鉄塔の猫

人間を哲学する人。ちいかわが好き。

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最近の記事

楽しさの深み

 最近、ある物語を最後まで読み通せて楽しめた体験があったのだけど、そのときにふと思ったことがある。「もし、学生時代の自分だったら、この物語をどのように感じていただろうか?」と。きっと〇〇の部分は理解できていなかっただろうし、それによって評価は大きく変わっていたかもしれない。その分、△△には強く共感していたかもしれないな。  そんな風に想像していると、「そもそも楽しさって何だ?」という気分になった。人間にとっての楽しさとは、基本的に主観的なものを指すが、物語のように言語的な作

    • 謝罪と反省

       現代はyoutubeやその他配信サイト、SNSなどで生計を立てる個人が増え、さらにどういう形であれ注目を集めたもん勝ちのシステムで経済が回り始めたため、倫理観が欠如している方が得をするとまで言える場面がある。本来、他人に迷惑をかけるような行為をすれば、非難が集中して謝罪に追い込まれることになるのだけど、それによってフォロワーが増えたら結果的に得をしてしまうわけだ。  そうした悪名は無名に勝るといった確信犯でなかったとしても、人間は完璧ではないから、社会の常識や倫理と自分自

      • 大人の類型化思考と老化

         大人になったというか、老いたなぁと思うことが少しずつ増えてきた今日この頃に、大人の類型化思考について少し書き留めておきたい。類型化思考とは、簡単に言えば「〇〇は△△だ」とステレオタイプに判断してしまうこと。これは曲がりなりにも経験や知識が増えた大人が良くも悪くも陥りがちな思考だと思う。  良くも悪くもと言ったのは、実際に人間や物事に対して、一個人の経験や知識から類型化された結論には一理あるからだ。例えば、今流行りのあれこれを見たとき、一昔前のあれこれと似ていると感じること

        • 小さな独裁者

           人間社会の中では、独裁者になる条件が自然と整っていく場合があります。条件とは、コミュニティに属し、コミュニティの中で一定の権力を持ち、その権力ゆえに他人から叱責されないこと。これらが職業の特性や仕事の成果、勤続年数、年齢、性格、コミュニティの規模次第で比較的簡単に実現されてしまうわけです。SNSにおけるエコーチェンバー現象は身近な例かもしれません。  人間は『動くと足下が見えなくなる』と述べたように、仮にどれほど優秀であったとしても、人間には必ず盲点があり、その盲点に気づ

        楽しさの深み

          動くと足下が見えなくなる

           生きるとは、動き続けることと同義ですが、動くと必ず足下が見えなくなるジレンマが人間にはあります。常に思慮深く、周囲に配慮し続けながら行動することは残念ながらできません。この文章を書く私自身も、この文章が正しいというような幾何かの肯定感と共に書くことしかできず、見えなくなった足下によって傷つけてしまう可能性は否定できません。  他人に優しい人ほど、言葉を選び、影響を考え、時には沈黙して動きが遅くなるのは必然なのです。ただ、人間社会には競争的な側面がありますから、動きの遅い人

          動くと足下が見えなくなる

          大人の反省

          『普通への想像力』にて、生きることは普通から遠ざかることであり、普通について考える重要性に気づいた話をしました。今回はそれに近い話を綴りたいと思います。  結論から先に述べると、世の中は大人の反省一つで平和になることが多いのではということです。 怒られなくなる大人  大人になると、他人から怒られなくなる。と語られるように、実際に大人になると他人から怒られる頻度は減ります。これには様々な理由が想像できますが、総じて諦めの気持ちが大きいように感じています。  言ったところ

          大人の反省

          普通への想像力

           最近、物事の平均値(場合によっては中央値)から語る必要性に触れ、普通への想像力がまだまだ足りない自分に気づきました。その中で思案した人間の哲学を少し書き留めておきます。 生きるとは、普通から遠ざかること  この文脈において『普通の定義』はさして重要ではなく、各々が考える『普通』で差し支えありません。生きている中で、どこか普通とは違う感覚を抱いた経験があるなら話は通じます。  なぜ、私は普通への想像力が足りていないことを考えるに至ったのか?というと、『生きる』とは『普通

          普通への想像力

          優しさは有限

          『頼られるのは好きだが、あてにされるのは嫌い』という言葉があります。どこかで耳にした言葉なのですが、調べてみるとアニメのキャラクターの一言が検索で引っ掛かりました。おそらく似たような言葉は各処にあります。  私はその言葉が『優しさの真理』を突いているようで、いつからか意識するようになりました。今回はそんな優しさについて少し語らせてください。 全ての他人に優しいは理想だけれど  幼い頃から学校や家庭で「他人には優しくしなさい」と教えられてきた経験を誰もが多かれ少なかれ持っ

