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【オカルト批判】は正義の鉄槌なのか?~上岡龍太郎・占い師殴打エピソードが支持される理由~


1・プロローグ


オカルト嫌いだったことでも有名な上岡龍太郎氏のエピソードで、上岡氏が占い師に「過去のことは自分が一番わかっているので、未来のことを当ててほしい。これから僕はあなたを素手で殴るか灰皿で殴るか、どっちで殴ると思う?」と尋ね、占い師が「あなたはそういうことをする人ではありません」と答えると、「そういうことをする人じゃ!」と言って殴ったという逸話があります。

この話自体はだいぶ前から知っていましたが、つい先日、切り抜き動画がなぜかYouTubeのおすすめに出てきました。

コメント欄では、多くの人が上岡氏のこの行為を賞賛しています。
そもそも、どんな理由であれ、相手の職業や属性を理由に暴力を振るうことが正当化されないことは、誰もが分かっていることです。それでもなお「占い師殴打」エピソードが賞賛されてしまう理由とは一体何なのでしょう?

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そもそも、上岡氏はなぜそこまでオカルトを嫌っていたのでしょうか?

以下の記事を読むと、当時の上岡氏が何を思いオカルトを批判していたか、ある程度分かると思います。

上岡氏がオカルト嫌いになった理由として、かつて母親が、悪質なインチキ霊能者の被害に遭った経験や、敬愛する父が無神論者だったことも関係があるようです。

加えて、記事にもあるように、主に1980~90年代はオカルトブーム真っ盛りでした。その渦中で、無邪気に超常現象を肯定するだけで懐疑的な視点に欠けた番組作りや、私利私欲のために人の弱みにつけこむ霊能ビジネスを脅威に感じていたのだと思います。そして何より、上岡氏自身が発信する側だったからこそ、警鐘を鳴らさなければならないという使命感が高まったのだろうと推察します。

しかしながら、あれから30年以上の間に、世界では様々なことがありました。記事にあるように、本当に今もなお、我々は「ダマされたらアカンですよ!」と強く言い続ける必要があるのでしょうか?

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1990年代の日本では、オウム真理教による無差別大量殺人事件が起きたことが一つの転機となりました。これにより、カルトとオカルトが最も混同された時代となり、社会全体のオカルト的なものに対する忌避感は頂点に達したと言えるでしょう。

00年代以降、80年代から90年代の無邪気さは影を潜めました。その代わりに、『特命リサーチ200X』のような番組が超常現象を科学的に暴いたり、ASIOSやと学会などの組織が発足され「トンデモを科学で暴く」といった懐疑的なスタンスが広がり、一定の支持を集めるようになりました。

その後、東日本大震災による原発事故という大規模な災害に見舞われ、信じられてきた「安全神話」は崩壊し、世間の不安や恐怖は増大する一方、世界では英国のEU離脱国民投票や米国大統領選挙などを契機に、フェイクニュースなどの虚偽情報がネット上で拡散され、結果的にメディア報道そのものへの信頼の失墜ともいえる現象(ポストトゥルース)が起きました。

その後も畳みかけるように、新型コロナウィルスのパンデミックが世界を襲い、反ワクチン派のなりふり構わない印象操作などにより、世間の「真実」に対する感度は一層シビアにならざるを得なくなりました。

このような社会問題が複雑化する中で、オカルトはもはや、かつてのように単なるエンタメとして楽しむことが難しくなってしまったと感じる人も少なくないのではないでしょうか。

こうした時代において、人々がメディアから得た情報を鵜呑みにせず、一旦は疑う(ファクトチェックの)必要性を感じるようになったことは、至って自然なことだと感じます。

「ダマされたらアカンですよ!」のマインドは、もはやトンデモやオカルトといった分野に限らず、不安や恐怖に囚われた人々による恣意的な情報拡散によって、機能不全に陥りつつあるメディア全体への不信感から醸成されているのかもしれません。

それを踏まえれば、「占い師殴打」エピソードを賞賛してしまう心理というのも、だんだんと輪郭が見えてくる気がします。

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ここからがようやく本題なのですが、上岡氏の「占い師殴打」エピソードの実態を見抜くためには、そもそも「霊能者のインチキを見破る」という行為に、どこまで客観的な妥当性があるのかについて考える必要があります。

まず、インチキを見破るためには、何が「本物」で何が「偽物」かを明確に判別できることが条件となります。

ここからして、なかなかに難しいことだと思うのです。

あらゆる分野の能力がそうであるように、霊能者の能力も人間の能力の一種である以上、常に完全な状態を保つことは不可能です。そして、オカルトに興味がある方なら分かると思いますが、霊能力や超能力というのは「心理的な作用」により発揮される能力であり、その時のコンディションに大きく左右されるという大きな特徴があります。

