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【ビジネス書解説】『孤独こそ最高の老後』

こんにちは。
今日は、松原惇子さんの『孤独こそ最高の老後』 について解説していきます。

はじめに

老後は不安ですか?
不安だと思う人はなぜ不安ですか?
調査によると、孤独や 寂しさを挙げる人が多い結果となりました。
しかし、孤独は悪いことなのか、困ることなのか、疑問でした。
孤独でも、いつも明るく楽しく生きている老人はたくさん います。
その人たちは「健康」「お金」「終活(しゅうかつ)」「人間関係」の不安もそれほど抱えていないですし、困っていないです。
孤独は悪いことではなく、むしろ 孤独こそ最高の老後を過ごすのに必須であるとまで思えます。 
「人生100年時代」とも言われ、老後の孤独からはますます逃れられなくなっています。

この本では、最高の老後を過ごす方法が34個紹介されています。
今日はその中から厳選して、8個を解説していきます。
どうか、老後を悲観しないでください。
この記事が勉強になった、参考になったという人は、いいねやコメントを是非お願いします。

Youtubeでも解説していますので、ぜひこちらもご覧になってください。


具体的なアクションプラン 

【1個目】 安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれない。 

施設入居は老人本人にいいところとは言い難いです。
しかし、家族にも自分たちの生活があるので、かわいそうだと思ってもホームにお願いするしかないのが現実です。
孤独を避けるためにホームに移ってきた老人も多いと思います。
でも、 精神的には満たされたとは決して言い難い(いいがたい)です。
 

特別養護老人(とくべつようごろうじん)ホームに90歳の母親を入居させた68歳 の女性の例をあげます。 
「特別養護老人ホームに入れて、あなたもお母さんもラッキーね」と周りの人から は羨(うらや)ましがられます。しかし、ホームに母親を入居させて5年半経っても、思い出すと涙が出るといいます。
住み慣れた家で生活できなくなった母親の気持ちを察し、娘は毎週、母親を訪ねています。
そんなに恵まれた彼女の母親でさえ、「早く死んじまいたい」ともらすと娘は語ります。
決して老人ホームの対応が悪いわけではないですが、家族に捨てられたという思いがあるからだと思います。 
老人は、自分が家族の邪魔になっていることを敏感に察知します。
娘に遠慮がちにつぶやく「死にたい」の言葉の裏には「知らない人の中で、死ぬまで暮らす精神的苦痛から抜け出したい。 早くラクになりたい」という思いがあるからだと推測できます。 
「どんなことがあっても、老人ホームには入らない。絶対に嫌だ!」という老人もいます。
しかし、子どもの生活を考えると、結局は入居せざるを得ない親は多いです。

親を老人ホームに入れることのできた家族は、胸をなでおろします。
老人ホームに入れば、食事、入浴、 下(しも)の世話をスタッフがしてくれます。
しかし、ここが死を待つ場所である老人たちにとって、言い方は悪いですが老人ホームは独房(どくぼう)のようなものです。
表面上は楽しく見えるだけで、心の中は寂しい人も多いはずです。
親を老人ホームに入れるときは、親も娘も泣きながら決断します。 
安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれないと、つくづく考えさせられます。 


【2個目】 孤独老人になるのを嫌うのは日本人だけ。 

日本人ほど「自分」を持たない人たちはいないです。
それと同時に、日本人ほど 孤独を避けようとしている民族はいないのではないかと思います。
ドイツの場合は、ほとんどの老人がひとり暮らしです。
ひとり暮らしで高齢なのに、悲惨ではないです。
それは「自立している国民」と「自立していない国民」の違いです。 
ドイツでは、幼い頃から自分で考えて決断するように教育されてます。
日本の場合、子どもの進路を親が決めることが多いですが、ドイツの場合は本人の決断に委(ゆだ)ねられます。ドイツではほとんどが10歳で進路を決めます。
管理職に就く人の多い総合大学へと進む 「ギムナジウム(教育機関の一種)」、専門上級学校や専門大学への進学を前提とした「実科学校」、大学には行かない 「基幹(きかん)学校」のいずれかに主に進むよう決めさせられます。

