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自己分析チャレンジPart5. 親に愛された記憶を再確認する。

どうもこんにちは、よしポンです。本日から僕の過去や身辺を赤裸々に書いていきます。

自己分析において過去をさかのぼる必要があるのかいうと、自分の価値観がどう形成されたのかを探っていく役割があるからです。

自分史において、良い歴史もあれば悪い歴史もあります。人間って失敗したことをなかなか語らないか、美化してしまいますよね。

たとえば、嫌がられる上司から聞く話のほとんどって自分の成功体験(自慢話)しか聞きませんよね。そういう人に限って、自分のことを全然知らなかったりします。ですから、自分の失敗談を堂々と語れる人ってすごいと思うんですよ。

自分の暗黒な部分、いやーな思い出を勇気をもって書き出してみることが、本当の自分を知るための一歩です。

僕の場合は暗黒面がほとんどです。特に大学時代は見ている人が寒気がするくらいです。この項目を見ていただければこれまでの僕がどんな人間だったか分かります。

親に愛された記憶はあるのか?

自分の価値観が決まる要因のほとんどが親からの影響です。その人の人生はほとんどそれで決まると言っても過言ではありません。結果はこちらです。

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小学校6年次に感じたのは、夫婦の会話が劇的に減っていたこと。夫婦間での倦怠期が今も続いています。親同士が愛し合っていたかどうかは、ほとんどみたことがないです。

その原因というのは、母のだらしないところを父が厳しく指摘したらしいんですね。それに母がキレたらしく、そこから夫婦の会話が劇的に減ったんだとか。ほんの些細な原因です。いわゆる性格の不一致です。

共働きだったのも大きいかと思います。すれ違いの生活で、夫婦の会話は減り、一緒に出かけることもなくなりました。

それでも離婚しなかったのは、僕らの養育もそうであるし、世間体もあるのではないかと考えられます。

夫婦の会話が少ないのは、子供ながらにショックでした。改めて書き出してみたら、それも僕の価値観に影響しているのかもしれません。

自分が愛されたかどうかについて、幼少期は感じていましたが、思春期から成人するまでは愛情を感じませんでしたね。口酸っぱく言ってたことなどの僕に強いていた行為が、将来を案じた愛情表現だったことが分からなかったんです。今思えば感謝しかないです。

次回は小学校時代から浪人生時代までの自分の経験をまとめます。

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