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早歩きすると本を読めない

 ここ最近、私は『豊かさとは何か?』と考えながら、いつからか心に巣食う小さな虚無感と対峙することがあります。少し疲れているだけだろうとリフレッシュを図っても、やはりその虚無感は解消されません。

 この原因に目を凝らすと、現代の消費速度に呑み込まれ、自分本来の楽しみ方を忘れてしまったような直観を得ます。これはしばしば話題に挙がりますが、youtubeのショート動画のような30秒程度に凝縮したおもしろさで満足してしまい、もっとゆっくり味わいながら楽しむ行為を蔑ろにしてしまっているということです。

 インターネット普及以前のゆっくりとした時間の流れを知る人にとって、現代はコンテンツの消費速度があまりに速すぎる上に数が多すぎることを多少なりとも実感しているのではないかと思います。日々の情報速度に対応するために、次へ次へと頭を切り替えているせいで、ようやく映画館に足を運んでスクリーンを前にしても、次のコンテンツについて考えているなんていう不可解な状態に陥っています。

 私は『岩波文庫』や『光文社古典新訳文庫』の哲学関連の書籍に時折触れるのですが、難解な文章の前にはすぐさま誤魔化しながら向き合っていることがバレてしまいます。

 これはインターネット普及以前と以後の過渡期を乗り越えた世代特有の病のような気がしなくもありませんし、もしかしたら心から読書を趣味にする人にとってはすでに実感の大きな問題になっているかもしれません。誰もが大量の情報に晒されている現代において、しっかりと意識の断捨離をしなければ、もう二度と目の前のことに集中できないような気さえします。他人と向き合うことまでそうなってしまったら恐怖です。

 ただ、豊かさにおいてはそうだったとしても、仕事においてはむしろ正義になっている矛盾が非常に悩ましいところです。もっと言えば、これが現代の豊かさであり、それに対応できていないだけだなんて言われた日には改めて『豊かさとは何か?』の問いに転げ落ちていくでしょう。豊かさと時代的速度の関係は深遠な問いに繋がります。

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