たなかゆういち

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5/1 『いまだけは愛して』

 気分の変化が激しい。激しすぎて、自分の気分というものを信用せずにいれるほどだ。  昨日の夜は、急に憂鬱な気分になった。特に何があったわけでもない。欲望がなくなった感覚だった。すべてのものがどうでもよくなり、不安になり、ぼんやりと不特定多数に怒りが湧いた。でも、その感情に従って動ける気力もなく、ただ倒れていた。こういうことはよくあることだと思った。寝れば解決することもわかっていたから、とりあえず横になったままいた。二時間くらい眠れなかったけれど、気づいたら寝ていて、いま起き

    • 4/30 四月を散文し、五月が降ってくる。

       昨日は夜寝ようとしたら急に寂しさが襲ってきた。  ひさしぶりの感覚だった。自分はひとりなんだと感じた。自分はがて、他人は他人で、交わることはなく、そして死んでいく。いつか必ず死ぬということを思い出した。それが怖いと感じた。いつもはああ死ぬんだなあと思うだけで怖くはならない。自分が無になるのが信じられなかった。いまこの生活はあと三年くらいで終わるのだと思うと少しゾッとした。早くここから抜け出したいと日々思っているのに、いざリアルに想像したら耐えられそうになかった。ひとりは嫌

      • 4/26 『あの子の美しさと醜さ、あるいはその他すべての表象を、私しか知らない』

        私は女の子が好きだ。 好きという感情はむずかしくて、簡単に憎しみとかに変わることもある。だから、純粋に好きだと言っていいのかはわからない。特に十代の頃は、ほとんど女の子と話すことができなかったから、女の子という存在が怖くもあった。ひどい言葉で表すならば、性的対象として女の子を欲していたけれど、話したことがない相手だったから、まるで異邦人のような存在だった。しかし私は男の子ともその時は話せてなかったから、すべてが怖かったのかもしれない。 二十代になって少しずつ普通に話せるよ

        • 4/25 遥か彼方

           ある程度長い文章を書こうとすると、書いているうちに自分の中で矛盾が生じたり、何を言っているかわからなくなる瞬間がある。  文章を書くのが上手な人はそうならないのかもしれないが、私はなにを書くのかも決めてなく、ただ文章を書き、その書いた文章からさらに続けるようにして書く、ということを繰り返していくと、最初に言っていることと、終盤で書いていることが正反対の意味のものになっていたりすることがよくある。そして私にとってはそういう状態になることは決して悪いことではない。むしろ一貫性

        5/1 『いまだけは愛して』

        マガジン

        • 短編小説
          4本

        記事

          4/24 リハビリ日記

           しばらく文章を書けていなかった。書けなくなるとだいたい、何を書けばいいかわからなくなって、そして少し書いてもこれではダメだと思ってしまう。書けるときはずっと適当につらつらと書くだけで、それの完成度なんて気にしない。そもそも何か特別な良いことを書きたいとも思わないし、偶然そういうものができたらすばらしいことだけれど、それは私の能力を超えたもので、私ができることは日々ひたすらに書くことだと思っている。それ以外の煩悩が増えて、完成度を高めようと思ったとき、結果的に私は何もしないよ

          4/24 リハビリ日記

          4/17

          外に出かけると大丈夫なのだが、帰ってくると急に疲れを感じる。そのまま布団に入り込んで、気づけばもう一日が終わろうとしている。 そんな日々を送って、身体の疲れはだいぶ楽になってきているのだが、今回は予防の意味も込めて、かなり慎重に休みをとるようにしていた。生活はそのままなのだけれど、身体のある部分がすごく痛み、それによって身体ぜんたいが怠く感じ始めていたから、そのために家に帰ったらすぐ休む、ストレッチをして痛みをできるだけ和らげて、風呂に浸かる。そしてよく眠る。それだけをしっか

          『痛みはどしんと現れ、心はきゅーっとなっていく』

           ふいに身体の痛みに気づく瞬間がある。  急に痛み出したわけではない。たぶんすごく前から痛かったけれど、ようやく痛みを自覚できるようになる。そのときには痛みはだいぶ大きくなっていて、ずいぶん重たく感じる。 「あ、こんなに身体がきつかったんだ。そりゃあネガティブになってメンヘラムーブをかますわけだ」  そんなふうに妙に納得する。しばらく飯食って寝る、そんな生活を続けようかなんて思う。考えるのをやめる。  だいたい不安が強いときは、右肩あたりがいたくなる。右肩、その下あたりが

          『痛みはどしんと現れ、心はきゅーっとなっていく』

          4/10 『変化は緩やかに加速して、私は韻を踏む』

           変化っていうものは緩やかで、しかし、気づいたら明らかに変わってるもんだから、驚いちまう。    昨日は朝から鬱鬱としてしまっていた。体調が悪く、昨日買った安物の珈琲ミルをぶっ壊し、もういいやと、思って気晴らしにタバコを吸おうとしたら喉が痛くてそれどころではなく、ひとつ嫌な知らせが朝から入っていたりして、嫌なことが連続してきたから笑っちゃうほどだった。小さな嫌なことでも連続するとなんだか呪われている気分になる。あそこで笑えたのは少し強くなった証だろうか? わからないが、それで