しかも、大学とはいっても、その子の能力により進学する大学が決められています。
ドイツでは医者の子供が医者になれるとは限らないです。また、ドイツだけでなくオランダでも、「18歳になると家を出て、ひとり暮らしをする」ことになっている家庭が多いです。
どんなに裕福で部屋数の多い家に住んでいる子どもでも、18歳になると自立させられます。 

つまり、ドイツ・オランダでは、人間としての「自立」が早いです。
両国(りょうこく) では18歳で、ひとりで生活することで大人にさせられます。
このように早い時期から、自立して社会で生きなければならないので、孤独についても子どもの頃から学び、身に付いています。
ドイツでは「人は孤独なのが当たり前」という考え方 を誰もが持っています。 
なぜなら、「自立」と「孤独」はセットだと知っているからです。
個人を持たない自立していない日本人は、群れから離れて「ひとり」になる ことを恐れます。
しかし自分で自己決定して生きてきたドイツ人は、「人間は本来ひとり」という認識なので、孤独をすんなりと受け入れて楽しんで生きているのです。
 


【3個目】 孤独を味方につければ幸せになれる。 

この本の著者の松原(まつばら)さんも、孤独から逃れようとしたひとりでした。
日本人は孤独を嫌う民族なのか、ひとりでいる人を寂しいと決めつけるところがあります。 
松原(まつばら)さんが30代を振り返るとき、わたし以上に孤独な人もいなかったのではないかと感じたそうです。そんな孤独地獄の中で、作家デビューすること ができたのは、奇跡だと言います。
きっと孤独の神様が、見るに見かねて助け舟 (ぶね)を出してくれたのだと感じたそうです。

40代、50代はありがたいことに仕事で忙しく、充実した日々を送っていたので、孤独のことを考えたことはなかった そうです。
しかし、60歳の還暦(かんれき)を迎えたときに、孤独が顔を出し始めました。
心に寂しい風が吹き出しました。
自立はしたけど、今はいいけど、もっと年を取っても、ひとりで堂々と生きていくことができるのか?
ひとりの老後は甘くないのではないか?
それを実感するようになり、また、それを見せつけるような現実に松原 (まつばら)さんは直面しました。
自宅とは別に一時的に賃貸マンションを借りよ うとしたところ、不動産会社から断られました。
理由は、60歳過ぎのひとり暮らしだからでした。 
そして、70歳を迎えたときに、「孤独への恐怖」が「孤独を愛そう」という気持ちに変わったそうです。
孤独を友達にすることに気づいたのです。
そこに気づいてからは、松原(まつばら)さん自身もびっくりするほど人を求めなくなりました。
昔は パートナーがいないことを寂しがったり、家族がいる人を見ると幸せそうに思ったりすることもあったそうです。

しかし、今はむしろその逆で「ひとりでよかった」と心 から喜べる自分がいると言っています。
以前はあんなに身近に人を求めていたのに、今は「誰もいなくていい」という心境になったそうです。
また、人を求めなくなったら、 他人に少しだけだがやさしくなったそうです。
専門家によると、70代は もっとも体が安定するときらしいのですが、精神も同じように安定するのだと、松原(まつばら)さん自身は体感したそうです。 


【4個目】 人とのつながりを乗り越えた先に「自由」がある。 

親の介護は息子でも嫁でもなく、独身の娘がやる風潮になっているのが日本の介護の現実です。
昔は、親の介護は嫁がやるものでしたが、シングル女性が増えたこともあり、親と同居している娘が介護をするようになってきました。
親も嫁より、実の娘に世話になるほうが気楽ということもあるようです。
やっていると、やりたくない介護は、独身女性に回ってくるように思えます。 

