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何かが始まると、何かが終わる

「始まり」は「終わり」なんだよな、と夏の終わりだからか、やけに考えてしまう。

社会人の始まりは「子ども」の終わりな気がするし、結婚生活の始まりは独身生活の終わりでもある。

noteで文章を書き始めると、“文章を書いていなかった自分”がそこで終わってしまう。

名作映画も見始めてしまえば、それを知らなかった自分が終わってしまう。

「記憶を消して、もう一度観たい」なんて表現があるけれど、名作や良いものに触れると、本当にそう感じる。

あれをまだ知らなかった自分、知らずに初めて触れた時の感動や感覚、もう一度味わってみたいな、と。


始まりは常に「終わりの始まり」と思うと、始まった途端悲しい。

人付き合いも、面白そうなプロジェクトも、エンターテイメントも、何なら人生でさえ始まった瞬間は常に「終わりの始まり」を意味している。

悲しさもあるけれど、「終わりの始まり」と思うと、一瞬をより噛み締めたくなる。

自分がこうして何にもならない文章を書いているのも、「今」という刹那が繰り返されるだけの人生においては無駄に思えるけれど、だからこそ、何かを始めたばかりのうぶな感覚、ちょっと慣れてだらけた感覚、のめりこめた感覚、「今」を少しでも忘れないためにやっているのかもしれない。


え、人生って記憶も思い出もどんどん増えていく、加点方式のようなものだと思っていたけど、もしかして、実際は減点方式のようなものなのかな。

忘れないように、記憶を記録し、蓄積していく。

「いかに増やしていくか」よりも「いかに残しておけるか」が大事なのかもしれない。

数十年後の自分の記憶力や脳の働きに、どれくらい期待していいのだろうか。

結局、一つひとつの思い出や記憶を大切に保管しても、それって向こうには持っていけないもんな。

そう思うと「終わりの始まり」を感じずにはいられないけれど、「終わりの始まり」もいつか終わってしまうなら、終わりがあるなら、きっとまた「始まり」もある。

何かが始まると、何かが終わるけれど、何かが終わるってことは、きっと何か始まるはず。


タイトル間違えた。

「何かが始まると、何かが終わる。そして、また始まる」

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