たなかゆういち

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9/17 メモ

いつも夏は元気な季節なのだけれど、今年はずいぶん低空飛行を続けていた。数日とても調子が悪くなり、人生ではじめてのフラッシュバック体験をした。動けず、意欲もでず、ただすべてが怖くなった。少しずつ成長していたはずが、それも結局は勘違いだったのではないかと思ってしまうほどには落ち込んでしまった。 九月も半ばとなり、暑いながらにもそろそろ秋を感じさせる季節になってきた。元気を出したいと思っているが、しかしあいかわらず低空飛行は続いているようだ。しかし動けるようにはなってきている。む

    • 生きてるし、踊ろうか。

       暗い話はしたくないな。何か明るい話をしよう。  今日も朝起きたら生きていた。これはどれくらいすごいことなんだろう。奇跡。言葉にするとなんでこんなに陳腐なんだろうな。でも、そうとしか言いようがない。朝。今日も朝がやってきた。僕は珈琲を入れて、それをゆっくりと味わう。煙草を吸う。幸せな日々だ。好きな人と触れ合う。もういったい、あと何を望めばいいんだろう。    躁状態のとき、すべてに感動することがある。存在していることがすごくて、喫茶店でオレンジジュースを頼んで、オレンジジュ

      • 7/14  軽やかな存在

         いろんな人に会いたいのだけれど、どうも体力がなくて、つい一人になってしまう。  精神が落ち込んでいるときこそいろんな人に会って、元気を出したり、自分以外の考えにふれていたほうがいいのだろうなとは思う。でも、ついこんな状態の自分が誰かに会ってもなあ……。なんて考えてしまって、すぐに家に帰っている。  人と話すことは大切だ。別にたいした話をしなくても、なんなら話さずにその場にいるだけでも活力が湧いてくる。もちろん嫌なことだってあったりはするだろうけど、それでも、人と会わない

        • 祝福と呪いと

           本当は言いたいことなんてないのかもしれない。それなのに僕は、何かを書こうとしている。伝えたいこと。そんなものなくても、伝えたいという気持ちがあるということを伝えたいのかもしれない。僕は、よく知られたら、何もないということがばれてしまう。でも、ここにいる。存在している。そういうことをみんなに伝えたいのかもしれない。どこにでもいて、凡庸で、つまらない僕。でも、なんか存在していて、それはすごいことなんじゃないかって、伝えたいのかもしれない。誰と比べるわけでもない。ただ、僕がいて、

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        • 短編小説
          4本

        記事

          7/4 ゆだねる

           調子が悪くなると、誰かに自分のことをゆだねてしまっている感覚がある。  すべてをゆだねてしまえるなら、まだ気持ちは楽なのかもしれない。しかし、中途半端に自分への評価を他者にゆだねて、そして妄想し、周りが自分を責めて立てているように仕立てる。こんなことをもう何年もやってきたような気がする。周りは手を差し伸べているのに、それが攻撃に見えてきて、怖くて、逃げたり歯向かったりしてきた。  後悔する。いまの自分には足りないものが多く、もうどうしようもないんじゃないか、そんな考えが

          20240701 ひさしぶりの、

           ずっと何も書いてないと、文章の書き方を忘れる。もともと文章が上手に書けるわけではない。それでもワードを開いても、何の言葉も浮かばず、ただ真っ白な画面を見つめることになってしまう。習慣になれば何も考えないで書けることも、一時間かけてもでてこなくなる。  気づけば今年も半分が終わった。あっという間に感じる。何もできていない気がする。でも、そんなことはないと思い返す。そのための記録だ。私は少しずつ変わっている。それは事実のようだ。自己批判はなかなか止まらない。そしてこの自己批判

          20240701 ひさしぶりの、

          5/1 『いまだけは愛して』

           気分の変化が激しい。激しすぎて、自分の気分というものを信用せずにいれるほどだ。  昨日の夜は、急に憂鬱な気分になった。特に何があったわけでもない。欲望がなくなった感覚だった。すべてのものがどうでもよくなり、不安になり、ぼんやりと不特定多数に怒りが湧いた。でも、その感情に従って動ける気力もなく、ただ倒れていた。こういうことはよくあることだと思った。寝れば解決することもわかっていたから、とりあえず横になったままいた。二時間くらい眠れなかったけれど、気づいたら寝ていて、いま起き

          5/1 『いまだけは愛して』

          4/30 四月を散文し、五月が降ってくる。

           昨日は夜寝ようとしたら急に寂しさが襲ってきた。  ひさしぶりの感覚だった。自分はひとりなんだと感じた。自分はがて、他人は他人で、交わることはなく、そして死んでいく。いつか必ず死ぬということを思い出した。それが怖いと感じた。いつもはああ死ぬんだなあと思うだけで怖くはならない。自分が無になるのが信じられなかった。いまこの生活はあと三年くらいで終わるのだと思うと少しゾッとした。早くここから抜け出したいと日々思っているのに、いざリアルに想像したら耐えられそうになかった。ひとりは嫌