          優しさは有限

          人間関係で萌芽するアイデンティティ

          『アイデンティティの分散—多面性で担保する』にて、自己の多面性を有効活用する意識がアイデンティティのリスク分散に繋がると述べました。  仕事をする自分、友人といる自分、趣味に打ち込む自分、家族といる自分といった具合に様々な自分を見つけ、それぞれの自分を建設的に機能させれば、一つのアイデンティティに固執せず、柔軟性の高まりと共に人間関係も良好になる期待が持てるのではないかという内容でした。  しかし、これは逆に言えば、多面的な自分を即座に受け入れてくれる他人はほとんど存在し

          人間関係で萌芽するアイデンティティ

          アイデンティティの分散

           以前に『人間の多面性と居場所』という記事の中で、自分自身を多面的に活かすための居場所づくりに触れました。人間は多面的な存在であるにも拘わらず、一つ、二つの居場所や人間関係にまとめてしまうためにあまり良くない結果を生んでいるのではという話。  そして、その着想から人間のアイデンティティの分散まで少し発展して考えてみます。私たちのアイデンティティもまた一つ、二つといった数少ない事柄への自己投影によって成り立つ場合があるため、柔軟性なき人間に近づきすぎてしまう問題を抱えています

          アイデンティティの分散

          答えだけではなく、考え方まで

           老子の格言に「授人以魚 不如授人以漁」というものがあります。これは「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか」という意味です。教育分野でよく語られている気がします。  子供に答えを教えるだけではなく、どうしてその答えになったのか、正しい答えを導くための『考え方』まで教えることに理想が置かれているわけです。子供もいちいち間違った答えに肩を落とすのではなく、間違った答えを導いた原因に迫り、改善していくという建設的な思考を学べます。  逆説的に言えば、現実

          答えだけではなく、考え方まで

          何かをやめたいなら、何かを始めること

           人間は何かをやめたいと思ってもなかなかやめられないものです。惰性で続けてしまったり、場合によっては依存もあるかもしれません。そんなとき、全く別の新しいことを始めると、いつの間にかやめたい物事をやめられているなんてことがよくあります。  そんな知っている人は知っている話ですが、この視点は発想の転換として非常に興味深く、人間が我慢のようなネガティブな直感よりもポジティブな楽しい直感に導かれる性質を表しているようにも思えます。 楽しいに導かれる感性から  さて、ここで終わっ

          何かをやめたいなら、何かを始めること

          他人との距離感は不平等でも

           誰しも他人を嫌うことがありますが、私はできるだけ『苦手』の枠組みから語るようにしています。それは一度でも嫌いになった相手のことなんて考えたくないし、見たくもないという自己防衛が働いてしまって自分の世界が閉じてしまうからです。 お互いの世界を守りながら  自分の世界が閉じて悪いことでもあるのか?と言うと、自己の価値観に固執し、他人との摩擦が大きくなる弊害が挙げられます。これは一度や二度ではなく、自分にとって都合の悪い相手が現れるたびにどんどん自分の世界が小さくなることを意

          他人との距離感は不平等でも

          早歩きすると本を読めない

           ここ最近、私は『豊かさとは何か?』と考えながら、いつからか心に巣食う小さな虚無感と対峙することがあります。少し疲れているだけだろうとリフレッシュを図っても、やはりその虚無感は解消されません。  この原因に目を凝らすと、現代の消費速度に呑み込まれ、自分本来の楽しみ方を忘れてしまったような直観を得ます。これはしばしば話題に挙がりますが、youtubeのショート動画のような30秒程度に凝縮したおもしろさで満足してしまい、もっとゆっくり味わいながら楽しむ行為を蔑ろにしてしまってい

          早歩きすると本を読めない

          人間の多面性と居場所

           魔が差したようにnoteに記事を投稿し、そこはかとなくnoteの雰囲気を感じながら考えたこと。  現代は皆がスマホを持ち、SNS社会と言われるように他人との繋がりが切っても切り離せなくなりました。そこから『デジタルデトックス』なる言葉も生まれ、自分にとってちょうど良い距離感を保つ必要性が謳われています。  もともと私はSNSが得意ではないというか、情報収集以外の建設性をなかなか見出せなかったために距離を置いていましたが、自分の一面の“居場所をつくること”も意味があるのか

          人間の多面性と居場所

          自己肯定の在り方と世界

          はじめに 普段から人間について考えることが好きで、その過程で蓄積した言語化のあれこれをここに綴ります。昨今、自己肯定感なるものの重要性が語られていますが、私の考えによれば自己肯定感はむやみに追い求めるものではなく、もっと広い意味での自己肯定、あるいは自己否定とのバランスを考えながら獲得するものとしています。  きっと今もどこかで人間の悩みに頭を抱えている人がたくさんいるでしょう。人間に対する解像度を上げるとき、何だかよくわからない人間の闇に呑み込まれることなく、建設的な捉

          自己肯定の在り方と世界