見出し画像

本当のコンサルの仕事が始まってから1ヶ月半、新卒の僕が思うこと。


お盆で札幌に帰ってきている。原点回帰したくなった。

過去の自分がnoteに書いた「今の仕事を選んだ理由」

ちょっと回帰したくなった。札幌の昔からお世話になっているカフェにて。中学生の頃から変わらぬテーブルに椅子。なぜか家よりも集中できる。余計なことを考えないで、没頭できる。カフェという空間の力ってすごい。そして、普段出張とかがあると特に落ち着いて思うことを書くエネルギーが残っていないことが多くて、実家に戻ってきて、お盆休みの間でこうやって時間を気にしないで思い思いに書けるってのは幸せなこと。

過去の自分が書いた文章を眺めながらざっくりいうと自分はなんの話をしていたんだっけか?と振り返っていた。目次をコピペして、まとめてみたら、こんな感じ。👇

●どんな仕事に興味を持っていたか?
⇒「本質的なこと」がしたい。私たちが生きることと密接に関わることがしたい。

●見ていた業種・職種
⇒興味関心が多岐にわたる自分のと性格上、業界業種を絞るのは嫌だから「潰しの効く」(多くの場面で重宝してもらえそうな)プロジェクトマネジメントのコンサルを選んだ。

【なんで今の内定先に決めたのか?】

●運命:人事は会社の価値観を体現する
⇒直感的に、この人たちが考え抜いて選んだ会社なら大丈夫そう。一緒に乗っかりたい。そう思える人にたくさん出会えた。人事だけじゃなくて、会社のどの人と話しても、聞いていて納得感のある話が多かった。

●本質的:大学の学部選びと同じ、「定めない決断」
⇒選択肢を広く持つこと、仕事を通して、もっと広い世界を見ることを大事にしている。

●個人戦が多かったからこそもっと協力を
⇒もっと大きいことをやりたい、実現したいと思うと、一匹狼には限界がある。だから、仲間と協業して、楽しいこと・デカいことを形にできるような人になりたいと思った。

●人間のソフト面に関わりたい
⇒どこまで行ってもこの世の中は人と人。その一番本質的な部分で、コミュニケーションなどの手段を使って人と人を繋いで、より良い世界にしていきたい。

●自分じゃなきゃいけない、がいい
⇒信頼関係が大事な仕事だからこそ、自分でなければならない、自分である理由を感じられると思った。誰でもいいこと、ツールやAIができることなら、そんなの自分がやらなくてもいい。名指しで、この人と一緒にまた働きたいと言ってもらいたい。

●視点の高さ
⇒目先の細かい作業をするよりは、でっかいことの方が好き。職人のようにずっと目の前の同じものと向き合い続けるというよりかは、もっと全体感を把握しながら物事を前に進めていきたいって思う。

●専門性のあるコンサルの需要
⇒人手不足の中で、現場でデキる人がそのままマネージャーになって、現場で手を動かすことが大好きで得意だったのに、管理職になった途端に困り果ててしまう。そんなことがあるだろうと思う。だからこそ、プロジェクトマネジメント専門の人にお任せしちゃおうって発想になっているんだと思う。最初から、自分が好きなポジション取りで専門性を上げていけたら最高だなって思った。

●いきなり管理だなんて安直?でもこれがやりたい
⇒現場を全く知らないのに管理っていうのは無責任だし、説得力にかけるなぁと思う。でも、人に指示されるのが嫌いな自分は、指示を出す側になりたいって思う。(これだけ聞いたら、実力が伴わないのに大口叩くやつみたいだけど、そこはなんとかしようと思う笑)

●会社の規模
⇒小規模な組織の「馬車馬のように働いていて余裕がない感じ」が嫌いだった。外資系大企業では「大きな組織の中で価値を見出してもらうためにも、特定の分野での専門性で尖りまくってハードワークできる人」が求められえているんだなと先輩の話、実際にそこで働いている人の声から感じた。小さいところも超巨大なところも畑違いだと思った。だから、メガベンチャー(就活で初めてこんな会社の規模感ごとの分類の言葉を耳にして、面白いなぁと思っていたのを思い出した笑)っぽい今の会社にした。

原点回帰できる文章を書いていて良かった

原点回帰の文章、書いていて良かった。仕事をしているとたまに思う、「俺は何をしているんだろうか?」から脱却できる。自分でなんで今自分がこれをやっているのか見失いそうになる瞬間は来る。でも、これがあると、そうだそうだ、こういう理由があって、今自分はここにいるんだった。そう再確認できる。

前回のnoteを振り返る

前回書いたこのnoteでも、『契約開始から二週間、「俺は何をしているんだろうか?」と思うけれど、この感覚は改善されていきそうだ。』という目次で、「どう今の仕事の意義を自分の中で腹落ちさせるのか?」とか、「純粋な自分のやりたいという思いが原動力にはならないことに9:00-18:00という膨大な時間を注ぎ込むことへの違和感」について書いた。

