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「議論」ではなく「対話」をしませんか

皆さん、最近「対話」してますか?

この場でも何度かお伝えしていますが、私の仕事の原点…いや大切にしていることは「対話」です。仕事をご一緒するにあたって社内会議やマーケティングリサーチ、例えば司会者(モデレーター)が「対話力」を如何に駆使するのかが重要であることは皆さんもご存知だと思います。

一方、もう少し視点を広げてみると例えば現在のウクライナの問題や台湾に関するアメリカと中国の問題にもこの「対話」で今後の展開は変わるのではないか、そんなこともあるのかもしれませんよね。

日常生活をする上でも、そしてイノベーションを引き出す商品開発や事業開発においても「対話」というのはとても重要であるというのが私の指針です。しかしながら、私達は必ずしも「対話」の意味や意義を理解しているとばかりは言えないのではないかと思い、今回はこの「対話」というキーワードで考えてみたいと思います。

皆さま、本日も是非お付き合いください。

「対話」とは何か?

まずは「対話」という言葉の定義について、広辞苑で調べてみました。

たい‐わ【対話】 向かい合って話すこと。相対して話すこと。二人の人がことばを交わすこと。会話。対談。〈運歩色葉集〉

「広辞苑」(第7版):岩波書店

そうだったのか、、、というのが正直な感想です(そして反省です)。私が常にクライアントに「対話」の重要性をお伝えしてきたのですが、なるほど、そこにはギャップがあったのかもしれません。

私がお伝えしている、そして使っている場合の「対話」の定義は、話してる同士が単なる会話や主張するだけでなく"つながり"を生み出す、同時に共通感覚、共感、共鳴して新しい何かを生み出したり、相互に理解することというのが前提にあります。

原点的としては、古代ギリシャのソクラテスは、相手との対話を行い、新しい知恵を生み出す方法として、「対話術」を重んじたと言います。そこからの導きです。

100分de名著 for ティーンズ 

8月1日放映された『100分de名著 for ティーンズ (1)「トルストイ“人は何で生きるか”×若松英輔』をご覧になった方、いらっしゃいますか?今回この番組の指南役は若松英輔氏(東工大教授)。司会は作家として加藤シゲアキ氏、安部みちこ氏、ゲストが18歳になった鈴木福くん(敢えて"くん"と言いたい!)という座組みでした。

さてこの番組。4人の「対話」で始まるのですが、この中で抜群の存在感を出したのは18歳の福くんで、批評家の若松氏との2人の対話は興味深いものでした。

番組は、トルストイの民話「人は何で生きるのか」から始まります。
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ある金持ちの傲慢な男が靴屋のミハエルに一年持つように縫うんだぞと無理難題な長靴を注文して帰っていったにも関わらず、家に着く前に箱ゾリの中で死んでしまう。ミハエルは、注文している時にその金持ちの後ろの隅を見ていて、すっかり晴れ晴れとした表情になる(まるで死を知っていたかのように)。
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▷対話1:自問自答

若松英輔:「残念なことに、我々のほとんどがその嫌な金持ち的存在ではないか。自分で自分の寿命を決めて生きているのが、私達の現実ではないか。
自分の大事な人と一緒にいる時に、もうこの人とは会えないと思うことは、決して悪いことではない。1日をもっと大事に慈しみながら生きることができるのではないか」
鈴木福:「人が生きることは死とセットになるのではないか。生と死を考える時間が少なかったのではないか」

▷対話2:愛とは

若松英輔:「他者への愛は、他者からの愛である」
鈴木福:「自分が愛すること。他人を好きと思うことは、自分を好きになることではないか」
若松英輔:「愛は注がれている時に実感できなくて、誰かに愛を注ぐとき愛を理解する」

▷50代学者と18歳俳優

50代の大学教授と18歳の俳優青年の「対話」が双方に共感を与え、双方に変化を与えているとわたしは感じました。色々な言葉から感じることはありましたが、最後の若松英輔氏の言葉は痛切に心に響くものであったと感じます。それは18歳の彼との「対話」によって生み出されたものだったのかもしれません。
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「私達は"答え"を見いだそうとすると、答えを持つ人をに従うようになる。私達が自分の中に"問い"を見つけることができれは、人間を超えたものとすら対話出来ることができる。だから答えを求める人生ではなくて"問い"を見つける人生を歩んでいただきたい」

以下、NHKEテレ1・東京  8月8日(月) 午後1:10~午後1:35(25分)から再放送予定です。ご興味あれば是非。

"溶けて、はみだしていく"

 つながりには2つの働きがあり、存在の輪郭を強化する働きと反対にその輪郭を溶けるような働きがあります。

「対話」は相互主観によって新しい観点を発見するプロセスに重要です。対話が共感を生み出し、つながりを生み出していくと言い換えられるかもしれません。

「文化人類学のフィールドワークでは、人びとの生活のなかに入り込み、長い時間を一緒に過ごします。そうしているうちに「わたし」の輪郭が溶けて、他者であるはずの「かれら」の存在へとはみだしていくような経験をします」と松本氏は記していました。

つまり「郷に入れば郷に従え」的なことなのかもしれません。なにも変わった文化や習慣などはなく時間の経過とともに溶けてはみだし理解し合い、その文化や習慣に従うようになっていく。実体験として感じたことありませんか?

主観と客観とを綜合化する:野中郁次郎

「対話」と一言でいっても、実は3つの種類カテゴリがあると思います。これは一方で対話のプロセスと捉えても良いかもしれません。

①自分との対話
②言葉ならない対話(暗黙知的対話)
③言葉による対話(弁証法的対話)


日本神話では、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返し、巡回するように続くと、河合隼雄は「中空構造日本の深層」で著しています。いずれにしても、これによって本質的な追求する問いに基づく議論になると思います。

このような「対話」が、"主観と客観とを綜合化する"対話の極意だと野中郁次郎先生はいいます。

この対話力向上が、マーケティングだけでなく、私たちの日々の会議に必要になっているのかもしれません。対話は、無意識の思い込みや、予定調和的考えを脱すことができるのですから。

まとめの代わりに

対話は、つながりを生み出し、共感や共鳴を作ります。
対話は、新しい知を創造する原点です。
対話によって、「問い」をみつけることが重要です。
対話には三つのプロセスがあり、それを通して主観と客観が綜合化します。
対話は、人間や社会にとっての意味や価値を発見するのです。

(完)



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