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誰でも成功できるという言葉に含まれている才能と努力は必須という前提条件

今日は早めの投稿です。
人が語る「誰でも成功できる」という言葉の裏に
語られない言葉があるという話。

みんな努力しているんですよね。
一見して、大成功したような人たちも
人に隠れて努力や精進することを怠らなかった人たち。

そんな成功者が、往々にして語る
「だいじょうぶ、誰でも成功できるから」
という言葉の裏に、語られていない言葉があるのです。

それが、必死で頑張る努力と
その努力を開花させられる、才能が欠かせない
という誰でも成功できる、の前提条件。

これに、運という味方がついて
一気に、あるいは徐々に、または大器晩成型で
成功という果実を手に入れるわけです。

凡人が、もちろん私たちのような凡人が
成功者の語る「誰でも」に惑わされてはいけない。

「誰でも」の前には、「私が頑張ったように」とか
「同じかそれ以上の努力をすれば」とか
「私と同じような才能があれば」という言葉が隠されている。

そのことを忘れてはいけない。

なのに、凡人はそのことに思い至らず
「誰でも」の言葉をそのまま真に受けて
自分も同じように成功できるのだと、勘違いしてしまう。

成功者にとっても、通りすぎていった苦労は
思い出すにしろ、さほど辛くて苦いものではないだろう。

だって、その成果を、報酬として
受け取っているから、苦労自体は嫌な思い出じゃなく
成功の過程で避けられない試練としか映らない。

同じような苦労をするにしても
試練と受け止められるか、ただ単に
嫌な避けたい苦労と受け止めるかの違いがあるのだろう。

凡人には、凡人なりの成功があると思う。
身の丈に合った、成功を探せばいいと思う。

それに、成功の定義は、人それぞれで異なるはず。

自分が主体的に「自分の成功」を定義すれば
それを成し遂げたときが「自分の成功」になるのだから。

自分の成功を探し出さずに
他人の成功を羨み、真似ようとする愚かさ。

他人の成功の定義が、自分の成功の定義と
同じであるはず、という思い込みの危うさに
気づかないとね。

ちゃんと目を開けてみれば
そこらへんに、自分の成功の種が
幸福の種が、転がっているものです。

成功することと幸福であることは
同義語ではない。

他人からみた、成功者を目指すのか
自分で実感する、幸福者を目指すのか
それが、問題なのだ。

他人の成功を羨む前に
自分の幸福に、気がつけ!

そんなことを思う、年末のひととき。🤗


ってことで、今回は
誰でも成功できるという言葉に含まれている才能と努力は必須という前提条件」という誰でも成功できるという言葉に隠されている真意の話。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

向ける目を  自分に注ぎ  のほほんと


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