背中を押されたいだけなのに
悩みを打ち明けるときは、たいてい背中を押されたいときだ。
何となく「こっちかな」と決めている選択肢があって、「それで良いよ」とあなたに言われたい、そんなときに悩みを打ち明けている。
きっと、あなたなら背中を押してくれるはず。
年齢を重ねて、自分のことは自分で決断できるようになった。
けれど、やっぱり最後はあなたに背中を押されたい。
決して、自分の決断に自信が無いわけではない。最後に「ぽんっ」と背中を押されると、一切の迷いが消えて動き出せるのだ。
「自立とは、依存先を増やすことだ」
誰かがそう言っていた。
「背中を押されたい」はわがままだと思っていたけれど、背中を押してくれさえすれば迷わず一歩踏み出せる、その状態までは自力で辿り着けるようになったから、きっと“良いわがまま”だ。
おそらく、自分で決断してどんどん前に進める人よりも、誰かに背中を押されることで大きく前に進める人の方が多いのだろう。
だから、「拠りどころ」と呼ばれるモノや概念が世の中にはたくさんある。
誰しも、人それぞれ「拠りどころ」があって、それをたくさん持っている人が自立している人なのかもしれない。
「依存先」と聞くとあまり聞こえが良くないけれど、「拠りどころ」ならたくさん持っていても悪くない気がしてくる。
自分の「拠りどころ」は果たして何個あるだろうか。
自分自身も、あなたの「拠りどころ」として数えられていると良いな。
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