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リベラルアーツの黎明より、ともに歩み続けた“音楽”と“演劇”が、様々な人々と協働し対話する力を育む

20世紀の大指揮者も生んだハーバード大学

前回は、上智大学における基盤教育センターの取り組み、そして、リベラルアーツとパフォーミング・アーツなどの芸術とのつながりについて見てまいりました。

今回は、まず、その一翼を担う「音楽」とリベラルアーツの関係について探ってみましょう。

ところで、みなさんは、20世紀を代表するオーケストラ指揮者の一人、レナード・バーンスタイン(Lenard Bernstein、1918-1990)をご存知でしょうか。


世を去ってすでに20年余り経ちますが、今でも残された音源や映像のアーカイブにより、その才気溢れる指揮ぶりと統率力で多くのファンを惹きつけています。
映画にもなったミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の作曲を手掛けたことや、ベルリンの壁崩壊直後、現地でベートーベンの第九を演奏したことでも、有名ですね。

 実は、バーンスタインは、ハーバード大学の出身なのです。
 
ハーバード大学といえば、言わずと知れた世界に君臨する超名門大学。
日本国内で例えるならば、さしづめ、東大か京大といったイメージでしょうか。

ハーバード大学は、綺羅星のごとく、いろいろな分野に世界的リーダーや人材を多数輩出してきましたが、実は多くの音楽家も世に送り出していたのです。

え、ハーバード大学が音楽家を?
 
もちろん、ハーバード大学はいわゆる“音楽大学”ではありません。
 
でも、どうして?

米国では、ハーバード大学をはじめとするリベラルアーツ・カレッジでは、芸術家も数多く輩出しているのです。
 
意外な感じもしますが、一流の音楽家も輩出するパワーの源泉は、一体どこからくるのか。


「音楽」を通じて、多様性、人間力を

米国主要大学のリベラルアーツ教育実情に詳しい音楽ジャーナリストの菅野恵理子氏が、ご自身のサイトや、著作『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』のなかで、米国のリベラルアーツ・カレッジでは、アート、とくに音楽に重きが置かれていることを、豊富な実例と共に紹介しています。

 

ハーバード大学では、「一般教養科目としてどの学生も音楽を学べる」ようになっています。また、同じくリベラルアーツ・カレッジの名門コロンビア大学に至っては、全員必修となっているとのこと。
他のリベラルアーツ・カレッジでも、音楽は、単なるサークル活動ではなく、教養教育で重要な位置を占めている・・・


これらの大学で行われている音楽教育は、世界の歴史や多様な文化を知り、社会勉強をするための重要な窓口としての役割を果たしているだけではありません。

たとえば、学生同士によるアンサンブル演奏を実践することで、多様な人々と理想の音楽を目指し、いろいろな困難を乗り越えて協働することの大切さを学ぶ。
さらには、リーダーシップやチームワーク作りなどの人間力を身につけるなど、実にさまざまな教育効果を生んでいる
、と菅野氏は様々な実例を交えて説明しています。

菅野氏は、マサチューセッツ工科大学・室内楽のマークス・トンプソン教授の言葉も紹介しています。

「共に音楽を奏でることは魂の喜びであり、あらゆるソーシャルトレーニングにもなっています」

東洋経済オンライン 2022.11.19
MITやハーバードなど名門校で音楽授業が盛んな米国、どんな変化が起きた?
「STEAM教育」重視の時代における音楽の重要性」より

 さらに菅野氏は、
「このような音楽の学びによって、意識が広く深く掘り下げられ、「新しい世界観をどう構想し、どう協働してつくり上げるか」が身に付いていくのではないかと考えられます」
とも述べています。

パフォーミング・アーツを重視する米国のリベラルアーツ・カレッジで、
いかに音楽が重要な役割を果たしているのかが、手に取るようにわかるとともに、すぐれた人材を輩出する力の淵源が、まさにここから生まれていることがよくわかります。



 

扱われ方がまるで違う「音楽」

「音楽」という教科。
われわれ日本人の感覚からすると、小学校、中学校、高校と学んできた音楽という教科は、あくまで、クラス全員で合唱したり、笛を吹いたりする実技系科目の一つであり、高校や大学の入試科目ではほとんど扱われることのない、あまり重要ではない科目と見なされているのが現実でしょう。
 
日本国内の一般的な大学においては、多くの学生が音楽に関する様々な科目を受講したり、オーケストラに加わり演奏したりするというのは、サークル活動で活動するのではない限り、ほとんど聞いたことがありません。
 
ですので、米国のリベラルアーツ・カレッジにおける音楽の扱われ方には、多くの方は違和感、というよりも一種の驚きの念を抱かざるを得ないのではないでしょうか。

リベラルアーツは「音楽」とともにはじまった!

しかし、古代ギリシャに端を発するリベラルアーツ。
その始原の時代に目をやると、はじめから、音楽があったのです!
 
数学者ピュタゴラスによる音律の発見がなによりも大きな影響を与えたようです。

哲学者プラトンは、アテナイでアカデメイア(アカデミア)を創設し、ピュタゴラス派のカリキュラムを取り入れた。それは、自然の創造物を数によって解き明かす数論、幾何学、天文学、音楽の「4学科(クアドリヴィウム)」であった。

『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』
(菅野恵理子著、アルテスパブリッシング、2015)
185pより抜粋

まさに、学問は音楽とともにスタートした、ということですね!

