなシチュエーションと演出、秀典・和子のお互い体をくっつけ合う仲睦まじい演出は非常にエモい。また、悠太郎と和子は二人で会食をするも、和子がしっかり友人関係という線引をしっかりしていることを出しているので、この二人は男女の仲には発展しないなと観客に察知させるようになっている演出がとても上手くて、安心して観ていられた。
次に、これは物語の進行の仕方にも依存してくる話なのだが、伏線の入れ方が物凄く上手いと感じた。例えば「キャベツと玉子の味噌汁」だったり、羊の絵だったり、27年前と現在をつなげる伏線の入れ方が良かった。
また、シリアスな内容ながら所々笑いを誘ってくる演出も良かった。特にその役を担っていたのが、風見役の松本亮さんである。鳴っている携帯電話に出ずに鳴り止むのを待つ演技だったり、ちょっと潤を小馬鹿にする素振りだったりが面白い。
後は、最後の潤と君子が再会するシーンと、悠太郎・舞子、秀典・和子が話し合いをするシーンの1991年夏と2018年冬の2つのシーンが同時進行で上演される構成は物凄く素晴らしいと思った。潤と君子の再会シーンをやる時は、照明が舞台装置側のものが照らされ、悠太郎・舞子、秀典・和子はフリーズした形に、話し合いのシーンをやる時は、照明がステージ手前側だけ照らされ、潤・君子・風見・石本はフリーズした状態になる。この2つのシーンが同時に描かれることで個人的に感じたのは、この二つの出来事は潤と君子が離れ離れになるきっかけと、そこから再会するという、長い長い苦悩の呪縛の始まりと終わりな訳で、あのガラスのおもちゃの失明事件を通して、それぞれが全く別々の思いを抱いて、お互いを気遣っているようで基本皆自分本位であるというような印象を抱いた。結論、みんな自分を第一に考えていて、それを上手く演出して観客に分かりやすく提示したのが、今回のこの演出方法だったのかなと思った。こちらは、考察パートで深く書くことにする。
とにかく、要所要所に工夫された演出技法が取り入れられていて素晴らしかった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/424950/1577289


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

全員がはまり役で素晴らしいキャストさんばかりだったので全員について触れたいが、今回も特にピックアップしたいキャストさんだけに留めて記載する。

まずは、今作のヒロインである金森君子を演じたKAKUTAの異儀田夏葉さん。異儀田さんの演技は、KAKUTAの「往転」と「ひとよ」で演技を拝見しているが、大舞台で登場キャストも多かったので、少ない配役でしっかりと演技を拝見出来るのは初めて。
物凄く絵本作家らしいと言ったら偏見になってしまうかもだが、凄く人情味に溢れていてずっと努力をしてきたんだろうなというのが滲み出るようなキャラクターであることが凄く伝わった演技だった。
授賞式の時に緊張して上手く答えられなかったりする不器用な性格もなんとなく窺えるし、27年経った今でも潤に対して自分がやってしまったことに対して、ずっと罪悪感を感じるという、凄く人想いな部分も凄くキャラクターと演技が合っていてハマり役だった。

次に、主人公の大沢潤の役を演じたMONOの尾方宣久さん。彼の演技は初めてお目にかかるが、なんだろうあの純朴そうで愛嬌あふれるキャラクター性は。
この役も君子同様、キャラクター性と演技が物凄くマッチしていて、本当に心優しくて穏やかな人間性を感じた。きっと周囲の人間から愛されるキャラクターだろうなと思った。
自分が失明したことに対してこれっぽっちも君子を恨むことがなかったという、潤の純粋で無垢な性格だったり、すぐに風見という人間と仲良くなってしまう人の良さが凄く観ていて心地良かった。彼とは自分も友達になりたいと思えるくらいのクセのない人間性に惹かれた。そしてそんな役を演じきった尾方さんにもあっぱれ。

風見匡司役を演じた松本亮さんも物凄く良かった。松本さんの演技を拝見するのも初めて。
凄く風見さんも人当たりの良さを感じさせる自然な演技に感動した。人と話す仕事をずっとしてきたんだろうなと思わせるくらい、人当たりが物凄く良い感じが要所要所で窺えた。例えば、缶コーヒー温かいのと冷たいののシーンとか、潤の過去のことを興味を持って盛り立ててくれる部分とか、腰を低くしながら会話するキャラクター性が凄く観ていて惹かれた。
そして時々笑いを取りにかかるような素振りを観せてくれるのも彼だった。凄く今作で重要且つ貴重な役だったと思う。素晴らしかった。

