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弱者に優しい社会?!①~段ボールを奪い合う老人たち~

 香港の街角。人の迷惑も気にせず、拾い集めてきた段ボールを台車に山と積みあげて車がビュンビュン走る車道を斜め横断したり、その段ボール箱を道端で水に浸す高齢者の姿が良く見られます。

 その姿に香港社会は基本同情的で車もスピードを落とし、道行く歩行者も黙って通ります。

香港には日本と違って、社会制度としての年金はありません。生産者層として「社会を回す」為のお金はあくまで「税金」。日本のように何とか年金、何とか保険、という強制はありません。

*但し仕事をしている人(正社員でもパートでも)は強制積立金制度(MPF)というのに加入が義務付けられて給料から一定金額を積み立てます(詳細はこちらのHPでとてもわかりやすく解説されています↓↓)

納税とMPF以外ない代わりに、保険などは全部個人で掛け、自分の老後を養うのは基本自分の貯金です

でも、65歳という年齢に達すれば香港内の全ての交通機関が一回当たり2$(約30円)で利用できたり、70歳になると政府から「フルーツマネー」という1475$(約20000円)のお小遣いが毎月もらえます

これは香港永久市民であれば、過去の所得や社会貢献度など一切何も関係なく、その年齢に達しさえすれば一律もらえるお金であり福利厚生です。

更に子供達がみな独立してしまって一人暮らしとなれば、家賃がめちゃめちゃ安い(ザクっと言えば市場価格の約3分の1~4分の1くらいの家賃の)公団に住む権利が優先的に回ってきます(たとえ実際は独立した子供達が生活費を入れてるとしても)

日常生活を営むのに不自由な健康状況や経済状況、身寄りがいない等となれば、別途生活保護申請も可能です。

基本的に「日本よりかは、ずっと弱者に優しい社会」かな、と思います。

じゃあ、何故高齢者たちが段ボール集めに精を出すかと言えば、現在その恩恵を受けている世代は、こちらの記事でも少し紹介していますが5~60年代に内陸から難民のように逃げてきた人たちです。

こうした人たちは、学校教育をちゃんと受ける余裕がありませんでした。
表を見るとわかるように90年代頃までは識字率が90%ありませんでした。現代香港の識字率は低くありませんが、当時の文盲が文盲のまま年老いたという実情があります。

でも、じゃあ当時は文盲が文盲のままで渡っていける社会だったかと言われると勿論そんな甘くはなく、字が読めない人達は職に就いてもステップアップができませんでした。

いくら仕事ぶりも人柄もよくても、たとえどれだけ直属の上司がその仕事ぶりを評価し昇進させることで昇給してあげたいと望んでも、昇進に伴い色々な物資や人を管理する立場になる為に必要不可欠な字を覚えない限りそのチャンスは目の前を通り過ぎて行きました。

今、少し時間をかけて字を覚えさえすれば、将来的に得られる収入は今とは全く比べ物にならないという瀬戸際にあっても、その目の前の一分一秒を惜しんで働き続けた結果、字がわからないまま年老いたのです。

学歴は人としての最重要事項ではありませんが、受けた教育の差から生じる考え方の違いというのは、確かにあるように思います。

当時の小卒、中卒には植民地ならではの事情も確かにありましたが、こうして読み書きできない大多数の人は、ゴミ収集や清掃業、皿洗いなど難しい知識を必要としない、香港の法定最低賃金の職種に従事しました。

それをいくつも掛け持ちしたり、資源ゴミをゴミ箱から拾い集めたり、古新聞を集めたりして生計を立ててきました。

 その人たちは、いくら政府から一律でこれらの高齢者手当がもらえても生活を立てていける金額ではないので、年老いてなお、現役時代と同じように法定最低賃金の職を求め、段ボール集めなどをするのです。

これは段ボールが資源ごみとして小銭になるからですが、段ボールの買い取りは重さで行われるのです。なので「水に浸して重さを増す」という方法が流通し始めました。

 もちろん、そうした濡れ段ボールはカビたり、繊維が崩れたりして使い物にならない為、主な段ボール買い取り先であった中国が「今後香港からの段ボールは買い取らない」と宣言。もう数年前の話です。

一時期、段ボールで小銭稼ぎをしていた人たちの間に衝撃が走りました。同じ理由で古新聞も買い取り価格が大下落して、ただの小遣い稼ぎだった老人たちはある時を境に一斉に古新聞を集めなくなりました

では、字が読めない人達みんな年老いてなお、こういう境遇にいるかといえば、大多数そうではありません。ぶっちゃけ子供がいればいいのです。この世代の人たちは皆子だくさんで5,6人兄弟は珍しくなく、老後を養ってもらう為に子供を産みました。子供達がきちんと教育を受けて、きちんとした職に就ければ、子供に養ってもらうという逆転ホームランにより、政府の手厚い優遇をお小遣いとして享受しています。