とはいえ、霊能者が友人や知人などでなくビジネス上の関係性であった場合、期待通りのサービスが受けられなければ、お客が怒るのも当然です。
しかしながら、レストランで出された料理が自分の好みに合わなかったからといって、わざわざシェフを呼んで殴る人はいません。

つまり、霊能者の「本物」と「偽物」の境界はグラデーションであり曖昧なものだと認識することが重要なのです。

霊能力を「足が速い」とか「絵が上手い」みたいなことと同じように、「感覚機能の個体差」に基づく個人差、適性と捉えれば、同じ属性というだけで、無関係な人まで傷つけていいという発想にはならないはずです。

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以上の説明で、「霊能者のインチキを見破る」という行為に妥当性を求めるのは、霊能力の性質上、難しいことがお分かりいただけたと思います。

冒頭でも触れたように、上岡氏の場合、肉親が被害に遭っている過去があり、その点について情状酌量の余地がないわけではないですが、だからといって、他の全ての占い師を傷つけていい理由には到底なり得ないことも明白でしょう。

なぜ私が、このエピソードをそんなに批判するのか? 上岡氏が嫌いなのか?と思われそうなので弁明しますが、正直に言えば、仮にこのエピソードが作り話だったとしても、私にはまったく関係のないことですし、どうでもいいことなのです。

問題視するのは、このエピソードが今この時代にも一定の支持を集めるという事実のほうです。
では、その構造についてもう少し突っ込んだ考察をしてみます。

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恐らく上岡氏は、この件に関して、自分は紛れもなくインチキ霊能力による被害者であり、鉄槌を下すことは正義に基づく行為に他ならないと信じていたはずです。その結果、正義の鉄槌は下されました。

このように、正義の名のもとに暴力が隠蔽され行使されることは、腐敗した集団や組織における典型的な手口です。


また、この構造を強化しているのは、このエピソードを支持する大衆であり、彼らもまた弱者(≒権力を持たない者)であることを内面化しています。
権力者が弱者(≒被害者)の仮面を被り、正義の鉄槌を下す。その結果、溜飲を下げるために大衆もまた弱者(≒権力を持たない者)の仮面を被ることで、弱者側の代弁者である上岡氏に同一化するという構造が見て取れます。

しかしながら、実際には権力というものは常に偏在するものであり、一方にだけ集中しているわけではありません

霊能者の本物と偽物をグラデーションの中から判別することが難しいように、強者と弱者や、正義と悪というものもまた、白と黒の間に無数の色が存在します。
このことを見誤った結果、「弱者である我々は強者に対してなら何をしてもいい」という錯覚に陥ってしまうのです。

このような理由で、「占い師殴打」エピソードの理不尽な暴力は正当化され、多くの人に賞賛されてしまうのだと考えます。

7・エピローグ


オカルトがもはや単なるエンタメとして楽しみにくくなった現状について先に述べましたが、それまで陰謀論を単純にエンタメとして楽しんでいた人たちからすれば、反原発派や反ワクチン派のような「行き過ぎた」人たちによる恣意的な印象操作や、社会的に有害な陰謀論の蔓延が原因で、生きづらい世の中になったという感想を持ったとしてもやむを得ないと感じます。

しかしながら、かつてのように牧歌的にオカルトについて語り合えた時代に戻りたいかと問われれば、少し躊躇してしまいます。というのも、またオカルト特番などで「あるなし論争」が延々繰り返されると思うとうんざりするからです。


所詮、人は自分が見たい世界しか見ないものだと言われれば、確かにそうかもしれないと思います。ただ、それのどこが問題なのかと考えると、ますます分からなくなります。

普段SNSなどで自分の好きなものだけ情報収集していると、高性能なアルゴリズムの影響で、自分の趣味がいかに狭い世界だけで通用するものなのかということを、自覚しにくくなったと感じることがあります。

オカルトのように、本当か嘘かのような二元論で語られやすい分野を好む者にとって、自分のいる場所から対岸が見えにくくなるのは、ともすれば危険なことだと思ったりもします。

しかし、エマヌエル・スウェーデンボルグが語る霊界のように、死後、自由意志に応じた世界を選べるのであれば、好きな世界だけを見て生きて死ぬのも悪くないのかなと思ったりもします。


最後に、今回批判の対象としたのは、あくまでも上岡氏が語ったエピソードの内容であり、上岡氏の人格そのものを否定する意図は一切ありません。どうかその点をご理解いただければ幸いです。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


参考(おすすめで出てきた当該動画です):


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