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舞台 「江戸時代の思い出」 観劇レビュー 2024/06/29


写真引用元:ケラリーノ・サンドロヴィッチさん 個人X(旧Twitter)


写真引用元:ナイロン100℃ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「江戸時代の思い出」
劇場:本多劇場
劇団・企画:ナイロン100℃
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:三宅弘城、みのすけ、犬山イヌコ、峯村リエ、大倉孝二、松永玲子、藤田秀世、喜安浩平、眼鏡太郎、猪俣三四郎、水野小論、伊与勢我無、木乃江祐希、池田成志、奥菜恵、坂井真紀、山西惇
公演期間:6/22〜7/21(東京)、7/27〜7/28(新潟)、8/3〜8/4(兵庫)、8/10〜8/11(福岡)
上演時間:約3時間15分(途中休憩15分を含む)
作品キーワード:ナンセンスコメディ、時代劇、SF、笑える、舞台セット
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


日本の演劇界を代表する劇作家の一人であるケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA)さんが主宰する劇団「ナイロン100℃」の結成30周年記念公演第2弾ということで観劇。
私はKERAさんが作・演出を務める舞台作品を何度も観ており、「ナイロン100℃」の公演だけでも、『イモンドの勝負』(2021年11月)『Don't freak out』(2023年3月)と観ていて、今回が3度目の観劇となる。

今作は、KERAさん自身が初めて時代劇を創作するとのことだが、「ナイロン100℃」の公演ということもあって、時代劇×ナンセンスコメディという支離滅裂な展開と笑いの起こる、決して勧善懲悪のような単純な話ではない時代劇となっている。
物語は、武士之介(三宅弘城)という町人と、徳川家の大名の家来である人良(大倉孝二)がバッタリ出くわす所から始まる。
人良は、参勤交代で大名行列にいたのだがどうやら逸れてしまったらしく放浪していた。
武士之介は、大名行列に戻りたがっている人良を強引に止まらせ、自分の思い出話を彼に語り始める。
武士之介の思い出というのは、江戸時代の話ではなく令和時代の話のようで、ステージ上にはエノモト(喜安浩平)、クヌギ(山西惇)、ミタライ(峯村リエ)、ヒエダ(坂井真紀)という4人の中年の現代人と、その担当教師だったと思われるホウケイ(みのすけ)と名乗る初老が登場する。
中年の4人はかつて同級生でこの辺りにタイムカプセルを埋めたらしく土を掘り始める。
しかし、ホウケイのことは一向に相手にしてくれない。
そのうち、この令和の人物たちと武士之介や人良がお互いに会話し始め、これは果たして武士之介の思い出の中なのか現実世界なのか分からなくなっていき...というもの。

KERAさんが仕掛ける時代劇ということでどんな仕上がりなのかと楽しみにしていたが、想像以上に沢山笑えるナンセンスコメディといった感じだった。
ステージに本物の土が仕込まれていて、セットの茶屋が江戸時代風で、キャストの衣装も着物というだけで、ストーリージャンルとしてはナンセンスコメディ一色のように思えて、時代劇要素はストーリーにはあまりなかった。
ひたすらくだらない言葉の掛け合いやドタバタが続いていくので、普通の観客はただただ中身のないしょうもないコメディを延々と観させられているような作品だった。
役者の演技が非常に上手いので、そんな中身のないくだらない芝居が3時間以上続いても多くの観客は観れてしまうと思うし、実際私も全く飽きさせなかった。

全く飽きさせなかった要因は、演出面の素晴らしさもあると思う。
第四の壁を破って客席上で芝居が繰り広げられるシーンも一定数あったり、客席明かりを使った演出も取り入れられていて観客を巻き込む形の演出に驚かされ楽しめた。
またブラックユーモアの色も「ナイロン100℃」らしく強く、人の手足がバラバラで発見されたり、脳みそが登場したりと多少グロテスクなシーンとそのインパクトで笑いを取る箇所もあった。

ナンセンスものなのでストーリーは支離滅裂だと多くの観客は感じると思うし、実際伏線は全然回収されないのだが、個人的には色々考えさせられる描写は沢山あった。
江戸時代は200年以上もあったので、大飢饉の時代もあったり平穏な時代もあった。
そういった過去の記憶が武士之介の思い出として令和時代に発掘されることによって、今の私たちの生きる時代にも苦しい時代と好調な時代があることを教えられているような気がした。
苦しい時代は、妹をも食べてしまおうと思うくらい余裕がなくなるものであり、好調な時代だからこそ臀侍(しりざむらい)のようなマイノリティを庇う余裕と、そういう事柄について考えられるものなのかもしれないと感じた。
現在こうしてLGBTQ+や多様性について取り上げられるようになったのは、私たちが平和な時代に生きているからなのかもしれないと感じた。

個人的には、ナンセンスコメディと言えどもう少し伏線を回収して欲しかったし、もう少し現代のテーマにも通じるようなものがしっかりと終盤までには描かれて欲しかったが、そういうものがほとんどないからこそ気を楽にして誰もが大笑いして楽しめるものなのかもしれない。
演劇を観て大爆笑したい、演劇らしい客席も巻き込んだ演出を楽しみたい方には是非とも観劇をおすすめしたい。