最後は、君子の叔母にあたる小出舞子を演じた橋爪未萠里さん。彼女の演技も初めて拝見。
第一印象は、物凄く声が高くて魅力的な女優さんだと思った。異性として惹きつけられるくらいの声にまずは感銘を受けた。
そして、序盤のシーンのあの君子を気遣いながら、悠太郎にもっと父親らしく振る舞うよう働きかけるシーンが凄く自然で素敵だった。
それから、演技の方も特に印象に残ったのは、終盤の悠太郎に結婚を申し込むシーン。凄く覚悟の感じられるあのシーンは、他の砕けた感じの舞子とは違ったものを感じて素敵だった。
印象に残った女優ということで、石本智役の劇団献身の納葉さんもそうだったのだが、個人的にはあの力強い感じの演技が、この舞台ではちょっと浮いた感じに見えてしまって上手くハマっていない感じがした。褒めいている方もいらっしゃったので賛否両論なのだと思うが、個人的にはもっと力を抜いて押さえて欲しかった印象。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/424950/1577291


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

私はこの作品を観劇してみて思ったことは、世界観・演出の最後の箇所でも書いたが、結局は登場人物全員が他人のことを考えているようで自分のことが一番なのだなあと思ってしまった。その理由について書きながら今作を考察していく。

「他人のことを考えているようで自分のことが一番」だと強く感じたのは、潤の父親である大沢秀典と君子の父親の金森悠太郎を見てである。
個人的には秀典というキャラクターを好きになれなかったのだが、その一番の原因は、決して潤という息子を愛しているからではなく、何の障害もなくすくすくと健康的に育った理想の息子がいて欲しいという自己欲求だったということである。
左目を失明するまでの潤は頭も良くて健康的な、正に理想の息子だった。しかし事故によって義眼になったことで秀典にとっては理想の息子ではなくなった。だから秀典にとっては可愛い息子ではなくなり、もう一人子供が欲しいと言い出したのである。これって物凄く身勝手で自己中心的な発想だなと思ってしまって苛立った。それは潤への愛情ではなくて完璧で理想的な息子への愛だったのだなあと思ってショックだった。

悠太郎に関しては、きっと潤が失明する直前の中途半端な状態が自分にとって一番心地よかったんじゃないかなと思う。君子のことは舞子がやってくれるし、自分は和子とも好きな時間に会うことが出来て、別に結婚している訳じゃないから罪悪感とかもない。
悠太郎というキャラクター性は、どこか信念みたいなものを全く感じさせない、中途半端な状態に頼って現実から逃げている人間に感じた。だから、舞子に結婚を申し込まれる状態になった時、奥さんとして舞子と接しなくてはいけないという覚悟が出来なかったから、舞子と君子と距離を置いてしまったんじゃないかと思う。

「他人のことを考えているようで自分のことが一番」だと強く感じた人物はもう一人いて、ヒロインの君子自身もそうだったんじゃないかと思っている。
君子はたしかに人情味に溢れる他人想いな部分が強い女性である。自分は潤や舞子といった二人の人を苦しめて生きてきてしまったと、自分の人生を悔いている。その上、自分だけ絵本作家の新人賞を授賞してしまってと。
しかし、潤は小学生の時に君子の持ち物によって左目を失明したことに対して、特に恨みはなかった。今はそんな自分を受け入れて平凡に暮らせていることが幸せだった。ただそれを聞いても、君子は無理やり一緒に潤と作品作りをしようなんて案に乗り気になってしまっている。
これは単純に、君子の中で人の犠牲の上で自分は成功してしまったという彼女なりの強い罪悪感があって、それを必死で払拭したいがためなんじゃないかという自分本位さがあるように感じる。
自分がやったことをただただ正当化したい、自分が気持ち悪い思いを今後したくないから潤に謝って、潤に優しくして潤が喜ぶようなことをしたいという気持ちなんじゃないかと思う。
それを見透かした風見は、それに対してネガティブな感情を抱いたんだと思っている。まるで自分が野球部の監督から受けている異常な優しさとなんも変わりはないから。自分がやらかした過ちを必死で拭い取ろうと頑張る行動に苛立ちを感じているから。「ふざけんなよ」って言い出せない状況を作っているから。

それにしても、この潤という人物は凄い純朴で人間の闇みたいなものを全く感じさせないピュアな人だと思った。
自分が失明したことをきっかけとして、君子にも会えなくなったし、君子の親たちと自分の両親の間柄にも修復不可能な亀裂が入ってしまった。それに加えて、おしどり夫婦だった秀典と和子の間も不仲になり、秀典は家を出ていってしまった。
こんな状況になったら、普通の人間は生きづらく思えてきそうだけど、潤はすくすくと純朴に育っていて凄いと感じた。単純に無神経なんだろうか、闇に対する免疫が強いんだろうか、いずれにしても凄い。


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