私の心に巣食う闇~母国語~
(閲覧注意:ドロドロしてます。すみません。身勝手な持論で心の闇を、毒を吐いています。読んだら不愉快になるかもしれません。)
少し前、こういう記事を書きました。ここには日々の生計を立てるのにも、タダで拾い集めた資源ゴミを、濡らせば資源ゴミとして使い物にならなくなってしまうのに、少しでも高く買い取らせようと、水に浸してカサ増しする高齢者たちの事を書きました。
私は自分の母国語とする言葉を覚えようとしない人達に対して正直どう受け止めていいかわからない部分があります。
私の父は長男でした。勉強が趣味のような人でしたが、下の兄弟姉妹の為に進学をあきらめて高校を出てすぐに就職。母は中卒で洋裁の専門学校とタイプライターの専門学校に通って手に職をつけようとしました。
娘の私が言うのもなんですが、経済的事情で進学は出来ませんでしたが、二人とも「学ぶ」事を全く厭わない人達でした。
20年前、私の海外駐在が決まった時、両親は二人とも私とメールのやり取りができるようにと、パソコン教室に通って、広州赴任時代初期の頃からずっとメールでやり取りしてきました。両親は常に進化し続けようとする人達でした。色んな事に努力を惜しみませんでした。
日本に居る時も私の周りには中卒、高卒、専門卒、大卒の友達、日本の中でそこに知識の差を感じた事はありませんでした。
色んな身を置く環境や勉強のコツ、ポイントの見抜き方みたいなものには違いを感じることもありますが、皆それぞれの個性と才能を感じられる交流がそこにありました。
どこまで学校に行くかで知識の幅が決まるのではなく、その人に「これをもっと深く知りたい」と興味を持つ心があるかどうかで際限なく広がっていく世界。
私も成績はパッとしませんでしたが、勉強自体は好きで、知らなかったことがわかるようになるワクワク感と達成感に堪らない気持ちになります。
私の両方のお婆ちゃんも小卒でしたが社会の中で文字を覚え、二人とも普通に手紙をやりとりできました。
香港に来るまでは私の周りに「字を読み書きできない人」はいなかったのです。ところが香港に来てみると、とっても身近な人がそうでした。
お姑。
私はKと付き合い始めてからほぼ毎日お姑の家にご飯を食べに行きました。その頃、私はまだ広東語ができず北京語でKと話していました。少しずつ広東語を使い始めていた頃です。
でも、お姑とは会話は成り立ちませんでした。お姑は、広東省の東莞市出身で独特の訛りがありました。ずっと訛りだと思っていました。
(ちなみに香港は深セン市の下に陸続きであります。)
でも実際は訛りではありませんでした。
お姑の使う語彙がものすごく集約されていたのです。お姑はたくさんの「物体」の固有名詞をほとんど使いませんでした。
例えば、料理に使うオタマを「長いヤツ」と呼び、テレビのリモコンは「板」と呼びました。そして、話す時は大抵、主語も目的語も時には動詞もありません。「テレビのリモコン取って」は 「板~」 の一言。
私は広東語は覚えたてでしたが、外国語を勉強する上で「お役立ちフレーズ」をある程度覚えた後はボキャブラリーの多さがモノを言います。なので色んな物体の名前を手あたり次第に覚えます。
「(テレビの)リモコン」という単語で覚えている私は、テレビのリモコンを「板」と呼ぶ発想もなければ、「板」という音を発する事が「リモコン取って」という意味という変換ができませんでした。
全てがそんな調子だったので、お姑とは当初会話が成り立ちませんでした。田舎の訛りは標準の広東語と、こうまで違うのかと衝撃を受けていました。
初めて広東語を耳にした時「北京語とは別の国の言葉みたい」と思った経緯がある為、その時の私は訛りがひどいと言葉も通じないという事に対して疑いすら持ちませんでした。
でも、その他にも私を驚かせるような事はたくさんあったのです。例えば、義兄もお姑の家で一緒にご飯を食べる時、義兄がまた、結構ボロクソに暴言を吐くのですが、
「こんなしょっぱい物を出すなんて頭おかしいのか」とか「耄碌(もうろく)して料理もまともにできなくなったか、話にならないな」とか。
ひどい暴言を吐くのです。
するとお姑は「はあ゛あ゛あ゛ああああ~~」と義兄の声を打ち消すかのような、ため息じゃないハッキリとした声を出して反発。
ところがある時、ご飯を食べている最中、お義兄さんの度が過ぎる暴言に、突然勢いよく立ち上がったかと思うと身をよじらせて「あ~お゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛~」と獣のように吠えました。
私は余りの予想外の出来事に一瞬お姑がギャグをかましたのかと疑いましたがガチでした。
呆気にとられたのは私だけではなく、この時ばかりは息子たちも一瞬言葉を失っていました。(その直後すぐに「動物じゃあるまいし」とまた怒られていました・・)
でも私はこのお姑の野獣の雄叫びみたいな声が耳朶に焼き付いて、その動物的な怒りの表し方にイヤ~な気持ちがしました。
結婚が決まったある日、お姑が突然昔話を始めました。それは自分が如何に苦労をして息子二人を育て上げて来たかという話でした。その中に「字も読めない私が・・・」と出てきました。
「職場の社長からお金を出してやるから学校に行けとまで言われたところを、それでも私は行かずに働いた」と涙を拭くような仕草をしながらも誇らしげな顔で語るお姑。
そして自分の子育ての苦労話をひとしきりすると、私に言いました。
え?私が嫁に来るのに条件出されてる?!
