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今年も、いつも通りのクリスマス

カフェで流れるクリスマスソング、ファストフード店にできる行列、それらを見てクリスマスを実感するようになってから、もう何年か経っている。

昔は、特別な日をこちらから迎え入れるような、そんな能動的な感覚だったけれど、今では、世間から何となく受け取るだけになってしまった。

クリスマスイブも、クリスマスも、いつもと変わらない。

平日なら仕事をしているだろうし、休日ならカフェでパソコンをいじっているだろう。

少しでも特別な日にあやかろうと、一応チキンを買って、普段なら買わないコンビニスイーツなんかも用意して、一人で過ごす。

ここまでが、クリスマスの恒例だ。

今年も例に漏れず、クリスマスイブはカフェでパソコン作業をしている。

この後は、言うまでもなく恒例に従うだけ。

特別な日でさえルーティンと化してしまうことに、寂しさを感じないと言えば嘘になる。

けれど、子どもの頃「特別」と思っていたことのほとんどは、今ではほとんど日常になってしまった。

クリスマスは毎年一度しかないわけだけれど、毎年決まった日にちに訪れる、という意味ではもはや日常に近いのだ。

今更、サンタクロースからプレゼントを貰うような年齢でもないし、それに、サンタクロースになる側でもない。

恋人とのクリスマスだって、毎年相手が変わらない限りは、何となくパターンが決まっている。雰囲気の良いお店で食事をして、プレゼントを交換しあって、一緒に夜を過ごして。

周りはそんな自分を、つまらない人間と思うだろうか。

ルーティンとかパターンとか、特別なものを特別でないものにしているのは自分自身じゃないか、そう言うだろうか

大人になるということは、“つまらなくなる”ということなのだろうか。

クリスマスの日にしか食べられなかった料理やケーキも、クリスマスの日にしか貰えなかったゲーム機も、今では、その気になればいつだって手に入る。

クリスマスが待ち遠しくて仕方がなかった日々を過ごさなくても、クリスマスの日にしか叶えられなかったことを、いつでも叶えられる。

周りはそんな風に考える自分を、つまらない人間と思うだろうか。

思うだろうな、きっと。

クリスマスが来る度に、「自分はつまらない人間だ」と実感する。

奇しくも、案外そんなクリスマスを悪くは思わないし、そんな自分を哀れには思わない。

これが、「大人になる」ってことだから。

子どもだった頃、日常の中に特別を見出していた。

大人になった今、その特別は日常に、とまでは言わないにしても、決して特別とは思えなくなってしまった。

けれど、一度特別でなくなったものを再び「特別」と実感できるのが、大人の特権であり、「大人になる」ということでもある。

僕らはきっと、何度も繰り返されるそのプロセスの中で、本当に大切なもの、自分にとって特別なものに気づいていくのだと思う。

どんな「特別」も、時間が経てばその感覚は薄れていく。

けれど、「本当の特別」は薄れていけばいくほど、その度に「もっと特別」になっていく。

クリスマスは、そんなことを思い出させてくれる、紛れもなく自分にとって“特別な日”なんだよな。


今年も雪は降っていない。

街はイルミネーションで彩られていて、お店の中は定番のクリスマスソングが止むことなく流れている。

見慣れた光景、いつまでも慣れない東京の寒さ。

全て抱きしめて、今年もまたいつも通り過ごす。


「コンビニスイーツ、今年は何にしようかな。」

煌々と輝く街を背に、そっと呟いた。

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