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4/25 遥か彼方

 ある程度長い文章を書こうとすると、書いているうちに自分の中で矛盾が生じたり、何を言っているかわからなくなる瞬間がある。

 文章を書くのが上手な人はそうならないのかもしれないが、私はなにを書くのかも決めてなく、ただ文章を書き、その書いた文章からさらに続けるようにして書く、ということを繰り返していくと、最初に言っていることと、終盤で書いていることが正反対の意味のものになっていたりすることがよくある。そして私にとってはそういう状態になることは決して悪いことではない。むしろ一貫性のある文章を書けてしまうと、つまらないと感じることも多い。書いているうちに自分が何の変化もしなかったようで、書いた意味がないと感じてしまう。もちろんそんな単純な話でもないし、ある程度は自分の軸がはっきりしていた方が本当はいいのだろう。でも、わずかにでも自分が変化しない文章は、きらめきもときめきも足りないと思ってしまう。

 誰かに読ませるために書いているわけではない。伝えたいことなんてもちろんない。自分のために書いているのか、と言われるときっとそうなのだけれど、別に何かのためにやっているわけでもない、という感じでもある。
 強いて言えば楽しいから、強いて言えば落ち着くからだろうか。だらだらと文章を書くことは昔から趣味でやっていて、しかし長年やるとどんどん自分の文章の癖というのが鮮明にわかってくる、本当は書き方を変えたいのだけれど、他人の文章を読んでもなかなか影響されることなく、同じような接続詞、同じような形容詞を使って文章を構成してしまうから、この癖によって思考の形が決まってしまい、いつだって同じような結論に至ってしまうような気がするのだ。

 しかし、つまりはそういうことなんだろうな。人の思考には癖がある。文章の書き方も癖がある。私は私が持っている枠組みでしか考えることができないでいる。だから文章を書いて自分の気持ちを整理しようとしても、いつも同じ仕方で同じところで躓いてしまう。これを打開するためにはどうすればいいのか? 他の人の文章をたくさん読んでもっと影響されればあたらしい考え方が浮かぶのだろうか。書き方。特に接続詞が厄介に感じている。あるいは一文の長さ。リズム感。
 
 もっと自由に書きたい。終わりたいときに終わり、はじめたいときにはじめたい。言葉が開いているか閉じているかも気にせずに、文章が成立しているかしてないかも気にせずに、もっと自由で、誰にも伝わらないでもいいから、それでももっと彼方へ。

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