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舞台 「フタマツヅキ」 観劇レビュー 2021/11/03

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【写真引用元】
iakuTwitterアカウント
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【写真引用元】
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公演タイトル:「フタマツヅキ」
劇場:シアタートラム
劇団・企画:iaku
脚本・演出:横山拓也
出演:モロ師岡、杉田雷麟、清水直子、鈴木こころ、ザンヨウコ、平塚直隆、長橋遼也、橋爪未萠里
公演期間:10/28〜11/7(東京)、11/12〜11/14(大阪)
上演時間:約120分
作品キーワード:家族、親子、落語、クスッと笑える
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


今年の岸田國士戯曲賞の最終候補にも名前が上がった、演劇ユニットiakuを主宰する横山拓也さんの新作公演を観劇。
iakuの舞台作品は今年4月に再演された「逢いにいくの、雨だけど」に続き2度目の観劇。

今作は、昭和を生きた元噺家のダメ親父と、平成に生まれて夢を持たずに大人になろうとしている息子の家族の物語。
登場人物が皆はまり役で、皆人間臭くて、だからこそ好きになれる、そんな人物たちばっかりで非常に面白い作品だった。

主人公のモロ師岡さんが演じる親父の鹿野克が、本当に典型的なダメな昭和親父で、良い年して定職についていないにも関わらず、落語が好きでプライドが高くてちょっとのことですぐ挫折してしまうある種子供のようなキャラクターだった。
個人的にはこの親父に終始イライラしていて、そんな親父を甘やかすようになだめる妻の鹿野雅子にも憤りを感じながら観ていた。
だからこそ、息子役の杉田雷麟さんが演じる鹿野花楽に共感していた。

脇役のキャスト陣も皆ハマり役ばかりで、鈴木こころさんの恋愛に一途で楽しそうな感じが凄くイマドキの若い女性にありそうな自然な演技だったり、ザンヨウコさん演じるギャラリーのオーナーが本当に近所のおばさんとしていそうなくらいリアルで人当たりの良いキャラクターにも惹かれた。
若い頃の鹿野克と鹿野雅子を演じた長橋遼也さんと橋爪未萠里さんのカップルも、凄く会話が面白くてずっと観ていたいと思えた。

現代の日本において実際にありそうなリアルな親子関係だったので共感する人たちも多かったはず、落語の話が登場するが落語の知識がない私でも十分楽しめたので多くの人におすすめしたい作品。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/451198/1690714


【鑑賞動機】

今年4月に上演された「逢いにいくの、雨だけど」を観劇して非常に感動したので、作品を手掛けたiakuの横山拓也さんの作品をまた観たいと思っていた。今作は新作公演ということなので、来年の岸田國士戯曲賞のノミネートにもなる可能性も秘めているので観劇しようと思った。
また今作の主役である鹿野克役を演じるモロ師岡さんは、今年の9月に上演された舞台「ヒミズ」で圧倒的な存在感を放って魅力を感じたので、今作ではどんな一面が観られるのか期待した。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

この物語は、落語家の鹿野克(モロ師岡)とその妻の鹿野雅子(清水直子)が出会った頃の話と、結婚して息子の鹿野花楽(杉田雷麟)が社会人になろうとする現在の話の2つの時間軸が同時並行で進んでいく。
ここでは、時間軸が言ったり来たりするが上演された順になぞってストーリーを解説していく。

ある日の夜、暗い畳部屋で一人、花楽は毛布にくるまってうずくまっていた。その時台所では、克がブツブツと落語を誰もいない中で一人演じていた。
そこへ雅子がやってくる。雅子は、克が今では落語家を辞めてしまって他のアルバイトで生活しているものの、かつて落語家として活躍していた彼をずっと好きでいた。
雅子は花楽の元へ向かい、花楽の就職先が無事に決まったことを聞くと心から祝福した。花楽は、人のためになる仕事に就きたいと地元で介護士として働くことになるのだと言う。

克は今の仕事場であるギャラリーに居ると、落語家をやっていた頃の弟弟子であったニ荒亭茶ノ木(平塚直隆)に会う。茶ノ木は今でも克の落語がもう一度聞きたいと熱烈に彼の落語を支持しており、今度高齢者施設で落語の上演会をやることになって出演してくれないかと依頼する。
克は茶ノ木の依頼を断ってしまう。

