「純粋さ」っていいことのかな?【イノセント・デイズ】

おはようございます。今日は少し肌寒いですね〜
久しぶりに小説を読みました。「イノセント・デイズ」っていう本なんですが、みなさん、ご存じでしょうか?ドラマ化もされていたみたいですね。
※ネタバレを含んでしまうかもしれません。ご注意ください。

僕は「純粋でありすぎるって、怖いな」って、読み終わった直後に思いました。一般的に「純粋さ」は、いい文脈で語られることが多いように感じます。特に、子どもを形容するときに用いられがちで、「あの子は純粋で、素直でいいよね」などのように大人は語ります。

なぜ、いいのか?それは、まだ何色にもそまっていないから。周りの視点からみると、自分色に染めやすいからだと思います。特に教師は子どもに純粋であることを求めがちですね。

主人公の女性「田中幸乃」は、元恋人の妻、そしてその子を放火によって殺した罪で、死刑宣告がなされました。
それだけを聞くと、「そりゃ死刑で当然だろう」となりますが、主人公に関わった人たちが彼女の生い立ちや人生の背景を読者に教えていってくれます。その中で語られる彼女は、あまりにも純粋。罪を犯すような人物ではないんですよね。

作中では、その純粋さをあらゆる人が利用します。彼女はそのたび裏切られ、傷つき、自分を押し殺します。この小説を読んでいて、何度も「助けたい」と思いました。自分が彼女の近くにいたら「もっとしてあげることがあるのに」と。

でも、彼女は最後まで「純粋」でした。ラストシーンは、その純粋さゆえに「綺麗だな」とも思ってしまいました。それと同時にそんな感覚を抱いてしまう自分が怖くなりました
純粋さほど、綺麗で怖いものはないかもしれません。

まさに、「イノセントデイズ=純粋な日々」を描いた作品でした。

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