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旅が炙り出す、勘違いと活力

5月はたくさん旅をした。
居住地の名古屋から、GWに大阪と東京、
中旬には静岡の伊豆、下旬は山口県。

丁度この文章は、山口の萩へ向かうバスの中で書いている。
皐月の新緑の山々と、快晴の日差しを浴びていると心地よく、昨今の閉塞感から少し解放された気がする。

今年も悲しいニュースが多い。自死のニュース、戦争のニュース、物価上昇・経済の落ち込みのニュース。
会社でも部品の遅れや価格上昇であっぷあっぷ。ストレスも倍増だ。何とかしようと考え事も多かった。

遠出すると、半ば強制的に環境が切り離されるので、自分自身を客観視できる。特に都市部から自然へ飛び出すと、自身がいかに窮屈な考え事に浸り、過信や勘違いをしていたか判る。

反省の意を含むが、自分のことを器用貧乏と思っている。色々手を出すが故、エネルギーが枯渇すると、質が低下する。今より若い頃は体力で補えたが、一つ毎の内容が難しくなり疲弊もし易くなった。
身の回りの、一つのことを継続して結果を出している方々を見ると、自分が愚かだとさえ落ち込むこともある。

一方で、数試さなければ結果が当たらないことも事実であり、己のマルチタスク力の無さに落胆する。
ただし、ポジティブな自覚である。
居住地で仕事に追われると、麻痺してそのことにも気づかない。

人は「客観視を取り戻す待避所」を必要としているのだと、旅から学んだ。人との会話もきっと、近しい効果を持つだろう。
ストレスを正しく対処するために、身の置き所をローテーションする。フィジカルのみでなく、ソーシャルでの習慣と代謝を意識しなければならないと痛感した。

そして、自分がどんな人間で、どんな仕事をしてどんな価値を与える人間であるか、明確化しなければと感じている。反省。

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