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5/1 『いまだけは愛して』

 気分の変化が激しい。激しすぎて、自分の気分というものを信用せずにいれるほどだ。

 昨日の夜は、急に憂鬱な気分になった。特に何があったわけでもない。欲望がなくなった感覚だった。すべてのものがどうでもよくなり、不安になり、ぼんやりと不特定多数に怒りが湧いた。でも、その感情に従って動ける気力もなく、ただ倒れていた。こういうことはよくあることだと思った。寝れば解決することもわかっていたから、とりあえず横になったままいた。二時間くらい眠れなかったけれど、気づいたら寝ていて、いま起きたら朝の六時で、そしたらもうそんな気分はどこかいっていた。腹が減っている。いろんな欲望が復活していて、昨夜はすべてがくだらなく思えたのに、いまでは少しは希望の火が揺蕩っている。

 そういうモード。あの時の気分は、どうしようもない。ああいうときに無理に動いてしまうと、不安や怒りに任せて、余計なことをしてしまう。最近はそこの見極めがうまくなった。自分の気分、感情をすべてだと思わず、自分という存在の一部でしかないとわかるようになった。15分の過眠で変わるほどのものだ。少し食べ物を胃に入れたら変わることのことだ。それですべてを失うにはもったいなさすぎる。

 気分が落ちると、私はとりあえず他人を見下して、すべてをくだらないと思い、怒りが湧く。それに具体性はないから、怒りが湧く相手は誰だっていい。本来は怒りを抱くべきではない相手に抱きやすい。どうしても身近にいる人間の顔が浮かぶ。あいつのせいで、あいつが嫌いで、そんなことを思う。それで失ったものはもう数えきれないほどだ。

 私は私であり、私は私ではない。いまの私は、私のすべてではない。うつろう、儚いものだ。昨日の私は死んで、今日の私が生まれ、一日の中でもそれは流動的に、仮固定しかされず、気づいたら変わってしまう、あるときは液体に、あるときは個体に、あるときは気体に。つかみどころがない私は、あなたにとっても不気味に見えるんだろう。私にとってあなたが不気味に見えてしまうほどには。

 あなたと一緒にいて、私はあなたを通して私を知る。あなたがどういう人間かはいまだにわからない。私はあなたのことを私が見たいように見てしまう。それ以外の見方はできない。あなたは空白が多すぎる。私は手持ちの言葉で、あなたを何かにあてはめる。一度決めたらそれはなかなか変わらない。私は私が見たいように、あなたを見る。

 私とあなた。二つの物の間にある関係。空間。共同作業でつくっていく。たまにヒビが入って、壊れそうになる。たまに点検しないと、すぐに故障しそうなくらい、それは脆い。そもそもお互いが脆い存在だから、そこの関係が強固なはずもなく、でも脆い存在が集まって、依存し、故に自立し、出来合いの愛を持ち合う。たまには愛のなり損ないもある。私たちは愛することが下手くそだ。もっと覚悟があれば、私たちにほんの少しの覚悟があれば、どんなことがあっても笑えるのだろうけれど。

 今日、あなたと会ったらまず挨拶をする。おはよう、こんにちは、こんばんは、お疲れ様、調子はどう? いろんな決まりきった言葉を投げかける。そのときの表情や声で、私はあなたを判断する。私はあなたに判断される。短い間の中で、いったいいくつのやり取りが生まれているのかわからない。お互い知っているようで、お互い何も知らない。名前は知っている。顔は知っているつもり。でも頭の中で思い浮かべても、どこか靄がかかってしまう。会うとこんな顔だったなあと毎回思い出す感覚になる。生年月日は知らない。私と会う前にどんな生活をしていたのか、どんな楽しいことがあって、どんな嫌なことがあったのか、知らないし、これから知ることもほとんどない。それでも挨拶をしよう。おはよう、こんにちは、こんばんは、お疲れ様、調子はどう? あなたは元気だって言う。でも少し表情が曇っていたから、私はそっか、とだけ答えて笑う。何もおもしろくないのに笑う。あなたが笑ってくれたらうれしいと思う。こんな儚い関係が明日も続けばいいと思う。

 昨日の夜に、私はあなたを憎んでいた。理由もなく憎んでいた。ただ憂鬱になっただけだ。でもそのときは、頭の中で、ひどいことを考えていた。でも、あなたを前にすると、まるであなたの理解者かのような顔をして、笑う。あなたが昨夜なにを考えていたのか、私は知らない。もしかしたら私と同じように、誰かを憎んでいたのかもしれない。私を憎んでいたのかもしれない。それでも、私たちはそんなことは言わないで、いい天気だね、なんて言う。だいぶ暑くなってきたね、夏が来るね。会話の内容は、できるだけくだらない方がいい。あなたとなら、できるだけ誰とでもできる会話で、それでいて心地よく、他の誰とも奏でることのできないリズムで、互いに悲しみを抱えながら、それでも、いまだけは笑いながら、永遠をこの瞬間は祈りながら、あまりにも脆いすべてを讃えながら、生きていきたいと思っている。

 

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