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アイデンティティの分散

 以前に『人間の多面性と居場所』という記事の中で、自分自身を多面的に活かすための居場所づくりに触れました。人間は多面的な存在であるにも拘わらず、一つ、二つの居場所や人間関係にまとめてしまうためにあまり良くない結果を生んでいるのではという話。

 そして、その着想から人間のアイデンティティの分散まで少し発展して考えてみます。私たちのアイデンティティもまた一つ、二つといった数少ない事柄への自己投影によって成り立つ場合があるため、柔軟性なき人間に近づきすぎてしまう問題を抱えています。※アイデンティティの存在の有無については触れず、在るものとして話を進めます。

アイデンティティと自己投影

 自分自身は何者か。人間が自分自身について理解したいかどうかはさておき、自分以外の存在から作用・反作用問わず、自分自身の存在を自覚することは誰であってもそうだろうと思います。

 例えば、目の前に他人がいれば、即座に自分と対比されて自分の存在感が浮かび上がりますよね。肌と肌が触れ合えば、生物的な実感まで噛みしめられます。

 これが日常的に習慣化するものであれば、いつの間にかそこには自己が投影されているような感覚を抱くようになります。例えば、憧れのアイドル。アイドルを応援し続けるとは、自分自身の応援でもあるという感覚を理解できる人ならわかるはず。人間の自己認識は必ずしも絶対的な自己のみによって成立するわけではなく、他人を含んだ形で成立する場合が多々あるのでしょう。

 事実、憧れのアイドルが引退するとなったら、とても悲しい気持ちを味わいます。これはなぜか?という問いを追い詰めていくと、自分とアイドルの関係から共有された時間によって自己認識が促進された面があり、関係が切れる=自己認識の欠損を引き起こすのではないかと考えられるわけです。

精神の拠り所と社会的なバイアス

 そうした自己投影するものがいつしか精神の拠り所となり、いわゆるアイデンティティと呼ばれるものになるのだろうと思います。言い換えれば、自分自身とは何者かという問いに答えられない状態は気持ちが悪く、自分とは〇〇であると言い切れる(思い込める)方が一時的にでも精神は安定するということです。

 しかし、ここで単一のアイデンティティを持つ危険性が浮かび上がります。それは『自分とは〇〇である』とわかりやすく言い切れる分だけ、ひとたび〇〇が崩れたら精神的に不安定になることです。仮に崩れなくとも、一つのものに固執すると柔軟性は確実に失われます。盲目的、かつ極端な思考に陥りやすい。

 特に〇〇には社会的なバイアスがかかりやすく、それゆえに多くは仕事をはじめとした社会的に価値を見出されているものが“自分自身の象徴”になっているのだろうと思います。歳を重ねていくと少しずつ実感しますが、老化によるパフォーマンスと社会的なアイデンティティの低下を恐れる気持ちが燻るようになります。

多面性の自覚と発展

 冷静に考えれば、仕事をはじめとした一つ、二つの事柄だけが自分を表しているなんて過剰認識もいいところだとわかります。なぜなら、仕事をする自分は一部に過ぎず、人間はいつだって多面的だからです。仕事や趣味、親子、夫婦、友人など数多くの対比関係の中で見せる自分は違います。

 それゆえに「あなたは何者ですか?」と問われても、本質的には答えられないことが自然であり、答えるとしても「自分は自分である」以上の答えは存在しないでしょう。

 そして、それぞれの面を自覚するとき、それらをアイデンティティの一部として発展的に取り扱ってみたらどうだろうかというのが記事の趣旨です。自分の一面=アイデンティティの種。自己表現の多様性に気づければ、一つ、二つのものに自己投影することがむしろ勿体ないとまで思うようになるかもしれません。

 それだけ自分という存在には可能性があり、目の前のただ一つのものに固執する意味は小さいということ。一時的に引き出すこと(すなわち育てる)はあっても、永続的ではない気がします。それに一つが崩れても十分に支えられる精神構造となれば、価値ある反対意見も受け入れられるようにもなるはずです。間違いを認められる大人像。

 平たく言えば、大人になると変に拗らせてしまう人が少なくありません。その原因は「第一に自分、第二に自分」というくらい自分の世界に固執しすぎているせいではないか、固執せざるを得ないアイデンティティを抱えているからと考えました。

終わりに

 相変わらずこの文字数で語る内容ではありませんが、アイデンティティが肥大化すると、大きく傷つく可能性が増え、傷つきたくないために自分の世界に引きこもり、争いの火種を抱え続けるという流れを辿ります。

 自分を客観視して精査(反省)できない場合、そんな肥大化するアイデンティティを止める術はなくなります。このイノシシのような猪突猛進な性質は誰もが抱えていますが、特に不安を抱えている人ほど顕著に見えます。

 もっと力を抜いて、いろんな自分を見つけて育ててみる。私自身の戒めとしても、ここに書き留めておきます。

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