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外に出かけると大丈夫なのだが、帰ってくると急に疲れを感じる。そのまま布団に入り込んで、気づけばもう一日が終わろうとしている。
そんな日々を送って、身体の疲れはだいぶ楽になってきているのだが、今回は予防の意味も込めて、かなり慎重に休みをとるようにしていた。生活はそのままなのだけれど、身体のある部分がすごく痛み、それによって身体ぜんたいが怠く感じ始めていたから、そのために家に帰ったらすぐ休む、ストレッチをして痛みをできるだけ和らげて、風呂に浸かる。そしてよく眠る。それだけをしっかりやってきた。身体はもちろんだが、やはり精神的にすっきりしている感じがある。この一週間は対人関係では特別なやらかしはなかった気がする。そしてある程度はゆっくりでき、自分自身の状態がまずいときはその場から離れるという選択ができた。
日々の生活に、いつもと変わったことを取り入れてみる。数回試しただけだと、それがたまたまその変化が起きたのか、その行動によって高確率で変化することなのかわからない。そもそもなにも変化しなかったと感じることだってあるだろう。数回などか気まぐれに変化を起こし、その結果を感じて予想し、生活に落とし込んでいく。結局は変化っていうのはそういうことをしないと生まれない。偶然起きた変化をずっと追い求めてしまうこともあるだろう。それでも、それは悪い方向かもしれないが、しかし変化はしている。
日々、生きていくことはずっと変化することで、死ぬことがそれを止めるのかはわからない。とりあえず生きていく私たちは、変化をしなければならない。変化をしないことはおそらく死に向かうことではある。
変化をしつつ、なんとか生きていく。そういう日々を送っている。あるいは、ひきこもっていたときはほとんど何の変化もなく反復ばかりしていた日々なのだから、やはりあの時は死んでいたみたいなものだったのだろうか。あの頃のことを思ったら、最近の毎日は一日中だらだらしていたとしても、すごく生きている感覚があるのだ。
生きている感覚。おかしなことだ。生きているから感覚がある。それに生きている感覚という何か特別なものがあるということが、そもそもの罠なのかもしれない。生きている。呼吸している。そこに喜びをあてはめるのか、憎しみをはてはめるのかは自由だ。そこに本当は自由はないかもしれないが、とりあえずあるとして生きるしか私たちには術がないように思える。だから私は笑う。喜ぶ。どうしてもきついときは、その苦しみを味わう。楽しむ。笑う。喜ぶ。それの繰り返し。そういう日々を送っている。

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