でも、この原点回帰用文章に自分が書いたことが、「仕事を頑張る理由」だ。だから、あとはもう【①原点と、②今目の前にある仕事と、③その先にぼんやりと思い描いている「将来こんなふうになれたらいいな」】を上手く線で繋いで、自分を納得させてあげるだけ。

ただ、2023年にたくさんの思いと考えを巡らせていた時と、自分の価値観も当然変わる。だから、自分で設定した原点が絶対的にズラせないなにかだとは思わないようにしたい。でも、落ち着いて考えた末に、すごく納得感を持ってあの文章を書いた自分をちゃんと信頼してあげたい思いもある。自分で選んだことだからこそ、頑張れる。

契約開始から1ヶ月半くらい経って思うこと、感じること

お礼とやり甲斐

もう一つ書いていた話はこんな内容だった。

仕事は自分の生計を立てる手段。多少苦しくても、自分に返ってくる。苦しい思いをしても、それは(体力勝負のスポーツとは異なり)相手を削るためではなくて、チームメンバーとお客様を助けるためだ。中学で部活を選ぶときと比べると、仕事は自分で選び取った感覚が強い。だから、頑張れる。

案件開始から2週間のときと比べて大きく感覚が変わった部分がある。まず、お客様からのポジティブな意見をもらえたことで、今までの全然好きでもなんでもないExcel上に書き連ねられている文章とにらめっこして、頭をすり減らしてきた時間にも意味があったと思えた。そうすると、やっぱり報われる感じがした。

お客さんと直接会話する中で「困っていた部分がどんどんと形になっていくのが見えて、非常にスッキリしている、ありがとう」と言ってもらえたのは大きい。序盤は、まだなにも形になっていなかったから、この手のお礼の声を聞くことは出来ていなかった。だからあんなにキツかったのだと思う。今までは、きっとチームメンバーとお客様のためになっていると自分に言い聞かせている感じが辛かったが、実際にお客さんから感謝の言葉が聞けると、その辛さが一気に軽減された。やり甲斐って大事だな。

アンチやり甲斐搾取

ただ、やり甲斐搾取って言葉がすぐに頭に浮かんでしまう。

【やりがい搾取】
労働者の仕事に対するやりがいを利用して、雇用主が従業員に不当な長時間労働・低賃金で業務を強いて、利益を搾取する行為のことを指します。

お客さんが喜んでくれるなら頑張れるという側面はあるにしても、好きじゃない作業をずっとやるのには、エネルギーがいるし、頭が削れる感覚がある。やり甲斐だけじゃ、耐えられないような嫌な作業だって当然ある。今の案件でやっていることは、正直終わりが見えているからできるけど、ずっとやれと言われたら、正直やってられない。別の仕事やった方が自分には合ってるんじゃないか?と思ってしまう。

大学で言えば、ミスって全然興味のない教科(全く推せなくてなんだか好きになれない教授)のために参考文献を読みながら課題をこなさなきゃならないときくらいしんどい。

我慢して、感情を押し殺しながら頑張るって、短い期間であればできると思うんだけど、どうしても限界ってあるんだと思う。人間やっぱり、自分のやりたいことをやっているときの馬力が一番強いから。

やり甲斐搾取は絶対に嫌だからこそ、今回の案件での経験を通して綺麗に浮き上がってきた「自分が苦手な部分(細かくて正確性を求められること、自分一人で黙々とずっと作業することなど)」・「楽しくできる得意な部分」に関しての気付きを大事にしたい。得意な部分(コミュニケーション、言語化、大枠の話とか?まだまだ仕事での経験で、自分をより良く知らないといけない。)で最大馬力を出して、多くの人の力になれたらいいな。割と真面目にこんな理想を思い描いてる。

まさに前回のnoteで自分自身が、今の自分の言いたいことを綺麗に書いていた。

父がよく言う。好きこそ物の上手なれ。楽しんでやってて、努力を努力だと思ってないヤツが強い。

変な精神論は嫌いだ。だから、無駄な苦しみからはとことん逃げて、有意義な踏ん張りどころでしっかり喰い下がる。周りの方にご指導頂いて、それをモノにする。時間とエネルギーをかけて教えて貰った分は、還元する。そんな心持ちでこれからも仕事をやっていこうと思う。

この思いは変わらない。生計を立てるために必要な9:00-18:00は有意義に過ごしたい。同じやるなら少ない苦しみで、楽しく仕事をしたい。そのために、頭を使って工夫し続ける。

でも、一日の満足度が一番大事。仕事のことで思い悩みすぎて、考えすぎて、すり減りすぎて今日という一日に満足いかないようではなんのために生きているか全然わからない。ここの価値観はこれからもこのまま貫いていく。