時間は遡って、克と雅子が出会う頃の話。
サワタリ劇場の屋上で、暗い面持ちでずっと立ち尽くしていたマサコ(橋爪未萠里)の元へ、スグル(長橋遼也)というチャラそうな若い男が、今から始まるお笑いライブに自分が出演するから1000円で見に来ないかと勧誘してくる。マサコはテンションの低い暗い面持ちのまま、スグルに誘われてお笑いライブを見ることになる。

時間は現在に戻る。
克は雅子に茶ノ木から落語の誘いを受けたが断ったことを伝える。雅子は残念そうに呟く、引き受ければよかったのにと。また克が落語家としてステージに上がることを夢見ていると雅子は伝える。
一方、畳部屋では花楽と、彼の幼馴染であり恋人関係でもある竹橋由貴(鈴木こころ)がいた。由貴は花楽が介護士に就職するという話を聞いて、「給料良いの?」とあまりポジティブではない聞き方をしていたが、彼女は花楽のことを異性として好きなようである。途中で雅子が襖を開けた時に、「良かったね、二人が裸になった時でなくて」と言ったり、結婚の話を持ち出したりしていた。

時間は遡って、克と雅子が出会った頃。
マサコはスグルのお笑いライブを見てドハマリしたようで、テンションがやけに高くなっていた。そしてマサコは仕切にスグルに感謝の言葉を伝え、スグルは困ったように照れていた。どうやらマサコは今まで東京で苦しい思いをずっとしてきており、その気持から解放された気分だったようである。
そしてマサコは、そのままスグルを食事へと誘おうとする。スグルは女性からグイグイくる様子に困惑したが悪い気はせず、そのまま二人は店へと向かう。

時間は現在に戻る。
克はギャラリーサワタリで一人で落語の練習をしていた。そこへオーナーの沢渡裕美(ザンヨウコ)がやってくる。沢渡は克に対して、落語の練習しているの?と驚いた表情で聞かれるも、克はいや落語の練習はしていないと嘘をつく。しかし隠していたつもりの扇子やらが床に落ちてしまい、完全に落語をやっていたことがバレてしまう。
その後、妻の雅子も沢渡経由で話を聞いたらしく、克が隠れて落語の練習をしていることを知ってしまう。引退はしたものの、どうしても夢は捨てきれなくて、落語を密かにやり続けている克を雅子は後押しして、茶ノ木の誘う落語上演会に出るように言う(この辺の記憶自信がありません)。
克は茶ノ木が主催する高齢者施設での落語上演会に参加することになる。

花楽は由貴と将来の夢について話をしていた。
由貴は今でも将来の夢を抱いていた。しかし花楽は将来の夢を抱いていなかった。花楽は自分の父親が嫌いで、夢を抱いたまま自由気ままに生き続けて家族を困らせるような生き方をしたくなかった。だから人の役に立てるような、社会貢献できるような職業に就いた。
由貴は、でも小さい頃は将来の夢はあったでしょ?と花楽に聞く。花楽は、小さい頃の将来の夢は「落語家」だったと呟く。
その後、花楽は一人で今の心境をまるで落語のように語り始める。

時間は遡って、若かりし頃のスグルとマサコ。
二人は付き合いだしていくばくか時間が経過した後のようであった。畳部屋でマサコはスグルに対して、落語をやってみたらどうかと薦める。スグルはマサコの進言の元落語に挑戦してみることになる。
そして、マサコの方からスグルへプロポーズし結婚することになる。

時間は現在に戻る。
ついに克は、茶ノ木が主催する高齢者施設での落語の上演会で落語を披露することになる。しかし、久しぶりに舞台へ上がったせいか緊張して序盤で台詞が出てこなくなる。
克はテンパってしまって、そのまま舞台を退出してしまい会場を去って行方を眩ませてしまう。

時間は遡って、マサコのお腹に赤子が授かった。
マサコは家庭状況が貧困であるため、赤子を産むか産まないかスグルに相談していた。もしこの子を育てるのなら、今みたいな生活はできない。しかし、マサコとしてはスグルにこのまま落語を続けてほしかった。スグルは自分は頑張るから赤子を産もうという結論を下す。

時間は現代に戻る。
ギャラリーサワタリにいる沢渡の元へ、失踪した克を探しに茶ノ木がやってくる。沢渡はここには来ていないと言い、茶ノ木はギャラリーを去る。
しかし沢渡は克をギャラリーで匿っており、茶ノ木が去ったと合図をすると克はコソコソと出てくる。
沢渡は克に対して、落語の台詞が飛んだくらいで退出しちゃうなんてみっともないと叱りつける。その後も沢渡は、そもそも練習不足だっただけ、いきなり古典落語なんて難しい演目に挑戦しようとするからだと言う。
克は、昔やったことがあったからいけると思った、台詞が飛ぶなんて思ってもいなかったと弁明する。