写真引用元:ステージナタリー ナイロン100℃結成30周年記念公演 第2弾 ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」より。(撮影:引地信彦)


↓告知映像




【鑑賞動機】

KERAさんの創作する舞台作品はいつも安定感があって好きで、「ナイロン100℃」の公演も『イモンドの勝負』(2021年11月)から観てきているので、今作も迷わず観劇に至った。
特に、30周年記念公演第2弾というのもあって、きっとKERAさん自身も力を入れて創作するだろうし、なんといっても初めて時代劇を描くということも期待でしかなかった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

上手手前側に三人の着物を着て白塗りの女性が登場し、オープニング映像に合わせて「NO NO NO」と歌を歌う。オープニング映像は、アニメーションで時代劇ものであることを窺わせる内容である。

ステージ上に、武士之介(三宅弘城)がいる。そこへ人良(大倉孝二)が通りかかる。人は武士之介に話しかけられる。どうやら武士之助は町人らしく、自分の思い出話を聞いて欲しいようで人良しを引き止めようとする。
しかし人良しは徳川家の家来で、現在参勤交代で大名行列に参加していたが途中で大名行列から逸れてしまったらしく、早く行列に戻らないとと急いでいた。そのため、武士之介の思い出話を聞いている余裕はないと人良は、彼を冷たくあしらって立ち去ろうとしていた。
そこへ、近くの茶屋からおにく(奥菜恵)が現れる。おにくには二人の姉がいて、おさかなとおやさいと言うのだが、その二人からイタズラをされていて困っていた。武士之介は一人っ子であると語るとおにくには大笑いされていた。

おにくが茶屋へ戻ると、武士之介は人良に思い出話を語り始める。
武士之介の語る思い出がステージ上に登場する。洋服を着た令和の中年の現代人が複数人登場する。エノモト(喜安浩平)、クヌギ(山西惇)、ミタライ(峯村リエ)、ヒエダ(坂田真紀)と、彼らよりもより年老いている担当教師(みのすけ)が登場する。
エノモトたちは同級生同士で、昔ここにタイムカプセルを埋めたのでそれを掘り出そうとする所だった。このエリアにはタワマンが建設予定だそうで、タワマンが建つ前にタイムカプセルを掘り起こしたいのだと。エノモトたちはスコップを持っていて土を掘り始める。
一方で、担当教師は、自分のことはあだ名で「ホウケイ」と呼ばれていたらしく、そのことを思い出してエノモトたちに伝えるが、エノモトたちは担当教師を無視していた。

エノモトたちタイムカプセルを掘り出しているメンバーの一人が、土の中から一本の腕を発見する。エノモトたちは、これがタイムカプセルなのではないかと喜んでいる。しかし担当教師は、それは死体ではないかと訴える。
さらに掘り進めると、今度は左脚と右脚が土の中から掘り出される。担当教師は、やっぱり死体が埋まっているんじゃないかと叫ぶ。エノモトたちもようやく、それらがタイムカプセルではなく誰かの死体だと気がつき、左足も右脚も放り投げる。
途中人良と武士之介は、今武士之介が語っている思い出話が、果たして本当に武士之介の思い出話なのか現実世界で起きている話なのか分からなくなってくる。なぜなら武士之介が担当教師に話しかけたら会話が出来てしまったからである。

下手側から巨大な洋服を着た女性の人形を乗せた車椅子がやってくる。その人形の女性はツユノというらしく意識がない。
その時、タイムカプセルを掘り出しているエノモトたちは、土の中から脳みそを掘り出す。そしてその脳みそはまだ生きているかのようにうごめいていた。
その脳みそを見た武士之介は、あれは自分の脳みそのみそ吉であると主張する。武士之介は、あそこに埋められてずっと眠り続けて今掘り出されたのだと訴える。
その時、悪玉菌座右衛門(池田成志)が登場して、エノモトを斬り殺してしまう。そしてそのまま、担当教師のホウケイも斬ってしまう。ホウケイは呻き声を上げながら武士之介と人良に助けを求める。悪玉は、自分は悪党であることを宣言して自己紹介する。名前は略さず言うと「悪玉菌座右衛門」、略すと「悪玉菌」だと。
ミュージカル女優であるヒエダは、自分はなんでも歌にして歌えると言って、脳みそを歌の題材にしてミュージカルが始まる。その間に悪玉は、みそ吉を取り去って意識不明の車椅子の人形の女性のツユノの頭を上下に真っ二つに切って脳みそをみそ吉と交換する。
すると意識不明のツユノ(木乃江祐希)は、人間となって意識を取り戻してミュージカルを歌い出す。しかし、即効で悪玉に斬りつけられ死亡する。
ここで、「第一話・完」という映像が流れる。

舞台照明がスポットで、一つずつ客席に向けられ観客の心の声が流れる。「全然伏線が回収されないじゃないか」とか居眠りのいびきなど。そして客席最前列の一番上手に照明が当たって、「こんなに客席に照明を当てて観客の心の声を流すなんて」と音声が流れる。すると、その客席に座っていた男性の観客(猪俣三四郎)と女性の観客(水野小論)は、いきなり立ち上がって、もうこんな舞台観ていられないと客席を去って劇場出口へと向かう。
すると、落武者の格好をした劇場の人(眼鏡太郎)が劇場入り口に現れて二人の観客の足を止める。二人の観客はびっくりして、そのままステージに上がってしまう。ここから第二話が始まると。