大学と違って、価値観が全然違う人たちと時間をともにするからこそおもろい

大学までに経験してこなかった、考え方が全然違う人達とチームで動くということの難しさを痛感している。今まで経験してきていることが全然違うし、MBTIでいう【N型(全体像から入りたい)とS型(ディテールから入りたい)】、【J型(計画をきっちりしたい)とP型(ある程度無計画でもいい)】みたいな、相容れない人の特性が原因で意見が分かれるようなシチュエーションによく出くわしている気がする。

あと、バックグラウンドの違いも、お互い理解するのが難しいと感じる原因だと感じる。当たり前だけど、今までの環境がいかに良くも悪くも偏っていたかに気づいた。

国内の財閥系の製造業出身なのか、外資で先進的な考え方の業界にずっといたのか。工場の現場に身を置いていたのか、課長職で渉外役が多かったのか。この2つの例だけでも、細かい部分を丁寧に丁寧にやっていくタイプと大枠を掴んで物事を前に進めていくタイプに分岐してくるんじゃないかと感じる。

年齢的にも、ブラックな働き方が主流で、耐えることが美徳だとされてきた時代を強く生き抜いてきた人と、Z世代と、その中間の年代じゃ、全然感覚が違う。ちょっとでも言葉足らずだと、頭の中にインストールされている内容が違うから、全然通じない。わかりあえない。父親と話していても、年配者はZ世代の扱いに困っているんじゃないか?なんでもハラスメントになるから。みたいなことが出てきた。もう、こんなのハラスメントハラスメントだ。若者(自分)目線では、ハラスメントって言われるのが怖いって年長者から思われるという事実が不愉快だ。

今度は大学というバックグラウンドで考えてみる。自分がいたのは国際関係学部だから、社会学系の答えのないトピックについてああでもないこうでもない言うのが好きな仲間が多いし、政治とか宗教の話も結構する。それも、当たり前のように。そして、みんな全然育った国が違ったりもするから、みんな何を言ってもあんまりびっくりはしない。大前提、みんな違うよねってのがあるから。だから、新しいアイデアとかに対しての開放性が高い人達が周りには多かったんだなと感じる。

趣味でいっても、よく考えると周りには凝り性が多い。ごだわり抜くタイプが多い。類友だから、あまりにも当たり前過ぎたけれど、普通ではないよね。世の中的に言うと。

自分がこんな文章を書いたり、おしゃべりしたり、あらゆるコミュニケーションが大好きなタイプで、周りも語らせると思想形こだわりなりがどんどん出てくるタイプが多い。でも、世間一般的には自分の周りは特定のタイプの人間が集まっているだけなんだなってすごく感じる。

具体例はなかなか難しいけれど、ひねり出してみようと思う。仲の良いグルメな友達、旅好きな友達に質問してみるのと同じように、味や旅先での感想を求めたり、教えてもらった知識について、もう少し詳しく聞いてみようとしても、同じようには答えが返ってこない。端的に言うと、困らせてしまう。自分の中で当たり前だと思っていたけど、当たり前じゃなかったか…。という気分。

そんなわけで、会社では会話の度に「珍しいね」とか、「そんなこと考えたことなかった」とか、「初めて聞いた、なにそれ」みたいな反応をされることが増えたと思う。別に悪いことじゃない。それだけ自分との会話を面白がってもらえているって感じもする。でも、場所が変わるだけでこんなにも当たり前が違うのかっていう、非常に当たり前なことを今一度噛み締めている。

逆に、自分目線でも、自分と全然違った人生を歩んできたんだなぁって思う人にたくさん出会っている。こうやって、人生の幅って広がって豊かになるんだなぁと思ったりしている。

仲間同士、通じ合っているに越したことはないが、バランス感覚が大事

ちょっと話があっちこっちに行ってしまったけれど、「考え方が全然違う人達とチームで動くということの難しさ」に戻る。ここまでで書いてきたように、「当たり前」がズレていればズレているほど、たくさんの良質なコミュニケーションを重ねて、どういう背景で何を考えているのかを理解しないと、その人と上手く協業することって出来ないと思う。考え方のベースが見えていたり、行動特性とか、得意なこと、嫌いなことがわかっていたら、物事はシンプルだ。どういう役割分担がいいかとか、どういう伝え方が一番伝わりやすいかとか、ある意味事前情報を元に簡単に予想できる。それがお互いに出来たら、気持ちよく働けると思う。気心知れた仲間と遊ぶときの楽な感じが、仕事でも実現できるんじゃないか?と思う。

でも、仕事は仕事で割り切って、別に自分の考え方とか価値観を持ち込まないで、ドライにやりたい人がいてもおかしくないと思う。だけどそれってつまりは、良い関係性の構築を放棄している感じがする。自分の価値観があまりにも仕事と普段の人間関係とを区切っていないだけなのかも知れない。でも、上で書いた通り、相手のことをよく理解できていないと、最高の形での協力って難しいんじゃないか?と思う。

