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能登は優しや土までも語る苦難も忘れずに願う心に忍び寄る優しさ忘れ他人事

好きなお笑い芸人、サンドウィッチマン。😄

その伊達みきおさんと富澤たけしさんのお二人が
東日本大震災で被災地のために活動していたことを
多くの人が知っていると思います。

能登地方を襲った大地震の報道の中で
被災地を語るときに頻繁に話題になるのが
「能登はやさしや土までも」というフレーズ。

この「能登はやさしや土までも」という言葉の
出典・原典を調べてみようと思い立って
検索する中で出会ったのが、富澤たけしさんの記事。

富澤たけしさんがアメーバブログで
『能登は優しや土までも』といタイトルの
こんな記事を投稿しておられました。


富澤たけしさんもタイトルで使った、この
「能登はやさしや土までも」という言葉は
誰が、いつから、言い出した言葉なのか。

検索すると、すぐにわかりました。

「能登はやさしや土までも」という言葉は
能登の風土と人情を表した言葉でした。

能登は自然が厳しく、人々は助け合って
暮らしてきたという歴史があります。

そのために、能登に住む人びとは純朴で優しく
人はもちろん、土にも優しいと言われています。

この言葉の初出は、元禄9年(1696年)に
能登を旅した加賀藩士の浅加久敬あさかひさたかの記録
『三日月の日記』にあるようですね。

浅加久敬あさかひさたかは加賀金沢藩において
近習番きんじゅうばん組外番頭くみはずばんとうをつとめた武士で
国史・国文に精通した国学者でもあったようです。

その浅加久敬あさかひさたかが、能登の旅の山道で
馬子まごが歌った馬子唄に胸に響くものが
あったのではないでしょうか。

その馬子唄の歌詞の一節の
「能登はやさしや土までも」という言葉を
『三日月の日記』にしるしているのです。

その後、この「能登はやさしや土までも」の言葉は
歴史家や文人によって引用されるようになり
いつしか能登の代名詞となったわけですね。

『能登はやさしや土までも』

やさしい土地や優しい人の思いがこもった能登。
厳しい自然の中で助け合ってきたからこそ
生まれたやさしさ。

私たちは、このやさしさを
忘れてはいけないと思う。

『能登は優しや土までも
語る苦難も忘れずに、願う心に忍び寄る
優しさ忘れ他人事』

なんてことにならぬよう
被災地のことを、いつも胸に刻んでおこう
そう誓ったのでした。

ふるさとが能登地方ではない人も
もし自分のふるさとが被災したらと考えて
明日は我が身の自分ごとと捉えたいもの。

あ、ふるさと納税やってる人は
能登地方に協力してくださいね。


ってことで、今回は
能登は優しや土までも語る苦難も忘れずに願う心に忍び寄る優しさ忘れ他人事」という能登地方の皆さんを思いながら創った七五調のタイトル。🤔
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

きびしさが  慈愛はぐくみ  のほほんと

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