アナウンスが流れる。江戸の三大飢饉のどれかが世界を襲い、食べ物が無くなってしまい疫病も流行ったと。
茶屋からおにくの一番目の姉(犬山イヌコ)とおにくの二番目の姉(松永玲子)が現れる。飢饉のせいで食べるものがなく、最近では茶屋にやってくる客を食べているらしい。一昨日の客は肉がついていて美味しかったが、先一昨日の客は肉が付いてなくて美味しくなかったと言う。次は何を食べようかと考えていて、妹のおにくを食べようかと言っていた。
そこへおえき(坂田真紀)がやってくる。おえきは斑点模様の着物を着ていたが、疫病によって皮膚の斑点も酷くなって皮膚と衣服の斑点で全身が斑点模様だった。自分の名前は、親が疫病にかからないように「おえき」と名付けたのに疫病にかかってしまってと嘆きながら去った。

上手側の井戸の中から、武士之介が這い上がって来ようとする。近くにいたエノモトが彼を助けようとする。何度も助けては井戸に落ちてを繰り返す武士之介だったが、ようやく地上に戻れる。
そのまま武士之介は、エノモトと話をしてちょっとした悪ふざけでエノモトを井戸の底へ突き落としてしまう。しかし、エノモトは自分が井戸に落ちた場所よりもかなり奥深くまで落ちてしまったようだった。
武士之介が茶屋の所までやってくると、茶屋からおにくとおにくの一番目の姉と二番目の姉が出てきた。姉たちは、妹のおにくを食べたいと武士之介に相談してくる。一方でおにくは、姉たちに食べられてしまうから助けて欲しいと武士之介に相談してくる。
武士之介は考える。こうなったら折衷案で行こうと。しかし武士之介は、折衷案ってどういう意味だっけと頭を抱える。もうよく分からないから、おにくの体の一部を姉たちに食べさせるのはどうかと考える。そうすれば、姉たちは食べられるし、おにくも完全に食べられることなく生き続けられると(それを折衷案と言うのだが)。
武士之介はその案をおにくとおにくの姉たちに提案する。しかし、おにくには、結局自分の体が一部食べられるなんて嫌だと言うし、姉たちはそれだけしか食べられないのかと文句を言われるし、どちらからも不満が出てしまった。武士之介は、おにくに指一本くらいなら良いだろうと、いらないと思われる指を小指、薬指、人差し指、親指、中指と順番に聞いていく。そして最後には、おにくは中指は「FUCK」とやるのに使うから食べてはいけないと言う。
おにくは、茶屋に戻ろうとし、決して扉を開けてはなりませぬと言う。そして武士之介は扉を開けてしまうとおにくは織物を折っていて鶴になっていた。そして鶴は茶屋から飛び去っていった。

井戸の方に、殿様(藤田秀世)とその奥方(峯村リエ)と同心(猪俣三四郎、眼鏡太郎)がやってくる。大飢饉で食べる物がなく探しているようである。殿様が何か歌を歌おうと言い出すと、それぞれが違う歌を歌い出してしまうので、バラバラになってしまう。
そこに武士之介がやってくる。殿様たちは食べ物を探しているが何かないかと尋ねられるが、何もないと答える。
そこにおえきが再びやってくる。おえきは疫病だがみんなで茶屋の中に入ろうという。それから様々な動物たちの鳴き声が茶屋の中からする。茶屋の者たちが外へ出ると、殿様、奥方、おえき、おにく、姉貴たち全てが疫病にかかって斑点模様になっていた。
ここで映像で「第二話・完」と表示される。

ここで幕間に入る。

江戸の三大飢饉のうちのどれかは終わって、明るく活気のある時代がやってきた。巷では、臀侍と言われる頭が臀の侍が放浪していると噂されていた。
武士之介と人良はチェスをしていた。お互いに置きたい場所に駒を置こうとするも譲り合っている。そんな様子を悪玉菌座右衛門はタバコを吹かせながら悠々と見物していた。
悪玉菌座右衛門は、おにくと結婚したらしく、茶屋からおにくが出てくると二人は抱きしめあっていた。そんな様子を武士之介と人良はびっくりしながら眺めていた。
武士之介と人良がチェスの元から離れて会話していると、どこからか臀侍(伊与勢我無)がやってきて、チェスの駒を動かし始めていた。その様子を武士之介と人良はそっと眺める。臀侍のその様子から、どうやら臀侍は心優しい存在なのではないかと二人は思い始める。臀侍は去る。

迷子を探す母(峯村リエ)が迷子の弟(犬山イヌコ)と手を繋ぎながらやってきて手を離す。母は息子が行方不明になってしまったと焦っていた。あまりにも今まで手を繋いでいた弟のことを気にかけない様子なので、その子とは別の子かと尋ねるとそうだと母は答える。この弟よりも兄の方が優秀で行方不明になったら困るのだと言う。その母の言葉があまりにも弟に対して可哀想だったので、そこまで言うべきではないのではないかと周囲は言う。迷子の弟は、口をぱくぱくさせていた。
アナウンスが流れる。迷子のご案内で口から緑の液体を吐く男の子を預かっていると。母は、自分の子に違いないと弟を連れて去っていく。放送内容が正しければ、とてもまともな兄だと思えないとみんな言う。