克は自宅へ帰る。そこには心配していた雅子と、必死で彼を探していた茶ノ木がいたので彼らはびっくりした表情だった。
克は畳の部屋へ入り、「もう落語なんてやらない」と一点張りになる。雅子は、そんなことは言わずまた頑張ればいいじゃないと優しくなだめる。そしてそれに乗っかるように、茶ノ木も優しく克の落語への復帰を後押しする。
しかし克は断固として「もう落語はやらない」と言い続ける。そこから執拗に落語への復帰を懇願する雅子に対して、克は冷たく当たる。雅子は克が落語をやる姿を応援していないと自分を保てないんだと。
雅子は泣き崩れ、克を座布団で叩きつける。克は逃げて台所に戻る。茶ノ木はその様子を見て唖然とする。
そんな情けない夫婦の喧嘩を目の当たりにした、途中から自宅へ帰ってきた息子の花楽がキレる。あれだけ夢を持てとか言ったり、落語を好きでやっていたのに、ちょっとのことでやらないと真逆のことを言い出してなんなんだと、ふざけるなと。雅子に対しても、なんでそんなに親父を甘やかすんだとキレる。

一瞬だけ、若きスグルとマサコのシーンが入り、お腹に授かった赤子の名前を何にしようかという会話になる。
スグルが最初提案した名前は(何だったかは忘れた)、あまりにも特殊でいじめの対象になるとマサコが反対し、次に提案されたのが寄席興行創始者からとった「花楽」というものだった。
「花楽」にはマサコも納得してくれていた。

時間が現在に戻る。
克は台所の食卓の上に正座して落語を始める。演目は息子を団子屋に連れてきた時の話。克は途中から落語に乗っかるように花楽に促す。最初は花楽は嫌がっていたが、一度乗っかると息がぴったりでまるで親子二人で落語の演目を演じているようであった。
演目が終わると、茶ノ木は大きな拍手を送っていた。茶ノ木は、今度克が落語をやる時に観に来てもらって台詞が飛んだら助けてあげてと花楽に冗談を言う。

花楽は電話で由貴を呼び出す。花楽は一人暮らしをするからアパートの下見を協力して欲しいと言う。由貴は喜んで協力すると言う。
一方、克は沢渡によってギャラリーサワタリをクビになっていた。完全無職となってしまったので新たな仕事を探さなければいけなかった。しかし雅子は、それでもずっと克に寄り添ってこれからも応援していくような姿勢であった。
克と雅子が後ろを振り返ったその時、後ろに花楽がいて驚いていた。
ここで物語は終了する。

物語前半では、若き頃のスグルとマサコが克と雅子の過去で馴れ初めであったことに気づいていなくて、途中から気がついたのだが、もしそこも演出のうちだったのなら非常に面白い仕掛けだなと感じた。
一番の見所は、克が落語で台詞が飛んでしまって拗ねて「もう落語はやらない」と一点張りだったことに対して、雅子が泣き崩れ、花楽が激怒するシーン。あの構造はなんとなく前から想像が付いていたのだが、だからこそ観たいものをみせてくれた感じがあって満足感があった。
若き頃のスグルとマサコ、そして花楽と由貴のカップルの対比も面白い。若き頃のスグルとマサコのカップルは、スグルが圧倒的に支配権があってそれをマサコが支えるという感じがあって、花楽と由貴に関しては真逆で、どちらかというと会話の主導権は由貴でそれに花楽が乗っかる感じが良かった、ある意味イマドキの令和的なカップルだった。また、スグル・マサコには落語への夢というものを間に挟んでのカップルという感じがあるが、一方で花楽と由貴の間には純粋に互いの人間性を好きでいるという愛情に感じた。
岸田國士戯曲賞ノミネートなるか、なる可能性はあるんじゃないだろうか。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/451198/1690718


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作は演出も様々な趣向が凝らされていたので、舞台装置、照明、音響、その他演出の順番に見ていく。