何?自分は自国の言葉の読み書きさえできないのに、日本人の私には、北京語のみならず広東語までマスターしろって、普通に難なく言ってる?
え?しかも自分によく仕えろって何?!
・・・違和感。
え?この状況で誰かが条件出すとしたら、娘を海外の10個も年上のバツイチの日本語の全く喋れないKに嫁に出すうちの親の方じゃないすかね?
正直、私はカチンと来ました。
何か言い返してやろうと私が口を開いたその時です!
「おまえ何言ってんだよ?結婚するの俺だぞ。何勝手に結婚の条件とか出してんだよ。大体うちが条件なんか出せる立場じゃないだろ。いい加減にしろ!💢」
先に怒鳴り声をあげたのはKでした。そしてお姑はそのまま貝が殻を閉ざすように黙り込み、私はそれまでお姑に感じてきた違和感の正体がやっとわかったような気がしました。
外の人とは結構普通に会話が成立するのに、お姑とは会話が成立しなかった事、物体の名称や語彙が異様に少ない事、動物的な感情表現・・・・・
でも、ずっと戦争をしているところで学校さえないとか、テレビやその他のメディアに触れる機会もないような、「学び」というのは「お金持ちの道楽」と言い切る程貧しい社会とかなら、それは本当にどうしようもない事だと思います。
事実、学校で習う事全てが実用的で実践的だともいえないだけに、明日を生きる為に命をかけなくてはいけない状態であれば、手あたり次第に役に立つかどうかわからないような知識も全部まとめて、とりあえず先に詰め込んで置く、なんて悠長な事はしていられないでしょう。
だから数学ができない、科学がわからない、歴史を知らない、ぶっちゃけ勉強に興味がないという事もOKとしても、私にはどうしても自分の母国語である言語を身に着けないという道理がわからないのです。
母国語は勉強する権利、とか勉強する自由、とかそういうレベルの問題ではないと思うのです。
自国の言葉と言うのは、自分がその社会で生きていく為に当然身に着けるべきスキルです。歯の磨き方、紐の結び方、野菜の切り方、以上の基本のキです。
ましてや、自国の言語というのはそもそも「勉強しよう」と思わなくても、そこに溢れているものだから、常に使い続けているはずです。覚えようと思わなくても覚えてしまうはずだと思うのです。
母国語は、学校で習う他の全教科と全く違って学校以外のどこにでもあるものです。外に一歩も出なくても家にいたままでも常に目にし、口にし、耳にするものです。
旦那家族みんな「当時はお母さんはいくつも仕事を掛け持ちしてたから」と言うのですが、常に耳にし、目にし、口にするものが何故自然に頭に入って行かないのか、仮に学習障害のようなものがあって、何回聞いてもなかなか覚えられないとしたら、尚更、一日一個、無理なら三日で一個、それでも無理なら一週間で一個の言葉を書くようにしたら、70代になるまでには、それなりのボキャブラリーが増えたのではないかという気持ちが、どうしても拭えないのです。
読み書きできない事自体は恥じる事でも何でもなく、読み書きできない自分のままで良いと頑張らずに諦めるとしたら、私はその人の事をどうやって尊敬したらいいのかわからなくなります。
どうしてそこを避けて通ってもいいと思うのか、
どうして他の科目と母国語の読み書きを一つのくくりと思うのか。
たくさんの事を努力で解決してきた自分の両親の姿を思うと「読み書きできないまま」それを良しとした事が、とても受け入れ難く思えるのです。
外国語なら「勉強」ですが、自国の言葉は「生活術」だと思います。
しかも自分は「学校で勉強するもの」「勉強ができないから」「仕事が忙しいから」と蓋をして放置してきた事を、私には「外国語である広東語をマスターしなさい」と平気で言える事に(そう言われなくても広東語をモノにしたかった事は別にして)とても納得いかない思いがしました。
日本はその点、学校教育を早くから義務付ける事で、身に着ける機会を平等に与えられ、尚且つ「読み書きできないでは済まされない」という有形無形のプレッシャーが社会からかけられることで、「勉強が嫌い」とかそういう事では、まかり通らない状況が生み出され識字率が引き上げられました。
もうお姑は今80過ぎ。今から頑張る意味はない年齢まで逃げ切ったお姑の事は気持ちの上では受け容れられていませんが、結局、この香港社会の中では、受け容れる受け容れないに関わらず、私は家族として同じ時間を共有していくので、心の狭い自分を罰するには一番効くのかもしれません。
サポートしていただけるとありがたいです。