茶屋を訪れた役人・上役(山西惇)と下役(みのすけ)が茶屋から出てくる。二人は、臀侍を探しているらしく懸賞金として300両がかかっていると言う。
悪玉菌座右衛門は、300両という言葉を聞いて目を光らせて去っていく。人良は、先ほど悪玉菌座右衛門が300両と聞いて目を光らせていたと武士之介に言う。しかし、あんなに善良な悪玉菌座右衛門が目を光らせることはあるまいと言う。
またアナウンスが流れる。参勤交代中の大名行列から猫背で長身の侍が行方不明になっているので今すぐ役所に来て欲しいとのことだった。人良は自分のことを探していると悟るが、行列には戻りたくなさそうだった。
目隠しする若旦那(眼鏡太郎)とその従者(みのすけ、猪俣三四郎)がやってくる。若旦那は大きな高級品の壺を持っていたが誤って割ってしまう。武士之介はなんとかしないとと思い、300両の金に目をくらませる。
茶屋はいつの間には遊郭に変わっていて、遊女(木乃江祐希)もいた。おにくの姉の鼻を押すと遊女が輝き、もう一人の姉の鼻を押すと客席明かりが点灯して「本日の公演はこれで終了です...」とアナウンスが入ってしまった。
ひげ無し先生(喜安浩平)とその助手(水野小論)が薬を持ってやってきていた。悪玉菌座右衛門はその薬を一つずつ飲み始める。この薬を飲んだ者はどうなるか分からないとひげ無し先生も言う。しかし悪玉菌座右衛門は飲んでしまい、人を斬り殺し始める。やっぱり悪玉菌座右衛門は悪党だったと大騒ぎする。

誰もいなくなったステージに、臀侍と臀侍の姉(坂井真紀)が現れる。姉は臀侍のそばにずっといて守っていた。あなたには姉がついている、懸賞金もついているがと言う。
屁の音が何度もする。姉は臀侍の方を見るが臀侍ではなさそうである。上手の木陰から武士之介が現れる。屁の正体は武士之介だった。武士之介は、割れた壺を弁償するべく300両が欲しいが故に臀侍を捕まえて見せると言う。
その声によって色々な人が臀侍の元に集まって来てしまう。臀侍は口から煙を吐いた。ここで映像で「第三話・完」と流れる。

男性の観客と女性の観客が劇場の出口から現れて戻ってくる。そこには落武者姿の劇場の人もいた。下北駅まで追っかけてくるなんてと観客二人は劇場の人に叫ぶ、だから演劇は怖いと。劇場の人は本多劇場は良い劇場だと言う。女性の観客は、最前列だったら高橋一生の毛穴まで見られると言うが、高橋一生は出ていない。
ここから始めるのはエピローグである。ステージ上の盛り上がった土からキューセイシュ(みのすけ)が姿を現す。江戸時代の人々は皆ステージ床に眠っていた。キューセイシュはずっとこの土の中で息を殺していたようである。なぜキューセイシュは、この土の中で息を殺していたのかを教えようというが、その偉そうな態度に他の人々は誰も聞く耳を貸さない。
キューセイシュは頭を下げて人々にその理由を言わせてくださいと言う。人々はそこまで言うなら聞いてやっても良いと言う。キューセイシュが息を殺していたのは、バレてはいけなかったからだと言う。

そこへ再びアナウンスが鳴る。大名行列から逸れた人良を探すアナウンスで激怒してそうである。しかし人良たちは、自分たち7人で行列を作れば良いと言って行列を作って行進して捌けていく。
カーテンコールのように令和時代の中年の現代人が登場してお辞儀をするが、井戸の中からエノモトが姿を現す。エノモトに井戸の底について話を聞くと、井戸の底には「地下都市(シティ)」があったと語る。きっとキューセイシュが地下に都市を作り上げたのだろうと言う。これこそがタイムカプセルだと。
同級生たちは、6年生の時の夢を語って井戸の中に入っていく。ここで上演は終了する。

三話とエピローグの構成で、非常に中身がなくて、全然伏線回収なんてなかったのだけれど、非常に馬鹿馬鹿しくて大満足だった。ここまで振り切ってしまえばストーリーなんてなくてもずっと3時間観ていられるなと思った。それは、個性豊かな役者たちの演技の上手さと、しょうもない演出の数々によって飽きさせなかったのだろうなと感じた。
それでも、ストーリーの一部に考えさせられる内容は確かにあった。武士之介の脳みそという土に埋められた歴史に秘められた昔の人々の生き様から、現代を考えることはできるし、大飢饉の時代は人々は周囲の人間のことを考える余裕はないが、明るい時代になることによって人々も活気が溢れて良くなる。だからこそ、臀侍のようなマイノリティのことを考えられる余裕も出てくるのかなと思った。
さすがKERAさんの舞台演劇というだけあって、観たことない時代劇だった。