東京都の世田谷区に住むひとり暮らしの未婚の女性の奈緒美(なおみ)さんの 話を例にあげます。
彼女も母親の介護を自宅で8年しました。
奈緒美(なおみ)さんの母親が亡くなったとき、彼女は「母を思い出すことはあっても、ひとりになって寂しいと思うことはないですよ。」そう言って心からの笑顔を見せました。
彼女が心からそう思っているのは感じられたそうです。
夫も子どももいない。
更に両親 もいない。
いるのは仲の悪い兄弟だけ。
兄弟は、結婚して家庭を持ってしまうと、 実家を顧み(かえりみ)ないものです。
結婚すると当然ですが、自分の家庭が第一になります。 
兄弟全員が独身の場合は仲が良いですが、結婚して家庭を持ったら別人になります。
「兄弟はいてもいないのと同然ですよ。 口も出さなければ、お金も出さな い。時間も出さない。
そして、母の遺産だけは権利を主張し、取りに来る」
それが 兄弟だと奈緒美(なおみ)さんは笑ったそうです。

「ひとりが寂しい」は、単なる先入観(せんにゅうかん)です。
人を必要としなければ、ひとりは自由で気楽です。
 
「ひとりを寂しい」と思うのか、「ひとりは自由で素晴らしい」と思うのか? 
僕たち日本人は、「ひとりは寂しい」とどこかでインプットされ続けてきたため、ひとりの素晴らしさに気づかずに、人生を終えてしまう人が多いです。 
たしかに 「人」も自分の人生を輝かせてくれますが、それ以上のものが 「自由」です。 


【5個目】 孤独なときこそ、好きなことに没頭する。 

人生100年時代では、今80歳でもまだ20年以上もあるのだから、今から始めても遅いことはないです。
もし絵を描くのであれば、まずは美術展を目指します。
写 真撮影が好きなら猫の写真を撮りまくり、猫島にしばらくこもります。
読書が好き なら、図書館の本を片っ端から読み、読書ノートをつけ評論家を目指します。 
ラーメンが好きなら、日本中のラーメンを食べ歩き、『おじいさんのラーメン日記』 を出版します。

このように人を求めずに、自分が好きなことに没頭すれば、「寂しい」という感情は湧かなくなります。
ということは、毎日が日曜日の定年退職男性は、芸術家になれる要素を持っていることになります。
まずは時間です。
年金生活者には、24時間も自由時間があります。
次に資金です。
少ないかもしれない が、働かずして入る年金という収入があります。
それから健康です。
視力は落ちていても、自力で動ける体力はまだあります。この3点が揃っているのは、今しかないです。

「孤独」はシニアのよき友達だと気づき、孤独というお友 達を連れて好きなことに“没頭”してください。
ここで僕が強調したいのは、ただ好きなことをして過ごすのではなく、好きなことに没頭することです。
“没頭”というのがミソです。

ひとりで“没頭”する時間こそが至福のときです。
老いてこそ、ひとり だからこそ、やれることはたくさんあります。
人に求めるのをやめて、自分の内なる世界に目を向け、至福の老後を送ってください。 


【6個目】 孤独を愛せる人は、どこに住んでも幸せになれる。 

この日本には、こんなにも至福の老後を送っている人がいるのかと感心させられ る番組があります。
所ジョージさんがMCを務める『ポツンと一軒家』というテレビ番組です。
 『ポツンと一軒家』は、衛星写真から山奥にポツンと存在している家 を探り当て、陸路(りくろ)でその場所を目指すのですが、道もないような奥の奥に家があります。
そして、住んでいる人がいます。
隣の人もいないです。
あるのは自然だけです。
たいてい、そんな山奥の一軒家に住んでいるのは老人です。 
ポツンと一軒家で暮らしている夫婦はいたって幸せそうです。
二人は便利さを求 めて暮らしているわけではないです。
二人とも腰は曲がり、都会の人間からする と、よく他人のヘルプなしに暮らしているなあと思います。
しかし本人たちは、夫婦仲良く助け合って暮らしているだけです。 

人は、緊急時の安心のために生きているのではなく、生きている間の暮らしを楽しむために生きています。
誰も来ない自然の中で、ひとりで暮らせる人は、孤独 の素晴らしさを知っていて、それを十二分(じゅうにぶん)に味わって生活している人です。 
静かな環境の中で、うるさい人間関係に煩(わずら)わされることもなく、自分と対話して生活しているので、心も研ぎ澄まされているに違いないです。 
幸せとは、誰かがいることでも、誰かと心が通じていることでもなく、ひとりの時間を満喫できることです。
孤独を愛する人たちの心はバタバタしていないです。 
静 かで淡々としていて、人にやさしいです。