まずは舞台装置から。
今作では回転舞台装置を使っており、先日観劇したロロの「Every Body feat. フランケンシュタイン」のように一枚の大きなパネルを挟んで2面の異なる舞台が用意されていた。
回転舞台の片側は畳部屋となっており、広さはそこまでなくてだいたい畳六畳(さすがにもっとあるかな)くらいの小さな空間が用意されていて、背後には襖が設置されていた。こちらでは、若かりしスグルとマサコが結婚や出産について会話するシーンや、花楽と由貴が序盤で会話するシーン、落語で失敗した克が自宅へ帰ってきて拗ねてそっぽ向けてしまう場所として使われる。
もう一面は台所になっていて、中央に背の高い食卓が置かれている。最初のシーンで克が落語の練習をしていたり、終盤のシーンで克と花楽が落語を二人で演じてみせたりするシーンで使われた。
この回転舞台装置が、特に生きたと感じさせられたシーンはやはり終盤の夫婦喧嘩からの親子での落語シーンであろう。最初は回転舞台そのものが横に設置されていて、上手に相当する台所から克が入ってきて、下手側の畳部屋へ行って拗ねてしまい、台所にいた雅子と茶ノ木が追いかけるように畳部屋へ移動。そこから畳部屋で落語復帰の懇願が始まり、夫婦で喧嘩。雅子が畳部屋で泣き崩れて克を追い出してしまってからは、回転舞台が回転して台所のみの舞台となる。そこで克と花楽の落語が始まる。ロロのフランケンシュタインには及ばないが、非常に上手く回転舞台を生かしていると思う。
またシーンは全てが回転舞台上で行われる訳ではなく、回転舞台手前のステージでも行われ、スグルとマサコの屋上での出会いだったり、ギャラリーのシーンはそちらで演じられていた。
ただ、克が落語をやる時は決まって台所にある食卓の上で正座だった気がする。


次に舞台照明。
ド派手な演出は特になく、印象に残ったのはやはり克が落語を披露する時の照明演出。克にスポットライトが当てられ、白く青く照らされる光景は、どことなく克の孤独だったり寂しさみたいなものも感じられて良かった。
iakuの作品は普段のシーンの照明演出が、黄色く温かみのある感じがあって、今作はそれが畳部屋のシーンと合っていたので凄く温もりを感じられた気がした。
あとは序盤のシーンの照明演出も印象に残っている。畳部屋が暗くなっていて花楽が毛布にうずくまる中、襖の背後で克が落語を練習していて光が漏れてくる当たりが好きだった。

そして舞台音響。
前回拝見した「逢いにいくの、雨だけど」に似たような音響演出で、静かな音楽が場転でよく使用されていた。凄くそれが心地よくで、出過ぎない目立ちすぎない音響が良かった。
iakuの作品は脚本と役者で勝負しているような要素が強いので、音響はないとそれは寂しいのだが、ちょっと添えるだけという感じの絶妙なバランスが非常にハマっていると思っている。

最後にその他の演出について見ていく。
今作はなんと言っても「落語」が主軸にある作品なので、落語にこだわった演出が凄く良かったと感じた。
キャスト・キャラクターパートでも触れるが、鹿野克役を演じたモロ師岡さんが元々落語をやっていらっしゃる方なので、引退した人とは思えないほどの落語の上手さに多少違和感を覚えた部分もあったのだが、克のキャラクターの設定上、茶ノ木や雅子といった克の落語ファンは今でも居続けるので、あのくらいの技量があっても問題ないかと思った。ただちょっと、高齢者施設での落語の失敗に違和感は感じたかも、あそこを演じるのはとても難しいと思うのだが。
花楽役を演じた杉田雷麟さんも落語を口ずさむシーンがあるが、失礼な言い方になってしまうがあそこは平凡さが凄く良い効果を生み出していたと思う。落語をやりたいとは思わないが、父が好きだから愛着はあるといった感じ。ラストシーンで克と花楽で落語でシンクロしていくシーンは、なんだろ落語を観たというよりは、新しい演劇を観たといった感想に近かった。普通の落語よりも感情が乗っかっていてそこがまた経緯が分かるから魅力的に感じる。そんな演出が凄く良かった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今作に登場する人物は全員リアルで今の日本に沢山いそうであり、凄く良い意味で人間臭くて魅力的だったので本当に素晴らしかった。そしてそういったキャラクターを演じ切っていた役者陣も本当に素晴らしい。全部の役を好きになれて、そして全員のキャストがここまでハマっている舞台も珍しいと思う。
特に印象に残ったキャストを紹介する。