写真引用元:ステージナタリー ナイロン100℃結成30周年記念公演 第2弾 ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」より。(撮影:引地信彦)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

世界観・演出はさすがKERAさんという感じで、圧倒されるものばかりだった。ステージ上に土を敷いて、作り込まれた江戸時代の舞台セットと、第四の壁をどんどんぶち破っていく演出スタイルがとても革新的で面白かった。もちろん、ナンセンスコメディとしてのクオリティも高かった。
舞台セット、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台セットから。
ステージ上は全体的に無害の土が敷かれていて、事前注意喚起で最前列は土埃が舞う可能性があると告知されていたほどである。まず、この土を使った演出がとても新鮮で素晴らしかった。また、ステージ上後方には大きく二つの土の山が築かれていて、下手側の小さな土の山には同級生たちがかつて埋めた本物のタイムカプセルが埋められていて、上手側の大きい方の土の山からは、第一話で片腕と右脚、左脚が出土したり、エピローグではキューセイシュが登場したりしていて、実際に土がリアルであることを活かした演出が面白かった。
ステージ下手側には茶屋が一軒設置されている。その茶屋は、実際に扉が開いて中に入ったり出たりすることができる。おそらく、この茶屋の扉を開いて中に入ると捌け口になっていると思われる。この茶屋のリアルな面影も舞台セットのクオリティとして素晴らしかった。一番驚いたのは、おにくの鶴の恩返しのシーン。茶屋の扉がスクリーンとなって鶴が機織る光景が影絵のように浮かび上がってきた演出が良かった。あそこで唐突に鶴の恩返しが登場するのも面白かった。
上手奥には、一本の樹木が立っており、その手前には井戸がある。この井戸の使い方も上手かった。実際井戸の中は安全のためにそこまで深くない造りになっていると思われるが、エノモトが井戸から落ちた時に物凄く深い所まで落ちていく演出が素晴らしかった。井戸という構造の面白さを巧みに活かしているなと感じた。そしてそれは演劇のようなリアル空間でしか表現できない面白さだなと感じた。
常設の舞台セットは以上で、あとはシーンによって登場する小道具があった。車椅子に乗ったツユノという意識不明の女性に、武士之介の脳みそであるみそ吉を埋め込むと、人間になったり、第三話の序盤で武士之介と人良がチェスをやっている光景も印象的だった。江戸時代なのにチェスがあるというのが面白かった。
また、目隠しした若旦那が壺を割ってしまうシーンで、実際に地面に壺を落として真っ二つに割れてしまっていたが、あれは元々そうなるように見えないヒビを入れていて、毎公演使いまわせるものだったのだろうか、気になった。

次に映像について。
ナイロン100℃といったら恒例のプロジェクションマッピングなのだが、今作ではそこまでプロジェクションマッピングの要素は強くなかった。
ただ、オープニングではストーリーと関係あるのかないのか分からないアニメーションタッチの映像が流れていた。「NO NO NO NO」が度々登場し、何やら日本語で色々と文章もあったのだが、なんのことだか分からなかった。ちょんまげが蛇になったり、きっとこの物語はナンセンスですよという宣言なのかなとも思った。
あとは、茶屋からおにくが鶴になって飛び立っていく映像が流れるのも面白かった。突然の鶴の恩返しでびっくり面白かった。
その他には、「第一話・完」とかの説明的な映像が使用されていた記憶だが、個人的にはもっと映像は使える箇所多かったのではないかなとも思った。ステージ後方には全体に映像スクリーンが設置されていた認識だったので、映像の使いすぎはしらけるが、もっと映像演出あっても良かったのかなと思った。

次に衣装について。
時代劇ということもあって着物や白塗りといった衣装が目立ったが、現代人も一部混じっていたので全員が着物ではなく、洋服を着ている登場人物もいたのだが、どこかおどろおどろしい感じがるのがナイロン100℃らしかった。
特にインパクトがあったのは、臀侍かなと思う。頭に臀の被り物をまとっていて、頭は重そうである。それがどこか映画『エレファント・マン』を想起させた。顔が醜くて心は優しいが周囲から追われて差別される立場である。そこがなんとなく臀侍とエレファント・マンが重なって心動かされた。
あとはおえきの斑点の衣装と塗りもインパクトがあった。大飢饉に見舞われて、皆が生活に余裕のない状態である。そんな中で、おえきのような悲痛な姿がとても心を打ちつけた。ナイロン100℃の一作前の舞台である『Don't freak out』でも、このような肌に斑点を伴う疫病の演出があった。最初観た時は、そのインパクトに恐ろしさを感じた。それがまたナイロン100℃のブラックユーモアを語っているようでセンスを感じた。
茶屋を営む三姉妹の衣装と、殿様・奥方の衣装を比較して、その豪華さから身分が伝わってくるのも興味深かった。茶屋の三姉妹の衣装は地味だったが、身分の高い殿様・奥方の着物は豪華だった。こういう所にも江戸時代の残酷さのようなものを感じた。