          4/30 四月を散文し、五月が降ってくる。

          4/26 『あの子の美しさと醜さ、あるいはその他すべての表象を、私しか知らない』

          私は女の子が好きだ。 好きという感情はむずかしくて、簡単に憎しみとかに変わることもある。だから、純粋に好きだと言っていいのかはわからない。特に十代の頃は、ほとんど女の子と話すことができなかったから、女の子という存在が怖くもあった。ひどい言葉で表すならば、性的対象として女の子を欲していたけれど、話したことがない相手だったから、まるで異邦人のような存在だった。しかし私は男の子ともその時は話せてなかったから、すべてが怖かったのかもしれない。 二十代になって少しずつ普通に話せるよ

          4/26 『あの子の美しさと醜さ、あるいはその他すべての表象を、私しか知らない』

          4/25 遥か彼方

           ある程度長い文章を書こうとすると、書いているうちに自分の中で矛盾が生じたり、何を言っているかわからなくなる瞬間がある。  文章を書くのが上手な人はそうならないのかもしれないが、私はなにを書くのかも決めてなく、ただ文章を書き、その書いた文章からさらに続けるようにして書く、ということを繰り返していくと、最初に言っていることと、終盤で書いていることが正反対の意味のものになっていたりすることがよくある。そして私にとってはそういう状態になることは決して悪いことではない。むしろ一貫性

          4/24 リハビリ日記

           しばらく文章を書けていなかった。書けなくなるとだいたい、何を書けばいいかわからなくなって、そして少し書いてもこれではダメだと思ってしまう。書けるときはずっと適当につらつらと書くだけで、それの完成度なんて気にしない。そもそも何か特別な良いことを書きたいとも思わないし、偶然そういうものができたらすばらしいことだけれど、それは私の能力を超えたもので、私ができることは日々ひたすらに書くことだと思っている。それ以外の煩悩が増えて、完成度を高めようと思ったとき、結果的に私は何もしないよ

          4/24 リハビリ日記

          4/17

          外に出かけると大丈夫なのだが、帰ってくると急に疲れを感じる。そのまま布団に入り込んで、気づけばもう一日が終わろうとしている。 そんな日々を送って、身体の疲れはだいぶ楽になってきているのだが、今回は予防の意味も込めて、かなり慎重に休みをとるようにしていた。生活はそのままなのだけれど、身体のある部分がすごく痛み、それによって身体ぜんたいが怠く感じ始めていたから、そのために家に帰ったらすぐ休む、ストレッチをして痛みをできるだけ和らげて、風呂に浸かる。そしてよく眠る。それだけをしっか

          『痛みはどしんと現れ、心はきゅーっとなっていく』

           ふいに身体の痛みに気づく瞬間がある。  急に痛み出したわけではない。たぶんすごく前から痛かったけれど、ようやく痛みを自覚できるようになる。そのときには痛みはだいぶ大きくなっていて、ずいぶん重たく感じる。 「あ、こんなに身体がきつかったんだ。そりゃあネガティブになってメンヘラムーブをかますわけだ」  そんなふうに妙に納得する。しばらく飯食って寝る、そんな生活を続けようかなんて思う。考えるのをやめる。  だいたい不安が強いときは、右肩あたりがいたくなる。右肩、その下あたりが

          『痛みはどしんと現れ、心はきゅーっとなっていく』

          4/10 『変化は緩やかに加速して、私は韻を踏む』

           変化っていうものは緩やかで、しかし、気づいたら明らかに変わってるもんだから、驚いちまう。    昨日は朝から鬱鬱としてしまっていた。体調が悪く、昨日買った安物の珈琲ミルをぶっ壊し、もういいやと、思って気晴らしにタバコを吸おうとしたら喉が痛くてそれどころではなく、ひとつ嫌な知らせが朝から入っていたりして、嫌なことが連続してきたから笑っちゃうほどだった。小さな嫌なことでも連続するとなんだか呪われている気分になる。あそこで笑えたのは少し強くなった証だろうか? わからないが、それで

          4/10 『変化は緩やかに加速して、私は韻を踏む』

          4/8『記憶はいつか妄想に変わっていく』

           眠る前に、急に憂鬱な気分が襲う。  原因はたぶん、身体が痛いからだ。背中が上あたり、首の下あたりが痛く、呼吸すらやや苦しいくらいになった。私はたまにここが痛む。姿勢が悪いのだろうか。整体とかに行ったらきっといいのだろう、というところが地味に痛む。ずっと痛いのでさすがに精神的にも滅入ってくる。そんなことが一日続いたら、すっかり憂鬱になってしまっていた。  さっさと寝てしまおう、そう思って眠剤を飲むが、どうしてかスマホばかり見てしまう。ツイッター。いや、Xか。Xをずっと見て

          4/8『記憶はいつか妄想に変わっていく』

          4/7『俺はいつも俺に寡黙で、まったく仕方がないヤツで』

          4/7    疲れて布団に倒れこむ。ギリギリ外では生活ができた。家に着くと限界だった。俺はもう耐えられなくて、荷物を放り投げて、すべてをそのままにして横になる。身体のすべてが痛く感じる。だるい。生きているのがしんどい。そう思う。すべてが雑になっていく。一体化していく。身体は鉛のように重たい。感情は憂鬱という言葉に埋め尽くされる。あるいは、それさえもうかばない。ただ、消えたいと思う。    20分が経つ。身体が細分化していく。細部が動きだす。違いがわかる。差異が出てくる。あ

          4/7『俺はいつも俺に寡黙で、まったく仕方がないヤツで』