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藤井さん家がなくなった
「あんた、それ誰が切ってるの」
「お母さんです」
「下手やなぁ、虎刈りや、ハハハハ!」
母を馬鹿にされて嫌だった。
楽しく遊んでいる子供にわざわざ嫌な事を言いにくることも、いつもの高笑いも嫌だった。
周りに優しい人が多かったから、物言いのキツい人が苦手だった。この頃は大人はいい人しかいないと思っていたから、こういう人に出会うと戸惑うことが多かった。
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「おはようございます」
「あぁ、
写真は人生を豊かにしてくれる。
2023年はTwitterやnoteでいい写真をたくさん見るようになった。
幡野広志さんが写真のハードルを下げてくれたおかげで写真を撮る人が増えたからだと思っている。
いい写真を見ると嬉しくなる。感動するし、僕も撮りたくなる。写真を通じてお会いできた方も何人かいる。大人になって趣味でつながるこんな嬉しい連鎖があるだろうか。
写真を撮り始めて良かった。
2024年1月21日「いい写真は誰でも撮れ
謙虚を知り、感謝を知った1カ月
2002年春。
サッカーW杯が自国開催されて周囲はもとより僕も浮かれていた。
チュニジア戦。森島選手がホーム長居でゴールを決めた実況を、入社したばかりの社内に流れるラジオで聴いたことを今でも鮮明に覚えている。
この大会で準優勝をしたドイツに日本代表が勝つほどの時間が流れた。
先日、21年勤めた会社を退社した。
建築士になり、妻と出会い、結婚して家庭を持ち、娘が産まれ家族になり、家を建て、独立し
「幸せ」は気付いた時に感じれば良い
タモリさんがオールナイトニッポンで語っていた言葉が印象に残っている。
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流行病の感染を疑って、祖母が住んでいた家で隔離生活を始めた日に懐かしい写真を発見した。
そこには満面の笑みで写真に映る家族旅行中の僕がいた。
写真の日付は2008年5月4日。
当時28歳手前の男が家族で地獄めぐり(別府)をして何がそんなに嬉しいんだと笑われるほど笑っている。
地獄めぐりでとにかく楽しんでいた唯一
PANDA EXPRESSの記憶
池田さんと、のりみさんのツイートでPANDA EXPRESSが日本にある事を知った。
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今から23年前の2000年。
初めての海外にドキドキしながら目的地のバンクーバーに向かう際に乗り継ぎでシアトルに着いた。
次の飛行機まで5時間ある。お腹が空いて何か食べたいけど英語もよく分からないから見た目で選べるPANDA EXPRESSに入った。
あれこれ頼んでレジでクレジットカードを渡すと
『
いい写真は6歳でも撮れる
家族で農業体験に行った。畑の無い地域に住んでいると土と接するのは公園オンリーになりがちで農業体験をする機会はほぼない。ほぼ無いから、たまにイベントに参加している。今回はレタスを取って食べた。なんて言う名前のレタスかすぐに忘れてしまったけど、取れたてのレタスはシャキシャキした触感が良かったしドレッシングも最高に美味しかった。
娘は何も食べなかったけど僕と妻は美味しい思いをしたからそれで良しとしよう。
【いい写真は僕でも撮れる?】
2023年2月12日の日曜日。
幡野広志さんのワークショップ『いい写真は誰でも撮れる』に参加するために朝一番の飛行機に乗って東京へ行った。
写真を撮ることは日常化しているけど、写真を撮ることを目的に出かけたのは初めてだから緊張していた。
緊張しても仕方ないし、窓から見える景色を眺めながら何で写真を撮りたくなったのかを考えることにした。
幡野さんが昔されていたブログの「13歳の誕生日」に載ってい