いまの大学の原型が生まれたとされる中世ヨーロッパの時代になると、「自由七科」や「自由七学芸」と言われるリベラルアーツが誕生します。
その内訳は、語学や言語に関する3科(文法、修辞学、論理学)、そして数学に関する4科(数学、幾何学、天文学、音楽)であり、当然、音楽も組み込まれました。

ヨーロッパでは、その文明のはじまりとともに、音楽は非常に重要なものとして扱われてきた伝統があるのですね。

その後、数世紀の時を経て、ドイツのゲッティンゲン大学や、現代の大学のモデルとなったベルリン大学で音楽学科が設けられ、さらに米国のリベラルアーツの重要科目として定着する・・・

そこまでには紆余曲折があったことは菅野氏が著書の中でくわしく説明されていますので、ぜひそちらをお読みいただきたいと思いますが、
リベラルアーツの淵源には音楽が存在し、いにしえより、リベラルアーツとパフォーミング・アーツが結びつく“萌芽”があったことを、改めて強く感じるのです。


日本人バイオリニストも輩出

ここで、ハーバード大学に学んだ2人の日本人バイオリニスト、五嶋龍氏と廣津留すみれ氏をご紹介しましょう。
 
五嶋氏はなんと物理学科を専攻。音楽学科ではありません!
廣津留氏は音楽学科専攻ですが、グローバル・ヘルスも副専攻として学んだのです!
 
廣津留氏のように、全く違う領域の学問を一つはメジャー、もう一つはマイナーの科目というふうに学べる、という話は、日本ではあまり聞きませんね。

菅野恵理子氏は、著書の中で、ダブル・ディグリー、ダブル・メジャーも含めこのような学位取得のあり方を、「個人の能力意思を最大限反映したカリキュラム」を組むことができるシステムとして評価しています。

人間の才能をひとつに限定せず、あらゆる方向に伸ばしていく考え方は、社会に新たな突破口を生み出す可能性を秘めている。

『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』95Pより抜粋

★ダブル・ディグリー、ジョイント・ディグリーについては、この「超えていく大学」シリーズの「学位、海を越える」でも扱っていますのでどうぞご覧ください。⤵


「演劇」もリベラルアーツ。すべての人に必要なもの

もう一つの重要なパフォーミング・アーツ――“演劇”についても、触れておきましょう。
 
劇作家で、現在、芸術文化観光専門職大学(兵庫県)の学長も務められている平田オリザ氏は、紀元前5世紀のギリシャで「民主制」や「哲学」と同時期に生まれ、対話の訓練の場として発展してきた演劇を紹介しつつ、世界が多様化し、分断を深める今だからこそ、演劇が必要とされている、と訴えています。

「多様なままでともに生きる世界」を成り立たせるためには、何よりも「対話」の力が必要です。そのような「対話」の力は、演劇を通してこそ、確実に学ぶことができると私は考えています。

『ともに生きるための演劇』(平田オリザ氏著、NHK出版刊、2022)7pより抜粋

そして、「日本は演劇教育についていうと、世界のなかで日本は長年周回遅れ」であることを指摘され、海外のリベラルアーツにおける演劇について次のように言及しています。

フランスやイギリス、アメリカ、韓国など、世界には、俳優や演出家を目指す人たちのための国立の演劇学校、映画や演劇学部のある公立大学が多数存在します。
また、演劇はプロの俳優や演出家を目指す人たちだけのためのものではなく、リベラルアーツ(教養教育)としてすべての人に必要なものだと認識されています。特にアメリカでは、どの州立大学にも演劇学部が存在し、専門教育を行うのと同時に、医者、弁護士、教員などを目指す他学部の学生が、副専攻で演劇を選択することがとても多い。演劇の単位を取得していると、「コミュニケーションが得意」「表現力がある」「対話の力がある」とみなされ就職にも有利に働き、実際に演劇の経験やそこで培った能力は、仕事の場面でもとても役に立つ。

『ともに生きるための演劇』7、8pより抜粋

ここで、「副専攻で演劇を選択」との表現がありますが、先ほど触れましたとおり、米国の大学では、ダブルメジャーやダブルディグリーという制度が浸透していて、いろいろな領域の学問・芸術から複数の専門を学ぶことができるのです。

日本国内では、一般の大学で演劇をやりたければ、専門の学部・学科に所属しない限り、サークルに所属して活動するといった方法以外、あまり考えられませんね。



「演劇」は就職に不利?

さらに、平田氏は、日本では逆に、「大学で演劇をしていた」と言えば、まるで「遊んでいた」「趣味に没頭していた」かのように受け止められ、就職に不利になる時代が長く続いていた、とも述べ、残念ながらネガティブなイメージも持たれていたことを告白しています。

…演劇は、戦前から左翼運動や労働運動と密接に結びついていたことから、「反政府運動」であるという印象が強く持たれていました。

『ともに生きるための演劇』30pより抜粋

 

音楽、演劇、舞踊・・・発展はしたものの

日本には、明治維新以降、欧米から、音楽、演劇、舞踊などさまざまな文化・芸術が輸入されて、それぞれの分野はさまざまな試練を乗り越えながらも発展し、世界的レベルの芸術家も多数送り出してきました。

しかし、こと大学教育やリベラルアーツ教育との関係はどうだったか?

この視点で改めて見直ししてみると、その立ち位置、価値観は欧米とは様相が異なってしまっていることに気付くのです。

では、なぜこうなってしまったのでしょうか。

次回は、戦後日本におけるリベラルアーツ・教養教育導入に関する
最新研究を踏まえ考察し、さらには最近注目のSTEAM教育を含めて、
さらに掘り下げてみたいと思います。

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