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僕が、起業した『本当の理由 』

今から、20年以上も前の話ですが

当時、小学校5年生だった僕は

たまたまクラスの担任になった、その先生から

『バレーボールやってみないか?!』

という

熱い、お誘いを受け

なぜか突然、バレーボールを始めました。

後悔しました。

いわゆる『ガチ勢』というヤツで

チームは、全国大会に向けて

毎日練習、土日は試合

1つミスがあれば

鳴り響く『愛の怒号』

光の速度で飛んで来る

『愛のタッチ』←あくまでもタッチ

汗と、涙と、愛のタッチ
 
練習中は

水分補給だけが

唯一の生き甲斐でした。

もちろん今では

全力で感謝しています。

ただ当時は

余りにも厳しい環境で

『平凡な僕』の生活は一変

割とぽっちゃりしていた

可愛らしい僕の体は

3ヶ月で15Kgの激痩せ

今なら迷わず

小学生ダイエッターとして

YouTubeで売り出すくらい

見事な、劇的before  afterでした。

そんな中で

続けられた理由が、ありました。

監督が

『クラス担任の先生』

だったんです。

毎日、必ず、教室で会う訳です。

チームを辞めたらどうなるか

何度も、何度も、何度も

シミュレーションをしました。

気まずさと、気まずさと、気まずさで

間違いなく

不登校になると思い、諦めました←

半分は、本当にそうなんですが←

もう半分は

先生や、チームが

本気で向き合ってくれたからでした。

初めてでした。

家族以外で

真剣に、怒ってくれる大人がいて

真剣に、助けてくれてる仲間がいて

真剣に、喜び合えるチームを持てて

小学6年生の夏

全国大会、準優勝

僕は、さらにバレーボールが好きになり

学生時代の全ての青春を

バレーボールに掛けました。

その時は想像していませんでした。

高校生の時に

『人生最大の挫折』が待っている事

予兆はありました。

常に、全身に痛みがありました。

かばう事がクセになり

怪我をしやすい体でした。

治しては、すぐに再発し

新たに、他の場所を痛め

どれだけ練習をしても

一向にパフォーマンスは上がりませんでした。 

ミスが目立つ様になり

自信を失った僕は
 
レギュラーから外され

ベンチにも居場所が無くなり
 
高校、最後の引退試合は

応援席で迎えました。

厳しい練習も、これでオサラバ

これでようやく

普通の学生生活をエンジョイ出来る

輝く青春が、遂に始まった

そんな風に

強がるしかありませんでした。

努力は、しました。

あらゆる治療院に、通いました。

あらゆるトレーニングを、行いました。 

誰よりも、練習に励みました。

それでも

僕の選手生命は

高校3年生で、終わりを迎えました。

悔しかったんです。

たかが部活に

当時は人生を掛けていましたから

このまま

絶対に終わらせたくありませんでした。

どうやったら、この経験を生かせるのか考えました。

そして、それは見つかりました。

『体の問題を、根本的に解決出来る、セラピストになる』

その場の痛みを取るだけの

対症療法セラピストではなく

二度と再発しない体を作れる

根本治療が出来るセラピスト

僕と同じ様な想いを

もう誰にもさせない

『人生最大の挫折』が

『人生最大の目標』になりました。   

僕は『理学療法士』になりました。  

控えめに言って

死ぬほど勉強しました。

バレーボールで鍛えた『集中力』

自分の様に挫折する人をなくしたい『熱い想い』

モテはやされたい『無限の下心』によって
 
年間100万円

実際にかけながら

勉強と実践を、し続けました。

メキメキと力を付けていった結果

患者さんから、喜ばれる様になり

先輩セラピストを追い越す形で役職につき

学会でも、受賞をするなど

天才だな、と思いました。

順風満帆

端から見たら、そうだったかもしれません。

ですが

ある時、ふと気がつきました。

『この患者さん、同じ疾患で、繰り返し病院に来ている』

自分が、担当している期間だけ

ここだけを見れば

痛みや、動き、症状は

『一時的には』

良くなっていました。

一方で

その患者さんが卒業した後
 
『1年単位』『長い目』で見てみると
 
同じような症状

同じような疾患

同じような問題を

繰り返している事が分かりました。

問題は

なくなっていませんでした。  

それはまるで

学生時代の僕の様でした。

なぜ、こんな事に?