【7個目】 孤独だと、病院へのかかわり方も自分で選べる。 

家族を悪く言う気はないですが、時に家族は、余計なおせっかいをするものです。
「あなたのことを思っているからよ。心配しているのよ」と、自分の価値観を愛 というオブラートでくるんで押し付けてきます。 
例えば、風邪で寝込んだとします。
すると家族は、早く医者に診てもらうように言います。 
本人の意思など聞くこともせずに、病院に行かされます。腰が痛いと言えば、整 形外科に行くように言われ、孫の車に乗せられ連れて行かされます。
夫は妻の 所有物ではないのに、相手に自由を与えず、自分の価値観を押し付ける妻は多いです。 
しかし、ひとりなら、家族から押し付けられることを避けられます。
これがひとりの素晴らしいところです。

自分の健康、自分の体のことを自分で決められます。
自分で勉強し、自分で情報を集め、自分で健診を受けるか決めることができます。
 
その結果は自分の責任です。
これを家族に言われるがまま、病院で検査をし、 最悪、その検査結果から過剰な治療を受けて不調になったとします。
しかし、家族は何ら責任を取ってくれないです。
ひとりであれば、自分が医療にかかわりたくないと思うなら、かかわらないで済みます。
誰にも指図(さしず)されることのないひとり生活の特典は自由です。 


【8個目】 病気のときこそ、ひとりに限る。 

「今はまだ元気だからいいが、老いたときひとりは不安だ」と訴える(うったえる) 人は多いです。
何が不安なのか尋ねると、口を揃えたように「病気になったとき」 と言います。
元気で動き回れるうちは、ひとりがいいけど、病気で動けなくなった ときは誰かにいてほしいということです。
 気持ちはわかりますが、調子がよすぎます。元気なときは人はいらないけど、病気のときは人の世話になりたいと思うのはいいです。
しかし、あまりにも自己中心的な考え方ではないでしょうか?

正と負の法則ではないですが、どんなものにもよい面と悪い面があります。
「ひとり」のよい面は、自由であることです。

悪い面は、世話をしてくれる人がいないことです。
その両方を 持ち合わせているのが 「ひとり」です。
だから、口が裂けても「誰もいなくて不安」 などという弱音を吐いてはいけないのです。 
こう言ったら驚くかもしれないですが、病気のときこそ、ひとりに限ります。
誰もいないに限ります。
弱っている自分を他人に見せなくて済むからです。
正直、具合が悪いときは、疲れます。
たとえ家族といえども、気を遣わないといけないからです。
放っておいてもらえる幸せ、それはひとり暮らしの人にしか味わえない至福 (しふく)の時間です。 
ひとりのよさは、自宅でも病院でも静かに闘病できることです。
日本人の多くは、 ベッドの周りに人がいないと寂しいと思う人が多過ぎます。
この国には、ひとりで孤独を愛してはいけない空気が漂っています。
ですが、病気のときこそ、ひとりは最高です。 
元気になってから人と会えばいいだけです。 


まとめ

それでは、まとめていきましょう。

【1個目】 安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれない。 

子どもの生活を考えると、結局は老人ホームに入居せざるを得ない親は多いです。
親を老人ホームに入れることのできた家族は、胸をなでおろします。
しかし、ここが死を待つ場所である老人たちにとって、言い方は悪いですがここは独房のようなものです。
表面上は楽しく見えるだけで、心の中は寂しい人も多いはずです。 
親をホームに入れるときは、親も娘も泣きながら決断します。
ホームの存在は助かります。
しかし、 安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれないと、つくづく考えさせられます。 


【2個目】 孤独老人になるのを嫌うのは日本人だけ。 

ドイツ・オランダでは、人間としての「自立」が早いです。両国では18歳で、ひとりで生活することで大人にさせられます。
このように早い時期から、自立して社会 で生きなければならないので、孤独についても子どもの頃から学び、身に付いて います。
ドイツでは「人は孤独なのが当たり前」という考え方を誰もが持っています。 
なぜなら、「自立」と「孤独」はセットだと知っているからです。
個人を持たな い自立していない日本人は、群れから離れて「ひとり」になることを恐れます。
しかし、自分で自己決定して生きてきたドイツ人は、「人間は本来ひとり」という認識なので、孤独をすんなりと受け入れて楽しんで生きています。 


