見出し画像

石清水八幡宮の別宮「魚吹八幡神社」網干津にあるので[津の宮]【播磨シリーズ】

網干津にあるので、津の宮と呼ばれ、平安時代には「石清水八幡宮の別宮」になったとさ。播州最大級といわれる秋季例祭「ちょうちん祭り」で有名で公式Youtubeで確認できる。

  本宮・石清水八幡宮をどうぞ!

変更履歴
2024/03/01 初版


▼HP

▼アクセス

兵庫県姫路市網干区宮内193

▼祭神・本尊と脇時

品陀和氣命(ホンダワケノミコト)
息長足比賣命(オキナガタラシヒメノミコト)
玉依比賣命(タマヨリヒメノミコト)

▼見どころ

  • 魚吹(うすき)の由来について、『播磨国風土記』には宇須伎津とし、海べりの砂堆積地であった

  • 202年、神功皇后の時代に大陸交渉でここに泊まり、神武天皇の母・タマヨリヒメを祀った

  • 725年、播磨大掾吉備朝距魚養が神域を営繕

  • 1156年から1158年、石清水八幡宮の別宮となる

  • 魚吹八幡神社は、地元で津の宮とも呼ばれ親しまれている

  • 社伝によると、神功皇后が魚吹津に泊まり一社を造営し、海神の玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)を祀り敷島宮としたという

  • 現在は干拓が進み海岸線は当時のはるか沖合に移動しているが、平安時代まではこの神社の辺りまでが海岸付近であった

  • 1576年、兵火で全焼

  • 1831年、再建

  • 秋の祭が特に有名で、十数基の檀尻が多くの見物人の中を宮入する姿は勇壮である。

 境内に車を置いて、一度楼門外に出た。

→境外摂社・末社

 境内外に神社があった。彫が素晴らしい!

→楼門

→拝殿・本殿

 楼門をくぐると立派な拝殿だな~と思うのだが、近くに行くとよりわかる立派な拝殿です。

 八幡宮といえば本殿左にタケノウチノスクネが多い。

神社を時計回りしますが、先に本殿の写真。

本殿裏
本殿裏
本殿裏

→武内神社

 御祭神は「武内宿禰(タケシノウチノスクネ)」ですね。由緒ある八幡宮の本殿左手にはタケノウチノスクネがいます!

→招魂社

→方丈池

→松尾神社

 祭神は「大山昨命(オオヤマグイノミコト)」、「木花開耶比賣命(コノハナサクヤヒメノミコト)」である。オオヤマグイは、大年神の子で比叡山山麓の日吉大社(私のNOTE)の神だとされている。
 コノハナサクヤヒメは大山祇神の子で、後ほど出てくるニニギの妻である。

→敷島神社

 左に「別雷神(ワケイカズチノカミ)」で、真ん中に「国常立尊(クニノトコタチノミコト)」で、右に「イザナギ」と「イザナミ」である。

 別雷神は大山昨命(オオヤマグイノミコト)の子にして、山の神・川の神・雷の神であり、農耕守護である。

→三神社

祭神は左から「崇神天皇」「瓊瓊杵命(ニニギノミコト)」「神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)」こと神武天皇である。

→金毘羅神社

 オオクニヌシの別名「大巳貴神(オオナムチノカミ)」ですね。神仏習合で大黒天と同一になったとさ。

→そのほか

鐘つき堂!って寺があったのでしょう
江戸力持 三ノ宮卯之助像と力石
江戸力持 三ノ宮卯之助像と力石

→厳島神社

 祭神は市寸嶋比賣命(イチキシマヒメノミコト)で、弁財天だったのでしょうね。

▼メディア情報

姫路教育委員会の資料です。

https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/cmsfiles/contents/0000002/2172/26.pdf

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

▼セットで行くところ


▼仏像展


#石清水八幡宮の別宮
#魚吹八幡神社
#津の宮
#播磨シリーズ
#播州最大級
#ちょうちん祭り
#兵庫
#姫路市
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#旅行記
#やんまあ神社仏閣
#旅のフォトアルバム
#わたしの旅行記
#一度は行きたいあの場所
#人文学
#神仏習合
#兵庫
#播磨シリーズ
#姫路シリーズ
#八幡
#旅行・おでかけ
#ホンダワケ
#オキナガタラシヒメ
#タマヨリヒメ
#播磨国風土記
#宇須伎津
#神功皇后
#武内神社
#招魂社
#松尾神社
#大山昨
#オオヤマグイ
#コノハナサクヤヒメ
#敷島神社
#別雷神
#国常立
#クニノトコタチ
#イザナギ
#イザナミ
#崇神天皇
#ニニギ
#イワレヒコ
#オオナムチ
#厳島神社

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?