          4/10 『変化は緩やかに加速して、私は韻を踏む』

          4/8『記憶はいつか妄想に変わっていく』

           眠る前に、急に憂鬱な気分が襲う。  原因はたぶん、身体が痛いからだ。背中が上あたり、首の下あたりが痛く、呼吸すらやや苦しいくらいになった。私はたまにここが痛む。姿勢が悪いのだろうか。整体とかに行ったらきっといいのだろう、というところが地味に痛む。ずっと痛いのでさすがに精神的にも滅入ってくる。そんなことが一日続いたら、すっかり憂鬱になってしまっていた。  さっさと寝てしまおう、そう思って眠剤を飲むが、どうしてかスマホばかり見てしまう。ツイッター。いや、Xか。Xをずっと見て

          4/8『記憶はいつか妄想に変わっていく』

          4/7『俺はいつも俺に寡黙で、まったく仕方がないヤツで』

          4/7    疲れて布団に倒れこむ。ギリギリ外では生活ができた。家に着くと限界だった。俺はもう耐えられなくて、荷物を放り投げて、すべてをそのままにして横になる。身体のすべてが痛く感じる。だるい。生きているのがしんどい。そう思う。すべてが雑になっていく。一体化していく。身体は鉛のように重たい。感情は憂鬱という言葉に埋め尽くされる。あるいは、それさえもうかばない。ただ、消えたいと思う。    20分が経つ。身体が細分化していく。細部が動きだす。違いがわかる。差異が出てくる。あ

          4/7『俺はいつも俺に寡黙で、まったく仕方がないヤツで』

          4/6『眠れない夜、疲れ、同質の言葉はしかし、差異、微少が微笑する』

           ひさしぶりにほとんど眠れない夜だった。  眠剤も飲んだ。いちおう最大量飲んだのだが、疲れすぎていたのか、だからこそ眠れない夜だった。三時間ほどは寝たようだが、その睡眠も明らかに浅く、ハイになってるのかいまは体力的にも大丈夫なのだが、昼頃には体力は尽きるだろう。でも、こういう日もある。仕方がないことだ。  いろいろ諦めること。健康は大事だが、それにこだわりすぎるのも健康ではない。こういう日もある。自分に言い聞かせる。だいたいのことはコントロールできない。一度眠れないなあと

          4/6『眠れない夜、疲れ、同質の言葉はしかし、差異、微少が微笑する』

          4/5『これが愛じゃなくてなんなんだ、べつになんでもないよ』

          酒を飲んで、飯食って、吐いて、これが3000円か、と吐瀉物を見る。3000円がトイレで流されていく。さようなら3000円。あれだけ飲んだなら安い方か。飲み放題にしておいてよかった。いや、飲み放題にするから飲みすぎてしまうのだろうか。ずいぶんと気持ち悪くなったものだ。吐き気。私は気持ち悪さがわりと突然くる。途中までどこまで酔っているかの把握ができない。こういうことばかりだ。自分の現状位置が把握できない。だから急に気持ち悪くなって、トイレにかけこんで、ずいぶんとすっきりとした顔で

          4/5『これが愛じゃなくてなんなんだ、べつになんでもないよ』

          4/4『寝起きに書いた文章を』

           昨日は少しだけ軽躁状態で、文章を書いたり音楽したりマジックしたり、いつもやっていることではあるのだけれど、その量がかなり多かった。人ともよく話した。それでいて体力が有り余っていた。  自分の体調管理はむずかしい。今日も早く起きてしまった。眠剤を最大量飲んだんだけどな。それでもなかなか眠れない。5時間くらい寝れたからいいとする。  こうして文章を書くことで落ち着く。自分の現状を把握する。でも読み返さないのなら、意味はないのでは? と思うこともある。でも、いまだけでも記述するだ

          4/4『寝起きに書いた文章を』

          4/3②『いつもワードに書いているような文章を載せた』

           緩やかに、交わしていくように生きていきたい。  そのはずなのに、どうしてか私は自分から軋轢を作りに行ってしまうような行動ばかりとってしまう。相手を敵とみなして、攻撃し、反撃されやられる。そういうことばかり繰り返してしまう。  周りは敵じゃない。味方でもないかもしれないけれど、敵ではない可能性が高い。頭ではわかっているのに、脳内で勝手に他人が攻撃してくる。これはきっと頭の中で自分が自分を責めているだけだ。自分に対する期待値が高いから(プライドが高いともいうのかもしれない)

          4/3②『いつもワードに書いているような文章を載せた』

          赤い公園

           ――自分を知らないことが生きていることである。悪いことを熟考することが考えることである。 フェルナンド・ペソア  そう、これは君に宛てた手紙だ。僕はこうやって他人の言葉を使って、君に伝えたいことを拙いながら書こうとする。エピグラフがある手紙なんて、きっとそうそうないだろう。でも、そもそも伝えたいことがあるかもわからないんだ。それでも、こうして書き始めてみようと思う。  僕と君はもうしばらく会っていない。それは時間にすると五、六年になるだろうか。言い古された例えだが、小学生

          4/3『くだらないこと考えてるんじゃねえ、寝ろ、飯食え、走れ。』

           ここ数日はすごい鬱になってたので、すごい寝た。プロテインを飲んだ。筋トレをした。すると今日は朝からすごい元気だ。人間っておもしろいと思いつつ、俺は令和に根性論をやっていきたい。  根性論でもないのか。ある意味では科学的か。寝て、運動して、食事を気を付けたらだいたいのことが治っていく。そういうものだ。でも、あんまり健康もしてられないので、酒だって飲みたいし、夜更かしだってしたい。だから、いろいろ帳尻を合わせる生活をしないといけない。とりあえずよく寝る。それだけ。あとは筋トレ

          4/3『くだらないこと考えてるんじゃねえ、寝ろ、飯食え、走れ。』