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「他人の期待」に依存していただけかもしれない

他人の期待に応えるのは楽だ。

分かりやすく自分自身の存在意義を実感できるし、期待に応えようとすることですべきことが見えてくる。

期待に応えると感謝されて、それが嬉しくてまた応えようとする。

ただ、それを続けた先には「依存」がある。

他人の期待に応えられないと満足できなくなったり、期待に応えられなくなった時、自己嫌悪に陥ってしまう。

だから、期待に応えられない時の苦しみは大きい。

「これまで期待に応えてきた自分」というレッテルが少しずつ剥がれていくような感覚。

「まずい、信頼を失ってしまう」
「こんなこともできないなんて、自分はクソだ」

それまでは他人に向いていたはずの矢印が、この時ばかりは一気に自分に向く。そして、自己嫌悪や自己否定を繰り返す。


自分の「やりたいこと」は本当に「やりたいこと」なのだろうか。

他人の期待に応えることを、「やりたいこと」だと思い込んでいるだけではないだろうか。

期待されることは、もちろん嬉しい。

どうせなら、期待されたい。

けれど、期待に応えられてしまうが故に、期待に応えようとするが余り、自分を見失ってしまう。

期待に応えようとすることは、同時に、期待に応えられなかった時苦しむ可能性を孕んでいる。

その苦しみは、期待に応えられた時の喜びよりも大きいかもしれない。

「それでも、他人の期待に応え続ける人生を選ぶのか?」

もし、過去に戻れるなら当時の自分にそう伝えたい。


酒は呑んでも呑まれるな。

そのまま「他人の期待」に置き換えられると思う。

他人の期待は嗜む程度がちょうど良く、それくらいが気持ち良い。

過度に求めると、いずれ依存し、苦しみ、それでもなお求め続けてしまう。

たまには、自分の期待にも応えたい。


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