まずは落語家鹿野克役を演じたモロ師岡さん。モロさんの演技は2021年9月に上演された舞台「ヒミズ」で初めて演技を拝見し、とても迫力があって存在感のある俳優さんだと思って、今回も期待していた。
キャラクター設定が本当に昭和の頑固親父という感じで、もうキャラクター的には嫌いなんだけど痺れるくらい味を出されていて素晴らしかった。特に落語に失敗して、畳の部屋で「もう落語はやらない」と拗ねてしまう時のあの感じ。凄くナチュラルで本当にそういう親父を観ている、演技ではなくナチュラルな日常を観ている感じがあって凄く良かった。「いや、知らねえよ」とかアドリブと思われる、けどシーンにぴったりな台詞の連続で素晴らしかった。
またモロさんが、古典落語を現代風にアレンジして背広姿で高座に上がる「サラリーマン落語」をされていることを私は全く知らなくて、モロさんの知られざる一面を観劇出来たといった所。あまり落語を観たことがないので詳しいことは分からないが、本当にモロさんの落語は人を惹きつける魅力があって、もっと観たいと思わせる演技だったと思う。顔を左に向けるか右に向けるかで演じる役は変わるけど、凄くそこが噺家っぽく感じられて素敵だった。

次に、克の息子の鹿野花楽役を演じた杉田雷麟さん。杉田さんはまさに今回の役ドンピシャの2002年生まれの18歳で、完全なる平成生まれの現代育ちの青年で、テレビドラマや映画を中心に映像作品での出演で活躍されている俳優さん。舞台出演は今回の作品が初めてであるらしい。
初めてとは思えないくらいの素晴らしい演技だった。凄く等身大の役だったからこそ演じやすかったのもあるのだろうか。ちょっと力の抜けた感じで、何かのやる気に満ちている訳ではなく、でもなんでもそつなくこなせそうな、本当に今の日本の10代後半から20代前半に沢山いそうな青年という感じがして素晴らしかった。
なんといっても印象に残るのは、終盤のシーンにおける克親父と喧嘩をするシーン。個人的にはずっとこの克と雅子の夫婦には苛立ちを感じていて、そこを一気に激を飛ばして粉砕してくれて個人的には一番感情をすっきりさせてくれた役というのもあって凄く好きだった。

克の妻である鹿野雅子役を演じた劇団俳優座の清水直子さんの演技も、本当にナチュラルで素晴らしかった。清水さんというと劇団俳優座の看板女優の一人という印象でいたが、実は今回でお芝居を拝見するのが初めて。
個人的には、雅子のキャラクター自体も嫌いで、なんでかというとダメな夫に甘すぎるから。こんなくだらない落語の失敗で拗ねてしまっても、肩を持つ感じで次があるからと優しくなだめる、あの優しすぎる感じが本当に苛立っていたのだけど、そこを完璧に演じていらっしゃっる清水さんは素晴らしいと感じていた。
一番心に深く刺さったのは、ギャラリーサワタリの沢渡に熟年離婚をした方が息子のために良いんじゃないのかと進言するシーン。あれは、もし自分が雅子の立場だったら深く傷つくなあと思う。おそらく雅子は、いつまでも夫婦円満で克と二人三脚でいられることが家族のためだと思っていたのかもしれないが、夫婦が自分の好き勝手やり過ぎて子供を苦しめるんだという意図の発言はかなり強烈なパンチに聞こえた、そして図星だと思う。

花楽の幼馴染で恋人関係にあった竹橋由貴役を演じた鈴木こころさんも素晴らしかった。彼女はENBUゼミナールの卒業生らしく今回で舞台経験は2度目らしい。でも素晴らしく演技がナチュラルでキャラクター的に好きになってしまうくらい魅力的な芝居をされていた。
個人的な好みとして一番好きなキャラクターが由貴だったのだが、あの地元にいそうな平凡な、そんなに凛々しくも健やかでもないけれど、ちょっと花楽から好意的な言葉をかけられたらすぐキュンとなってしまう純粋さが素敵だった。
「メイク崩れてる」とか、「良かったね、裸でいる所じゃなくて」とか、台詞一つ一つも嘘偽りなくて素直な点も凄く好きで、こんな女の子に好かれるなんて花楽は幸せ者だなとほっこりした。
それと凄く現代っ子な若い女性像だなあと感じた。これが凄くマサコ・スグルと上手く対比するのだが。とにかくキャラクターも好きでナチュラルな演技が出来る鈴木こころさんが素晴らしかった。また演技を拝見したいと思った。

