日本史からの教訓
本日の言葉。
「あらゆる事象は心の反映である」
(稲盛和夫)
印象に残った教訓
1 勝利のためには、相手の機先を制してすばやく行動する(北条政子)
この名行動を生んだのは、鎌倉時代の執権、北条義時が亡くなった後でした。
執権後継者をめぐり、有力武家間で争いが起こっていました。
その時、義時の盟友であった三浦義村が北条義時の次男に就くという裏切り行為をしようとした時、源頼朝の妻である北条政子が彼の裏切り行為を未然に防ぎ、長男の北条泰時が次期執権になりました。
北条政子の危機管理と機転ある行動が、北条泰時という名執権を産んだのはいうまでもありません。
尼将軍が歴史をプロデュースした良い事例ですね。
2 さまざまな「おかしいこと」に気づき、それを自分で解決する(渋沢栄一)
渋沢栄一は、新一万円札の肖像画になるほど超有名な偉人ですね。
なんせ、幕末から明治という時代の混乱期に日本の資本主義を創った人です。
生涯に500社も企業を作るのは超人です。
彼は、徳川慶喜に仕えていた時から、古い商慣習をおかしいと思い、自ら変えました。
例えば、徳川家直轄地で取れた米を米問屋ではなく、酒醸造家に販売して莫大な利益を上げました。
おかげで、徳川家の財政は潤沢になりました。
世の中には、「おかしい」と気づいて、他人に問題解決させる人と、自ら問題解決する人がいます。
前者は他人に口だけ出して自ら行動しないので成長しないことが多いです。
後者は自ら問題解決するのは、困難なことが多いですが、成長するきっかけにもなるし、人間的に信用できると思います。
3 どんな局面でも激さず、焦らず、じっと耐え、時勢がほほ笑むまでひたすら待つ(徳川家康)
徳川家康といえば、戦乱の世から平和な江戸時代300年の礎を築いた日本史上、超有名な偉人ですね。
ご存知のように彼は、幼い時から受難の人生を歩んできました。
実母との生き別れ、青年期までの今川家での人質生活、武田信玄を始めとする強敵との合戦、織田信長の命令により、妻の築山殿とその子信康を殺さざる得なかったこと、そして重臣石川数正を始めとする家臣の裏切りの数々...
普通の人なら、「もう、やだっ!」と全てを投げ出してしまうことが少なくないでしょう。
彼のすごいところは、受難の人生を耐えつつ謙虚に自分の役割を果たしていることです。
さらに、彼は次のような言葉を遺しています。
人間の一生は、まるで重い荷物を背負い、遠くをめざして道を歩いていくようなもの。
急いではいけないよ。
不自由が当たり前だと考えていれば、まだ足りないという気持ちは生まれないはず。
心に欲望がわいてきたら、困ったときのことを思い出そう。
我慢すれば、平穏無事がずっと続くのです。
怒りは敵と思いなさい。
勝つことばかり考えて、負けることを知らなければ、いつか自分自身に災厄がふりかかってくるよ。
いつも自分の言動を反省し、人を責めるのはやめよう。
やりすぎるのはよくないよ。
足りないくらいのほうがよいのです。
『東照宮御遺訓』
参考文献
河合敦 「最強の教訓!日本史」 PHP文庫
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