次に舞台照明について。
舞台照明はよく見ると非常に作り込まれているのが分かった。まずは、第二話の大飢饉の時代の舞台照明は全体的に暗く、食べ物がない時代なので人々の生活の暗さを表しているようだった。一方で第三話では、大飢饉が終わって明るい活気のある時代がやってきたので、舞台照明も明るい色が多かった記憶である。水色だったりと晴れ晴れしている印象で、舞台照明の変化によって、人々の暮らしと治安を表現しているのが面白かった。
またエピローグでのキューセイシュが現れるシーンでのオレンジ色の舞台照明は、とても革命というか変化が起きたことを表す感じになっていてインパクトがあった。その時に、地面を照らしていた紫色の照明と、倒れている人々がまるで紫色に変色した感じで照らされているのが好きだった。
劇中に何箇所かミュージカルシーンもあって、その時に舞台照明も豪華にカラフルに演出されているのも好きだった。たとえば、ミュージカル女優のヒエダが、脳みそを使って歌を歌っているシーンで、ちょっとカラフルで気味悪い感じで照明が使われていたのが良かった。脳みそを使ってミュージカルというのが発想としてヤバいので、だからこそ気味悪く紫色とかオレンジ色とかで演出するのが功を奏しているように感じた。
あとは、なんといっても客席を使って演出をしているシーンで、観客にピンポイントでスポットライトを当てて心の声を流す下がびっくり仰天だった。ピンポイントで当たってしまった観客はどんな感想を抱くのだろうか、いきなりそんな演出が入ってきたら非常に驚くと思うし、賛否両論ありそうだが、観たことないし思いついたことのない斬新な演出で凄かった。
また、第三話で武士之介が姉の鼻を押して客席明かりがついてしまって終演のアナウンスが流れてしまうのも面白かった。こうやって、上演中の一つの演出として客席明かりまで使う演出もなかなかないよなと思った。

次に舞台音響について。音楽も効果音も音声も作り込まれていてみんな良かった。
まずは音楽だが、オープニングの「NO NO NO」の音楽がまず調子よくて好きだった。時代劇なのにガッツリ洋楽で面白かった。
あとは何度かミュージカルシーンがあって、それがミュージカルでもあり哀愁漂う歌謡曲にも聞こえて良かった。KERAさんが作るミュージカルという感じだった。最近、クドカンもドラマ『不適切にもほどがある』でミュージカルシーンを取り入れたりと、ベテランの演出家がミュージカルを取り入れることが多いのだが、何かあるのだろうか。ミュージカルと全く関係ないジャンルで突然ミュージカルが入ってくる感じが好きだった。
あとは印象に残った楽曲で、ラストで人良たち7人で行列になって行進しながら舞台を捌けていくシーンがあったが、あのときかかっていた音楽がめちゃくちゃ格好良かった。最後にこんな格好良い音楽を聞けたら大満足だなと思えた。
効果音に関しては、ケレン味を醸し出す「カキーン」という効果音が印象的だった。悪玉菌座右衛門の所や、臀侍を捕まえたら懸賞金300両というところで「カキーン」と流れる感じがセンスあって好きだった。
音声でいくと、江戸時代なのにアナウンスが流れるのが意味わからなすぎて好きだった。人良を迷子扱いして大名行列に呼び出されているのが好きだった。そしてそれが徐々にエスカレートしていく様も好きだった。

最後にその他演出について。
なんといっても、第四の壁を破って客席で演技を始めてしまう件が本当に好きだった。猪俣三四郎さん演じる男性の観客と水野小論さん演じる女性の観客が出て行こうとしたら落武者の劇場の人に足止めされるのが本当に面白かった。そこで大爆笑して集中力がアップしたくらいだった。女性の観客が何気に公演パンフレットを持っているのも好きだった。これ、猪俣さん、水野さんの隣に座っていた観客はびっくりするだろうなと思う。隣の人にスポットライト当てられているよと思ったらまさかの俳優だったなんて。凄い演劇だったなと改めて感じた。そして猪俣さん、水野さんは今作の第一話は客席の最前列で観られちゃうというお得感もあって良いなと感じた。猪俣さんたちは、いつくらいから開場中客席にスタンバッていたのだろうか。開場中に普通の観客と同じように、観客になりすまして席についていたのだろうか気になった。
あとは、実際にステージ上でおもちゃの小石に似せたボールを投げ合うのも面白かった。本気で役者が役者に向かって投げ出すのでびっくりした。ある時は、そのボールが客席に行ってしまいそうだったので、最前列の観客はヒヤヒヤではないかとさえ思った。そうやって、第四の壁を越えそうな演出を取り入れるのも素晴らしかった。
あとは、同じネタを何度もやるというのも多くて、これは賛否両論あるかもしれないが個人的には楽しめた。3時間15分もくだらない芝居をやっている訳だが、同じネタをダラダラとやって繰り返すのは、昨今の倍速視聴さえされてしまうエンタメ消費時代に逆行している感じがある。だからこそ、そういう無駄こそに価値を置いている感じがあって演劇や生物の良さ、決して早送り巻き戻しが効かないエンタメの良さを引き出している感じがした。
あとは、今回のナイロン100℃の公演は、いつも以上に言葉遊びが多かった印象でもあった。それはちょっと野田秀樹さんのNODA・MAPに通じるくらい多かった。「救済組織九歳」とか「ケンタッキーフライド飢饉」とかそういうセンスある言葉遊びが多くて楽しめた。