若かりし頃のスグルを演じたリリパットアーミーⅡ(大阪の劇団の名称)の長橋遼也さんと、マサコを演じた橋爪未萠里さんも素晴らしかった。
長橋さんは凄く東京03の飯塚悟志さんと雰囲気が似てて、凄くウザいやつだなあと思ったけどキャラクター的になぜか好きになれる、そんな役を演じられていた。マサコを口説くシーンとか、もうなんだよコイツって思うけど、凄く釘付けになって観られちゃうシーンで素晴らしかった。
橋爪さんは私のイメージでは、iakuゆかりの女優さんという印象で、iakuの作品にはいつも名前があがるというくらい横山拓也さんに好かれている?女優さんなのだろう。今回は序盤の登場シーンでひどくローテンションな役からのスタートで、それはそれで前作の「逢いにいくの、雨だけど」で出演されていた時と全然印象が違って面白かったが、そこからハイテンションになって面白いことを連発して言うちょっと天然なキャラクターがもっと新鮮に感じられて好きだった。
けれど、しっかり物事を決める時は畏まって話を始めるので良い奥さん。ただ、清水直子さん演じる現在の雅子には本当に苛立ってしまう。

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【舞台の考察】(※ネタバレあり)

改めて振り返ってみると、この作品は夢を持って自由に謳歌する生き方を軽くディスっているような側面があるように感じた。どういった点に対して私がそれを感じたのかを、昭和に生きる鹿野克と平成を生きる鹿野花楽の対比関係や、スグル・マサコの夢追いカップルと、花楽・由貴の現実的カップルの対比関係に言及しながらみていきたいと思う。

克は若かりし頃はお笑いライブをやって自由を謳歌して生きていた。そんな輝かしい姿に雅子は惹かれて恋をする。そして二人の話題はいつも克のお笑いだったり落語に関する話ばかり、雅子は落語をやって夢中になる克が好きだった。
ここがミソだと思っていて、違ってたら申し訳ないが私が思ったのはこの雅子という人物は、克という人間そのものが好きなのではなく、夢追い人が好きなんじゃないかと思っている。それをただ自分は必死で応援したい、応援できなくなると生きがいがなくなってしまうから。そんな姿勢がこの雅子からは感じられる。
だからこそ、雅子は必死で落語を辞めないでと克に訴えるのだと思う。それは、雅子がかつて克に出会わなかったら命を絶っていたかもしれないから、どん底にいる自分を救ってくれたから。
つまり、克と雅子の夫婦関係には円満のように見えて、克が夢を追いかけるという一つの前提を挟んで成立している関係のように感じられた。

一方で、そんな夫婦を見て育ってしまった息子の花楽は呆れる訳である。自由奔放に生きる親を見て、金もなくて生活にも困る訳である。だからこそ花楽は、そんな克を反面教師にして自分は世の中の役に立てるような人間になると決意して、介護士として働くのである。
これって凄く現代の10代・20代の思想に凄く近いような気がする。以前とあるYouTubeチャンネルで、日本人の将来なりたい職業ランキングの上位は、30年前では野球選手やサッカー選手といったいわゆる夢というものだったのに対して、現在は医者や警察官などが上位で人の役に立ちたいという傾向が強まっていると示されていた。花楽もそんな人の役に立ちたいと思う真面目な青年の一人なのだろう。

だからこそ将来の夢というものに対して花楽は興味がなかった。父親の克がいつまでも将来の夢を追い回し続けて飛んだ目に合っているから。
そしてそんな草食系男子な花楽を由貴は溺愛していた。そこには、何かを介した恋があるのではなくて、ただ純粋に花楽が好きというピュアな恋人関係に私は見えた。
現代的な恋人関係で、お互いが無理をしていない健全なカップルだと感じられた。

こうして見ていくと、この克と雅子のカップルというのが何とも面倒臭い夫婦関係であることが見えてくる。横山さん自身もそんな印象を観客に感じてもらうように演出していると思う。
ただ、演劇をする側・作る側の人間はどちらかというとこの克と雅子の夫婦関係と近いんじゃないのかと思う。そういった意味では、横山さん自身、ある意味この作品は自分たちを皮肉るような作品として仕立てているような気がする。自由に謳歌する生き方をディスるような、そういった自虐的な作品に思える。
それでも、そういった夢を諦めきれないような人間臭さって、人間として魅力的に感じるし素晴らしいものだから、やはり個人的には夢を追いかけて自由に生きる生き方は決して嫌いではないし、むしろ今の若い世代にもっとそういった人材が溢れてくれればいいなとつくづく感じている。

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【写真引用元】
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↓iaku過去作品


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