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人間の多面性と居場所

 魔が差したようにnoteに記事を投稿し、そこはかとなくnoteの雰囲気を感じながら考えたこと。

 現代は皆がスマホを持ち、SNS社会と言われるように他人との繋がりが切っても切り離せなくなりました。そこから『デジタルデトックス』なる言葉も生まれ、自分にとってちょうど良い距離感を保つ必要性が謳われています。

 もともと私はSNSが得意ではないというか、情報収集以外の建設性をなかなか見出せなかったために距離を置いていましたが、自分の一面の“居場所をつくること”も意味があるのかもしれないと考えるようになっています。

 もちろん、家族や職場、友人などが現実の居場所になっているわけですが、それらだけでは多面的な個人の全てが受け入れられているわけではないでしょう。温かく受け入れてくれる友人がいたとしてもそれは少し違うのです。

 自分自身の多面性を理解し、建設的な形で発散できる複数の居場所をつくること(見つけること)が何か人間にとって重要な意味を持つのではないかと感じ始めています。ついつい居心地の良い一つの居場所に依存しがちですが、居場所の数だけ人間の種類は変わり、多様な価値に触れられ、結果的にバランスの良い状態に至るのではと予想しています。

 バランスを欠いた人間が単一の価値観に固執し、結果的に他人との関係が破綻したり、コミュニティが窮屈になったりといった様子を今までに何度か見てきただけに、さらに言えば油断すると誰でもそうなってしまうだけに、実はとても人として大切な発見をした気がします。

 そんな取り留めのないnoteもたまには。

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