写真引用元:ステージナタリー ナイロン100℃結成30周年記念公演 第2弾 ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」より。(撮影:引地信彦)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

ナイロン100℃の劇団員と、ナイロン100℃には欠かせない客演の実力俳優と、初めて拝見するキャストとみんな素晴らしかった。
特に印象に残った役者について見ていく。

まずは主人公の武士之介役を演じた三宅弘城さん。三宅さんの演技は、ナイロン100℃の『イモンドの勝負』(2021年11月)、KERA・MAP『しびれ雲』(2022年11月)で拝見している。
江戸時代の思い出自体、この武士之介の思い出話であるという設定でもあったり、徐々にそうでもなくなったりというナンセンスぶりが面白かった。どこか間が抜けていて頭も良くなくて、けれどお調子者で面白いキャラクターだった。
相棒のような存在である大倉孝二さん演じる人良とのコンビがとてもお似合いで、二人の掛け合いがとても面白かった。
人良も武士之介もどちらも冴えない存在である。そんな二人だからこそ、お互いにバカやっている感じがナンセンスコメディとしてハマっていた。
大倉さんはいつもはもっとぶっ飛んだ役をやることが多い印象だったので今作では控えめに思えた。しかし、大名行列から逸れてしまって探されていて、徐々に戻りたいという気持ちがなくなって武士之介とずっと一緒にいたいと思うようになる気持ちの変化も好きだった。
大倉さんの演技はぶっ飛んだ役も好きだが、ずっと何かに悩み怯えている姿も印象的だったと感じた。

私が今作で一番印象に残ったのは、悪玉菌座右衛門を演じた池田成志さん。池田さんの演技は二兎社『鷗外の怪談』(2021年11月)、劇団☆新感線『天號星』(2023年9月)で拝見している。
よく劇団☆新感線に出演されているイメージで、時代劇といったら池田成志さんというイメージがあるが、今作でも非常に時代劇が似合った演技をされていた。
一番好きだったのは、「略さずいうと悪玉菌座右衛門、略すと悪玉菌」というのを何度も繰り返し言う所が好きだった。そしていきなり人を斬り殺してしまうあの刀捌きも好きだった。
悪玉菌座右衛門は、今作では悪党という珍しく勧善懲悪的な時代劇要素の強いキャラクターである。しかし、第三話の世の中が平和になると善の人間になるのが面白かった。時代劇の世界では悪党はずっと悪党だが、今作のようなナンセンスコメディ×時代劇では、悪党だった人が善になるのか、それとも悪党のままなのかみたいなテーマが織り交ぜられていて、ある意味考えさせられる演出でもあった。

おにく役を演じた奥菜恵さんも素晴らしかった。奥菜さんの演技は初めて拝見する。
KERAさんの作品に登場する女性にはいつも毒があるような気がする。今作に登場する茶屋の三姉妹も毒があった。おにくも、二人の意地悪な姉を嫌っていてその憎しみは彼女の演技から滲み出ていた。
甲高い声で笑う演技、武士之介に自分が食べられそうになり助けを求める感じなど少し毒々しかった。それが良かった。

「ホウケイ」というあだ名だった担当教師役やキューセイシュ役などを務めたみのすけさんも素晴らしかった。みのすけさんは、ナイロン100℃の『イモンドの勝負』(2021年11月)『Don't freak out』(2023年3月)、舞台『パラサイト』(2023年7月)で演技を拝見している。
あの頼りなくて無視されている初老の担当教師を見ているだけでちょっと切なくなった。そして最後には悪玉菌座右衛門に斬りつけられてしまうのも惨めで可哀想に思った。
また、キューセイシュの役はまるでイエス・キリストのようだった。最初は物凄く神聖で近づきにくい存在で登場して、徐々に江戸の住民たちに頭を下げるまでになってしまう過程も滑稽だった。

写真引用元:ステージナタリー ナイロン100℃結成30周年記念公演 第2弾 ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」より。(撮影:引地信彦)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作は、ナンセンスコメディ×時代劇ということで、ナンセンスなのでストーリー自体には特に意味はなく考察できるものは本来ないのかもしれないが、個人的に感じたことを踏まえて作品の解釈を考えて行こうと思う。

『江戸時代の思い出』というタイトルは、これまたざっくりしたタイトルである。江戸時代というのは200年以上続いた時代で一まとめにすることなんて不可能だと思う。当然ながら、200年も期間があれば最初と終わりで人々の生活は全く異なるわけだし、大飢饉が襲って生活が苦しい時代もあれば、明るく活気のある時代もあったと思う。
最初江戸時代と聞いて、江戸時代のいつがテーマになるのだろうかと思っていたが、なるほど江戸時代をテーマにしたというよりはそういう長い時代のスパンの浮き沈みを描く作品なのだなと解釈して納得した。

人々は歴史から学ぶことは多いと思う。歴史は繰り返すから。だから歴史を学ぶ意義があると思うし、過去の資料から歴史を読み取って研究していくことも重要だと思う。
第一話では、令和時代を生きるかつての同級生たちがタイムカプセルを発掘しようとする。タワマンが建設されそうになっていて掘り出さないとタワマンが立ってしまうからである。エノモトたちはタイムカプセルを掘り出そうとするが、掘り出されたものは死体であり、それは武士之介の脳みそであった。
武士之介は江戸時代の人なので、令和の同級生たちが武士之介の脳みそを掘り出したことで、まるで歴史を掘り起こしたかのように江戸時代の人々の日常に触れることになる。それが第二話、第三話、エピローグの話である。