【3個目】 孤独を味方につければ幸せになれる。 

人は誰しもが孤独を恐怖と感じます。
しかし「孤独への恐怖」が「孤独を愛そう」という気持ちに変わります。 
孤独を友達にすることに気づきました。
そこに気づいてからは、著者の松原(まつばら)さんもびっくりするほど人を求めなくなりました。
今は「ひとりでよかった」と心から喜べる自分がいると述べられています。
専門家によると、70代はもっとも体が安定するときらしいですが、精神も同じように安定するのだと、松原(まつばら)さんは体感したそうです。

 

【4個目】 人とのつながりを乗り越えた先に「自由」がある。 

「ひとりが寂しい」は、単なる先入観です。
人を必要としなければ、ひとりは自由で気楽です。
僕たち日本人は、「ひとりは寂しい」とどこかでインプットされ続けてきたため、ひとりの素晴らしさに気づかずに、人生を終えてしまう人が多いです。 
たしかに「人」も自分の人生を輝かせてくれますが、それ以上のものが 「自由」です。 


【5個目】 孤独こそ、好きなことに没頭する。

人生100年時代では今80歳でもまだ20年以上もあるので、今から始めても遅いことはないです。
人を求めずに、自分が好きなことに没頭すれば、「寂しい」という 感情は湧かなくなります。 
「孤独」はシニアのよきお友達だと気づき、孤独というお友達を連れて好きなことに“没頭”したいものです。
“没頭”というのがミソです。
なぜなら、ひとりで“没頭”す る時間こそが至福のときだからです。
老いてこそ、ひとりだからこそ、やれることはたくさんあります。
人に求めるのをやめて、自分の内なる世界に目を向け、至 福の老後を送ってください。 


【6個目】 孤独を愛せる人は、どこに住んでも幸せになれる。 

人は緊急時の安心のために生きているのではなく、生きている間の暮らしを楽しむために生きています。
誰も来ない自然の中で、ひとりで暮らせる人は、孤独の 素晴らしさを知っていて、それを十二分(じゅうにぶん)に味わって生活している人です。 
静かな環境の中で、うるさい人間関係に煩わ(わずらわ)されることもな く、自分と対話して生活しているので、心も研ぎ澄まされているに違いないです。
幸せとは、誰かがいることでも、誰かと心が通じていることでもなく、ひとりの時間を満喫できることです。 


【7個目】 孤独だと、病院へのかかわり方も自分で選べる。 

ひとりなら、家族から押し付けられることを避けられます。
自分の健康、自分の体のことを自分で決められます。
自分で勉強し、自分で情報を集め、自分で健診を受けるか決めることができます。
その結果は自分の責任です。
これを家族に 言われるがまま、病院で検査をし、最悪、その検査結果から過剰な治療を受けて不調になったとします。
しかし、家族は何ら責任を取ってくれないです。
ひとりであれば、自分が医療にかかわりたくないと思うなら、かかわらないで済みます。
誰にも指図されることのないひとり生活の特典は自由です。 


【8個目】 病気のときこそ、ひとりに限る。

「ひとり」のよい面は、自由であることです。
だから、口が裂けても「誰もいなくて不 安」などという弱音を吐いてはいけないです。 
こう言ったら驚くかもしれないですが、病気のときこそ、ひとりに限ります。
誰もいないに限ります。
弱っている自分を他人に見せなくて済むからです。
正直、具合が悪いときは、疲れます。
たとえ家族といえども、気を遣わないといけないからで 
す。
放っておいてもらえる幸せ、それはひとり暮らしの人にしか味わえない至福の時間です。 



解説は以上です。
今後も至福の老後を生きるために必要なのは、孤独を味方につけることです。
「孤独なんか考えたくない」と、孤独を避けるのではなく、孤独を親友にしてください。
今回の解説が勉強になったという人は、いいねコメントを是非お願いします。

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