だから、最近は、もっと業務に関係ない話をチームメンバーとする時間が足りないって感じがする。この人こういう人だから、これが得意で、こういうのは嫌いな性格だなって把握したうえで関われる方が良いと思うんだけれど、業務時間内だけでは、どうしてもそこまで相手の事を知ることが出来ない。だから、飲み会カルチャーとかは真っ向から反対ではない。

けど、ここで思うのは、仕事で関わることになった人全員とそんなにそんなに仲良くなる必要はないってこと。ドライかも知れないけれど、もっと一緒にいて楽しい仲間と過ごす選択もある18時以降の時間の使い方として、「仕事のために親睦を深める食事会・飲み会」をやるって、どうなんだろう?って思う。それで、毎日の業務時間が見違えるほど良くなるなら良いけど、仕事が時間内で完結していないと言ってしまえばそれまで。

まあ考えすぎる意味もなくて、もっと相手のことを知りたいって思うのだとしたら、その思いに正直にご飯でも飲みでも、近場の公園を散歩でも、一緒にしたらいいんじゃねえか?と思ってる。

仕事とプライベートのバランス、境界線、優先度の付け方、悩むようなことじゃないけれど、難しいと思う。どれも妥協はしたくないけれど、1日は24時間で、そのうち最近は8時間寝ていて、8時間は仕事のことを考えながらオフィスや自宅のPCの前から離れられないわけで。あー、もっと自由を手にするためにも、実力をつけねばならぬ。くそ。

オンありきのオフ

仕事を頑張るからこそオフの日が楽しくなる。義務教育のときってこんな感覚があった。授業はどんなにつまんなくても出なくちゃ、親が教育を受けさせる義務を全う出来ない。自分の自由だけを主張は出来なかった。割り切って、もうとりあえず乗り切るしかなかった。

でも、大学生になってからは、とんでもなく自由な生活を手にしてしまった。そことの振れ幅が原因で9:00-18:00がとってもしんどいんだと思う。

大学のときは、レポートさえ書いていれば、どこで何をやっていようが俺の勝手だった。歩きながらとか、川に足をつけながらとか、ご飯を食べながらとか、「やらなきゃならないこと」を自分の好きなペースとタイミングで進めていた。

仕事ってなるとやっぱり途中でチャリに乗ったり、友達とコーヒー飲みに行ったりは出来ない。できるのかも知れないけど、組織で働いているからには、秩序を乱してしまう感じがする。だから自粛してるんだけど、本当は、キリが良いところまでやって、2時間後また戻って来るとかをやりたい。

そういう願望が強いからこそストレスを感じてしまうんだけれど、学生の頃のあの割り切ってやっていたのを思い出したい。もうしょうがないもんはしょうがない。イライラしても、なんでこうなんだよとか思ってもどうにもならない。だから、そこに対して自分の怒りエネルギーすら溶かすのをやめたい。

ということで、平日どれだけ天気が良くてもお外に行けないのは腹立たしいにしても、その分休日や業後の時間の開放感は格別だ。それを喜びとして、これからも耐えていく。(あえて自分が感じている通り、耐えるという言葉を選んだ笑)

ストレス・コーピング(どうストレスも対処するか的な)って言葉があるけど、やっぱり捉え方、意味付けでどうとでもなるとは思っている。あまりにも現状が理不尽だったら、我慢しきれないし、捉え方をいくら変えても、無理なんだと思うけど、そこまで現状は酷くない。だから、余計なストレスに意識を向けすぎず、いい感じでやっていきたいナ!(雑)

さいごに

今回も気づけば8000文字。昨日の朝と夜ちょっと書いていて、まだなんか吐き出し足りない気がして今朝もちょっと書いていた。仕事でパソコンとにらめっこを長時間強いられるのは大嫌いだけど、やっぱりパソコンは書くことという趣味をするときのお友達だ。手書きも好きなんだけど、色々湧き出てくることの物量を考えると、これくらいのペースでサクサク書けないと、スッキリしない。一度この楽ちんに文字を書けちゃうPCの楽さに味をしめてしまったら、戻れない。期待値とか、水準が上がってしまうと下げられない。贅沢な悩みや。あ、何の話だったっけ、そうだ、「さいごに」だ。

※読んでくれた同期がいたら、感想とか、こっちはこんな感じだぜとか色々教えてね。プロジェクトごとに全然環境が違うの、本当におもろい部分だと思うからみんなの話聞きたいんだけど、出張とか、色々あってバタバタで会えてないないからテキストでもなんでも待ってるよ✌

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

今回はこのシリーズの続きなので、楽しんでいただけたらぜひこちらも👇


僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。