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人間関係で萌芽するアイデンティティ

『アイデンティティの分散—多面性で担保する』にて、自己の多面性を有効活用する意識がアイデンティティのリスク分散に繋がると述べました。

 仕事をする自分、友人といる自分、趣味に打ち込む自分、家族といる自分といった具合に様々な自分を見つけ、それぞれの自分を建設的に機能させれば、一つのアイデンティティに固執せず、柔軟性の高まりと共に人間関係も良好になる期待が持てるのではないかという内容でした。

 しかし、これは逆に言えば、多面的な自分を即座に受け入れてくれる他人はほとんど存在しないことも意味しています。本来、受け入れるという行為は並大抵のものではなく、おそらく世の中を見渡してもだいたいは単なる思い込み、そうありたいという自己中心的な願いに過ぎません。

 今回はこの点について少し考えてみたいと思います。

人間関係は一面の繋がりから

 人間関係が生じる過程を観察すると、多くは利害や環境に適応した一面をお互いに向かい合わせるように成立しています。例えば、職場の人間関係なら「仕事をする自分」と「仕事をする他人」が結びついています。サッカーをする自分と野球をする他人は結びつかないような話です。

 人間は多面的であるけれど、多面的な姿をそのまま表現することはできません。加えて、多面的な姿とは捉えどころがない複雑な様相にも見えるため、理解が進まず、人間関係の形成は積極的にできなくなります(未知のものは怖い)。こうした文章がタイトルから内容まで一貫していなければ理解が進まないのと同じです。

 それゆえにSNSでは多くの人が「自分は〇〇である」と職業や趣味をアイコンにするように、まずはわかりやすい一面を見せ合い、最低限の理解を獲得してから関係が形成されているかと思います。きっと初対面の人に見せる“悪くない自分”を誰もが無意識に用意しています。

多面的である事実の認識

 人間はすぐさま目の前のものに囚われてしまいます。外に出て雨が降っていたら頭の中は雨のことで一杯になり、冷静に明日の天気のことなんて考えませんよね。

 同様に、人間関係においても他人の一面を以て「あなたは〇〇である」なんてステレオタイプに判断してしまうことがよく見受けられます。例えば、著名人がメディアで見せる姿をまさしくその人だと思い込み、さらに付け加えるならば、週刊誌で取り上げられた姿が乖離していたら、なぜか裏切られた気分になるあれからもわかりますね。

 しかし、自分自身を例に考えれば一目でわかるように、目の前の他人に見せている自分なんてほんの一部に過ぎません。人間関係における大切なこととして『理解』が挙げられますが、理解とは『多面的である事実を知っておく』という見方の準備から始まるのではないかと私は思います

 知らないところがあることを知っておく。いわゆる無知の知。この前提があるのとないのでは人間関係も大きく変わるでしょう。恋愛では、お互いに最高の一面を見せ合う営みと言っても過言ではない側面がありますが、本当にその一面のみで関係を結ぶなんてしたら上手くいかないことはこの文章を読む人ならわかるはずです。

信頼と理解

 初対面の人に初対面用の自分を見せることはあっても、それとは違う自分を見せたら「嫌われてしまうのではないか」と不安に思うことがあります。職場で「趣味に打ち込む自分」を見せたら自分勝手さに幻滅されるでしょうし、恋愛なら最高の一面を見せてしまった分、ズボラな一面を見せてはならないと思い込むこともあるでしょう。

 しかし、人間の自然体が多面的であるならば、そうした異なる面をも含んだ理解こそが本当の意味での理解、相手を受け入れるということになります。ただ、繰り返すようですが、いきなり多面的な自分を表現できませんし、表現できたとしても受け入れてくれる人はなかなかいません。

 そこで一面で繋がり合う人間関係の中で生成されるものを頼りにすることになります。それは『信頼』です。愛と言い換えてもいい。信頼という前向きな感情は、異なる面と向き合う際に生じるかもしれない後ろ向きな感情に備えられる中和性がありますよね。『友人だから許せる』は信頼の力を表しています。

 この信頼によって実現されていく本質的な理解には、きっと重要な意味があります。人間が身体的に区別されるがゆえの孤独感は避けられないとしても、究極的な自己理解は他人の手を借りずしてできないからです。

 つまり、『アイデンティティの分散—多面性で担保する』と今回の記事を合わせて語ると、いろんな自分を見つけて、それぞれの自分を起点にさまざまな他人と信頼関係を築き、相互に自然体な姿を受け入れられるとき、人間社会における建設的なアイデンティティの形成に大きく近づけるような気がするのです。他人あっての自分への自覚。

 ついつい自分中心になってしまう人間にとっては難しい課題でありながらも、実現できたときの価値は計り知れないものがあるのではないかと考えます。

終わりに

 その関係を成り立たせる条件を整理しておくと、第一に多面的な見方を備えること、第二に結びつく一面を起点に信頼を築くこと、第三に相手の見えない面への理解と受け入れを進めていくこと。これを自分ひとりではなく、相手も同時に行わなければなりません。

 そんなことできるわけないと諦めたくなるほどの難しさがあるゆえに、この方針を現実的な解として採用できるかは疑問かもしれませんが、人間関係の一つのロマンとしてならあっても良いのかなと感じています。

 愛に夢見るものの言語化。多くの人がそんな関係性の中に芽生えるアイデンティティを求めているような気はします。

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