まず第一話では、過去の出来事は現代にも通じる話なのだと諭されているように思えた。私たち観客が武士之介の思い出話と繋がってしまったように、江戸時代の過去の出来事は決して他人事でなく、私たちとも密接していることなのだと教えられたような気がして、だからこそ歴史を学ぶことは大事なことだし過去のことについて触れていくことの重要性を説いているように思えた。

そんな現代の私たちに江戸時代の思い出話が教えるべきことは、第二話に当たる大飢饉の時代と第三話にあたる活気のある時代についてである。
江戸の大飢饉の時代には、人々は食べる物もなくて生活に余裕がなくお互い共食いしようと考えるような時代だった。これは人間の普遍的な本性を言い当てているような気がした。私たちも、コロナ禍を経たので自分たちの生活に余裕のない時代は、とにかく自分の身を守ることに必死であったことを思い出させてくれる。それは江戸時代も令和時代も同じであると。
おえきという疫病にかかった女性が登場して、最後はおえきと一緒にみんなで茶屋に入り、全員が疫病に感染してしまう。弱者を助けようとすると自分も巻き添えを喰らってしまう残酷さを物語っているようで、実際にコロナ禍でも連帯責任というものはついて回っていたなと考えさせられた。

第三話では、大飢饉も終わって人々の暮らしは豊かになった。活気のある時代になった。そんな時代に、臀侍という存在が現れた。劇中では、臀侍は顔は臀になっていてとても惨めだけれど、とても心優しい存在だった。しかし、そんな臀侍に懸賞金がかけられてしまって人々は懸賞金目当てに臀侍を探すことになる。
この描写もとても令和の時代を象徴しているよなと思った。今は徐々にコロナ禍も落ち着き始めて再び元の活気のある時代がやってきた。であるが故に、人々の心境として他者に対して思いやりをかけられるようになった。だからこそ、LGBTQ+といったマイノリティに対して意識を向けて、そういう多様性を大事にしようという時代も加速したのである。
臀侍は、現代におけるLGBTQ+などのマイノリティの存在とも位置付けられると思う。社会的に差別されやすい存在。自分の利益に囚われずに多様性を重んじられるか、そんなことを私たちに突きつけているように感じた。
臀侍はまるで映画『エレファント・マン』に登場する青年ジョン・メリックのようだった。非常に醜いが心優しく、だからこそ社会的に差別されることに精神的に疲弊していた。きっと臀侍も懸賞金までかけられて精神的に疲弊していたに違いない。

ここで一つ注目したいのは、臀侍には彼のことをずっと守ろうとしてくれる姉の存在がいたことである。これは第二話の大飢饉の時代とは対照的である。おにくの姉たちは、そのひもじさから妹を食べてしまおうとしたのだから。時代というものは恐ろしくて、平穏な時代は他者のことを気遣える余裕を持てるものだが、大飢饉のような自分の生活をするのがやっとの時代では、同じ家族でさえも相手のことを考えている暇がなくなるということである。それが、この第二話と第三話の対照的な時代を描くことによって明らかだよなと感じた。
また、臀侍と姉が二人でいる時、屁の音が複数回聞こえた。姉は屁は臀侍がしたのかと思った。観客も同じように臀侍がしたと思ったに違いない。しかし実際は影に隠れていた武士之介だった。これは、ある種私たちが気をつけていても思わず差別してしまう言動そのもののような気がした。別に顔が臀だからって屁をよくするとは限らない、けれど疑ってしまう。こういう所に気をつけていてもどうしても差別をしてしまう無意識的な言動があるように思えて考えさせられた。

エピローグでは、キューセイシュというまるでイエス・キリストみたいな存在が江戸時代の人々に説教をしようと現れた。これはまさに幕末にペリーが日本に来航したことと重なるよなと思った。
キューセイシュは非常に偉そうだったので、最初は人々は言うことを聞かなかったが、キューセイシュが遜ったことで耳を貸すようになる。その結果、キューセイシュと人々は親しくなって最後に井戸の中に地下都市を築き上げた。そしてこれこそが、同級生が発見したタイムカプセルだった。

令和の時代でも、ChatGPTのような欧米の文明の進んだ技術が日本にも上陸しつつある。きっとそういった技術を日本は受け入れて、地下都市のような今の私たちをあっと言わせるような未来がこれから作られるかもしれない。
そしてそういった未来予想図は、必ず過去の歴史にそのヒントが隠されている。歴史は繰り返すから。
過去、現代、未来を繋ぐ今作は、ナンセンスコメディではあるものの、間違いなくそういうテーマも含まれているんじゃないかと私は感じた。もしかしたらそんな意図は込められていないかもしれないが、私はそう受け取ったので、そんな解釈を大事にしようと思う。

写真引用元:ステージナタリー ナイロン100℃結成30周年記念公演 第2弾 ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」より。(撮影:引地信彦)



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