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答えだけではなく、考え方まで

 老子の格言に「授人以魚 不如授人以漁」というものがあります。これは「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか」という意味です。教育分野でよく語られている気がします。

 子供に答えを教えるだけではなく、どうしてその答えになったのか、正しい答えを導くための『考え方』まで教えることに理想が置かれているわけです。子供もいちいち間違った答えに肩を落とすのではなく、間違った答えを導いた原因に迫り、改善していくという建設的な思考を学べます。

 逆説的に言えば、現実には魚ばかりを求めたり、与えられることに喜びを感じてばかりで考え方まで考えられる人は少ないことを表しています。

 これはなぜなのか。一つの格言から広がる世界を書き留めておきます。

抽象的なものはわかりづらく、つまらない

『筆者の主張と正しいものを選びなさい』といった現代文の問題に触れたことがあるかと思います。このとき、文章には「私の主張は〇〇である」なんて書き方はなされていませんから、文章から得られる筆者の論理を頼りに読み解かなければなりません。

 しかし、そのような論理と呼ばれるものは手で触れて確認できるわけでもないため、はっきり言ってわかりづらいものです。

 論理とは何か?と問われても十分な回答は難しく、現代文のテストが何だかんだセンスに帰結してしまう理由もよくわかります。楽しいかどうかを考えても、人間の五感に訴えかけられる具体的なものに比べて、抽象的なものは弱いと言わざるを得ません

 わかりづらいものより、わかりやすいものを。負荷がかかるものより、負荷を和らげるものを。自分とは違うものより、同じものを求めていく。人間は基本的に目の前のものを補完的に見つめています。

 人間が目に見える「魚」を求め、満たされる空腹にばかり囚われてしまうのはある種の必然なのです。動物的な本能と言い換えても良い。

抽象が支配する現実

 では、その格言をお金儲けに適用して考えてみます。お金儲けを第一に考えるならば、魚の釣り方を教えない方が賢い選択になります。自分だけ魚を釣り続け、釣った魚を高値で売れば大儲けできますから。

 抽象はわかりづらく、つまらないとしても、私たちの現実はそんな抽象に支配されていると言っても過言ではありません。なぜなら、現実の様々な製品やサービス=具体の元を辿れば、全て『思考=抽象』だからです。もっと元を辿るなら思想や哲学。

 抽象を避け続ければ具体を追い続けることになりますが、それは抽象から具体を生み出す人に簡単に振り回されることも意味しています。特に現代のアテンションエコノミーなんて呼ばれる「注目=お金」の流れからも顕著にわかる傾向です。バカと言われて反応してしまう人は恰好のカモになってしまっています。

 本能的とまで言える目の前のものだけに囚われる性質。それは悪いことばかりではありませんが、答えだけではなく考え方まで考えてようやく応用の利く成長に繋がるとしたら、たまには抽象の世界を漂ってみるのもいいものです。

終わりに

 抽象的な思考は『なぜ?』という疑問からすぐさま始まりますが、精神的に負担のかかる行為になっている点は懸念材料かもしれません。釣り方を学んでも、釣らなければ空腹は満たされませんから。

 この記事の趣旨は『抽象=良い』ではなく、具体に寄り過ぎたときに抽象の価値が際立つこと。人間は具体と抽象の往来が重要であると考えています。

 これはわかる人にしかわからないかもしれませんが、抽象に寄り過ぎた人間にとって、具体には心から救われることがあるのです。物質の安心感。自然科学が唯物論的なアプローチを選択する理由も、人間の性質がそれを求めているからと言われたら私は納得してしまうでしょう。

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