香港で一番のお金持ちだろうと、自分の生活を立てるのに精一杯であろうと、その現状は自己責任としてそれとは切り離したところで高齢者優遇を享受できるのです。

 若い頃に「字を覚える」という変化に身を投じなかった人たちにとっては、たとえ「焼石に水」のような高齢者手当も、自分の「生産者層」時代の社会貢献度と比べれば「頑張って来た見返り」として本当に手厚い補償だと思います。

今なお段ボールや古新聞を集めている人はガチで生計を立てている人たちですが、最大の買い取り先を失ったにもかかわらず全く懲りた様子もなく、業者に少しでも高く買い取らせようと、公衆トイレなどで水を汲み、道端で段ボールを濡らす(コレも自分の住処を汚さない、タダの水を使うという目的の)高齢者が今も後を絶ちません。

 いろんなお店などから出る段ボールには大抵既に固定の「おもらいさん」がいます。今日から段ボール集めをしようと思っても、そこには既に自分にはそのお店のロイヤリティがあるかのように、「ここの段ボールは自分のだ」と主張し、縄張り争いをするのです。

一方、日本は早くに教育改革をし国民の識字率を飛躍的に向上。
今の80~90代くらいの高齢者の方でも字が読めないという人はほとんどいないでしょう。

更に年金制度や保険制度を整備して、国民の老後や医療制度を保障する一方で、社会全体を担う為の負担を強いてきました。

皆で勤勉に真面目に、殊「民度」という面においては本当に高い平均点を保ち続けていました。それは時に「画一的」とか「人と同じでない事を恐れる」と言った揶揄の対象にもなってきました。

エスニックジョークに、沈没船ジョークというのがあって、沈没しかけの船から海に飛び込むのを促すのに、
アメリカ人には「飛び込めばヒーローになれます」、
ロシア人には「海にウォッカのビンが流れています」、
イタリア人には「海で美女が泳いでいます」、
フランス人には「決して海には飛び込まないで下さい」、
イギリス人には「紳士は海に飛び込むものです」、
ドイツ人には「飛び込む事はルールです」、
中国人には「おいしい食材(魚)が泳いでます」、
日本人には「みなさんはもう飛び込みましたよ!!」
韓国人には「日本人はもう飛び込んでますよ。」
と言えばいいというモノで、日本人は殊「集団主義者」としての扱いです。

でもそれは、裏を返せば日本人は圧倒的大多数の人がみんな、歯を食いしばって平均点以上の頑張りをしてきたという事です。文盲のままで平気という事では終わらせない為、まず社会の在り方から変えました。

ある意味、頑張らざるを得ないような体制を整える事で退路を断ったと言えるかもしれません。

身を粉にして働いてきて行きつく先がコレ↓↓

実践的な英語フレーズを発信されているPlot47さん。

お役立ち英語の他にも色々なマガジンがあり、中でも「日本の物語」は今の日本の現状を知る事ができ、上記の話題については#18~20に渡り言及されています。

 勤続云十年と黙々色々なものに耐えながらまっとうに勤め上げて来た企業戦士たち。家庭を守ってきた女性たち。また、この男性優位社会の日本にあって、同じく企業戦士であったにも関わらず、結婚や出産などで退役を迎えるその前に、社会の中で実力と能力に見合った活躍の場所を当然の如く奪われて、内助に徹するを得なくなった不完全燃焼の思いを抱える女性たち(全員がそうという意味ではありません)。

諸事情で進学できずとも、個人レベルで努力して仕事に必要なスキルも身に着け、疲れていてもハードルの高い仕事でも、自分の責任として受け止めて、家庭を築き、子孫も残し、きちんとした格好をし、自分の甲斐性で家を持ち、更に自分達の老後の為にと堅実に貯金して頑張って来た日本人
それが徐々に価値観の変化で変わってきているのも事実でしょう。

でも、字を覚える事さえして来なかったこちらの人は、ただ字を知らないというだけでなく、自分の面倒を自分でみられるほどに自分を高めるべきだ的な向上心みたいなものが著しく欠けているように見えます。

そうあるべきだとしっかり教育を受けて来た日本人の圧倒的大多数は、政府に頼ることに「申し訳なさ」を抱くのに対し、そういう価値観が芽生える前に学校に行かなくなった人達は、今日も当たり前の如く高齢者優遇が全然足りないと文句を山ほど言いながら過ごしています。

だから、段ボールをめぐって熾烈な縄張り争いをしている香港の老人たちを見ると複雑な気持ちになります。

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