なぜ再発するのか

根本原因は何なのか

改めて追及しました。

そして、1つの

決定的な答えを見つけました。

『問題の根本は、患者本人にある』

今、日本にある健康問題は

その殆どが『生活習慣病』で

ガンや心筋梗塞、脳梗塞、認知症、アレルギー、肥満など

これらは

患者本人の生活習慣の問題

患者さんは

自覚のある、無しに関わらず

飲み過ぎで

食べ過ぎで

寝不足で

運動不足で

水分不足で

ストレス過多でした。

生活習慣は

理学療法士の僕が

いくら、技術を高めても

いくら、医学や科学が進歩しても

本人自身が、変わらない限り

絶対に解決する事が出来ないモノでした。 

仮にゴッドハンドの歯医者だとしても

『歯を磨かない患者さん』の

『虫歯を再発させない方法』が

無いのと同じくらい

僕らセラピストには

太刀打ち出来ない問題でした。

もちろん

生活習慣指導はしました。

正しい食習慣を伝え

正しい運動習慣を伝え

正しい睡眠習慣を伝えました。

驚かれるかもしれませんが

殆どの方は

出来ませんでした。

身につけてしまった、これまでの習慣は

そう簡単には治せなくて

治す事自体がストレスで

『それが原因で病気になってしまうわ』



勝ち誇った顔で、言われた事もありました。

心の中で、何回殴ったかは覚えていませんが

患者さんの殆どは

薬やマッサージ、手術など

『一方的なサービス』で

『なるべく習慣を変えず』に

問題が解決する事を望んでいました。

『先生、治して下さい』

『私は、習慣を変えませんが』

難易度、最大級でした。

こちらの一方的なサービスで

本人の生活習慣を是正するなんて事は

残念ながら、出来なくて

自分が理学療法士になった意味を

もう一度、真剣に考えました。

本当にこのままで良いのか

諦めるしかないのか

僕は決断しました。

『絶対に、やりきる』

僕は、根本治療の出来るセラピストとして

それまで学んで来た学問を

一気に方向転換させ

『自然治癒力』と『生活習慣』をテーマに

『セルフケア』と『体質改善』を学びました。 

患者さんの

精神的、物理的負担を

最小限にしながら

どうやったら習慣を変えてもらえるか

少しずつ、試行錯誤

ついに、変化が出てくる様になりました。

特に力を入れたのは

水分、体温、栄養指導

腰痛、徐々に消えていき

高血圧、薬が必要なくなっていき

血糖コントロール、改善されていきました。

手応えあり

確実に良い方向に向かっている

病気の再発を、これで防げる

このまま行ければ

求めていた、本当の治療が出来る、、、!

そんな事を感じ始め

日に日にテンションが増していった、ある日

突然でした。

ドクターから、呼び出しをされました。

褒めてもらえるに違いない。

『安廣くん、君は最近何をしているの?』

僕は答えました

『はい!患者さんの問題を、全力で解決しています!!』

ちょっと自信あり気な勢いが

ドクターの表情を曇らせました。

『あのね、それを、どうやってやってるの?』

ん?

安廣、何か悪い事した?

立場上、僕の方が部下だったので

僕は素直に答えました。

『えーと、根本治療のためには、習慣指導が必要で

水分や栄養、体温管理

それを患者さんに伝えています。』

ドクターは

用意していた言葉の様に、言いました。

『それ、辞めてもらえますか?』

何て?

『君は、 理学療法士だよね。

患者の口に入れるモノを指導するのは、栄養指導。

それはね

理学療法士の職域を越えてるんだよ。』

職域?

『ドクターの指示にない栄養指導。

しかも、栄養士でもない理学療法士が。』

『仮にそれで、事故が起こった時に、君は責任が取れる立場にいない。』

『君の後輩がそれを真似し始めて、もし事故が起したら、安廣くんは責任取れる?』

『簡単に言うと、ドクターの指示に従って、運動療法だけやって欲しいって言う意味だよ。』

『ちなみに、

患者に栄養指導するつもりはないよ。

今まで通りで、何も問題ない。』

あぁ、なるほど

この先生は、きっと僕から

目潰しと、ボディーブローを

同時にされるのを待ってるんだなと

そんな事を考えながら

ドクターが

『正論』を言っている事も

同時に理解しました。

これが、日本の医療の常識で

これが、保険のサービスの現状で

これが、組織にとっての正しさなんだ

ドクターとは、比較的仲が良かったんです。

僕の事を考えて

組織の事を考えて

ドクターなりに、患者さんの事を考えての

そう言う指導だったんだと思います。

ですが

それはあくまで

根本治療は度外視した

対症療法ベースの

病院やクリニックの為の指導でした。

良いとか悪いとかじゃなく

ここは、そう言う場所なんだ

ここにいては

きっと何時までも

何処までいっても

対症療法の枠を越えられない

それを理解しました。

迷いは、殆どありませんでした。

病院を、辞める事を決めました。

保険の枠を越え

対症療法の世界を抜け

自費のセラピストとして

独立する事を決めました。

2016年9月1日

全ての人が

本物の自立と健康を手に入れる為の

プラットホームになる。

合同会社Desire は

そんな願いを『熱望』し

形にする為に立ち上げました。

『根本的な問題を、解決する』

これが

僕が病院と保険を卒業して

自費のセラピスト

そして事業家になった理由です。

生活習慣病を無くし

いつでも、どこでも、誰もが

好きな時に

好きな場所で

好きな人と

好きな事が出来る

そんな人生を送る為の

自立と健康を

クライアントが達成する為の

社会と文化の創造

微力かもしれませんが

全力で、必ず、成し遂げます。

高校3年生の夏

涙は、あの時出しきりました。

14年が経ちました。

あの時の僕と、固く結んだ

【            約束を、守ると決めました。         】

長々、ここまでお付き合い頂きまして

本当にありがとうございます。

最後に

世間は感染症で、揺れています

亡くなる方の多くが

基礎疾患を持っていて

免疫力の低下が背景にあります。

こんな時だからこそ

免疫力の問題を

根本的に解決する僕らの活動は

待ってくれている人がいます。

僕らは社会全体と

今と、未来を考え

一層、仕事に励んでいきます。

感染症以外にも

問題 は、山積みです。

メディアの偏った情報に振り回されず

本当に必要な情報を

世の中に届けていく責任があると感じています。

この記事を最後までご覧頂けた

心豊かな皆様と共に

情報と経験と夢を共有し

新しい時代を作って行けたらと思います。

今後とも、応援の程

どうぞ、よろしくお願いいたします。

やすひろしげのぶってどんな人?

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