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京都桜×紅葉マイナースポット「常照皇寺」でも知られてきたかも正式には「万寿常照皇寺」【京都京北シリーズ】【京都高雄シリーズ】

光厳天皇が建てた臨済宗の禅寺で、南北朝時代に開山し歴代天皇の帰依を得た皇室ゆかりの寺。「じょうしょうこうじ」と読み、天然記念物の「九重桜」が有名だが、大きな桜がほかに2本あり、桜だけでなく紅葉も見事な名刹です。
 あと、南北朝時代の光厳法皇が納豆を食べ、村人に広まったという納豆発祥の伝説が伝わっている。「よもぎ納豆餅」を食してみては?

変更履歴
2024/03/21 初版


▼HP

▼アクセス

京都府京都市右京区京北井戸町丸山14-6

▼祭神・本尊と脇時▼見どころ

 常照皇寺は光厳天皇が1362年に創建した禅宗の寺。正式名称は「大雄名山 万寿常照皇寺(だいおうめいざん まんじゅじょうしょうこうじ)」で、開山は南北朝時代の北朝の初代天皇として知られる光厳天皇。

 2023年春は行くのが遅かったようですね・・・。

→参道

 京都に国指定の天然記念物は少なく、この寺の九重桜、深泥池の生物群、清滝川のゲンジボタル、大田神社(私のNOTE)のカキツバタ、善峯寺(私のNOTE)の遊龍松となっている。

→境内

  常照皇寺の「御車返しの桜」 と勅使門。

  • 1362年、光厳法皇が、廃寺となっていた成就寺(じょうじゅじ)を改創

  • 臨済宗天龍寺派の禅寺

  • 正式名称は「大雄名山万寿常照皇寺」

  • その後、後花園天皇が多くの香華料を献納するなど、歴代天皇や檀家により支えられる

  • 周囲の自然があまりにも美しいので、天皇は滝を白玉泉、山自体を万樹林などと名付け、歴史の動乱期をここに隠れ住んでいたそう

  • 1579年、明智光秀の山国全焼戦により焼失

  • 江戸時代、後水尾天皇や徳川秀忠の援助で再建

  • 本尊は釈迦如来@重文

  • 桜の名所として有名で、秋には山々が美しい紅葉も素晴らしい

光厳天皇
 後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の失脚により、鎌倉幕府によって擁立されるが、その後、配流先の隠岐島を脱出した後醍醐天皇が討幕の兵を挙げると、討幕方に与した足利尊氏の軍勢によって京都の六波羅探題が攻め滅ぼされ、光厳天皇は後伏見上皇(第93代天皇)・花園上皇(第95代天皇)らとともに北条仲時に連れられ、東国に逃れるべく京を落ちる。しかし、ほどなく近江番場宿で捕らえられ、在位僅か1年8ヶ月で廃位される。
 その後、復権した後醍醐天皇によって、「朕の皇太子の地位を退き、皇位には就かなかったが、特に上皇の待遇を与える」として、光厳天皇の即位そのものを否定される。ところが、後醍醐天皇の建武の新政はわずか2年で終了。再び後醍醐天皇が京を追われて吉野朝を起こすと、光厳上皇は足利幕府の庇護の下、北朝で院政を行うのだった。
 しかし、その後、南朝軍が一時京を奪還したことにより、弟・光明天皇(北朝第2代天皇)、子・崇光天皇(北朝第3代天皇)と共に捕えられ、南朝の本拠地だった大和賀名生に幽囚される。幽囚先で光厳天皇は失意のうちに出家し、この山奥の寺を隠棲の場と定め、1364年7月7日、この地で崩御する。

→稲荷社

→有料:本堂、庭園へ

→御車返しの桜

 名前の由来は後水尾天皇が御所車を引き返させて2度見したことからのよう。

ちょいとお堂の向こう側を1枚頂く。堂内はこの後で。

 後水尾天皇が2度見したのは下の写真2枚の手前にある古い木です。今の奇麗な桜は二代目です。

1362年、光厳天皇は人生の最後に落ち着いた場所がこの寺なんだそうな。その後、明智光秀が周山城を造営するのに、この寺の建材を奪ったよう。江戸時代に後水尾天皇が復興させたよう。

→九重桜、左近の桜

 「九重桜」は光厳天皇の弟・光明天皇が手植えした桜と伝わるそうな。「左近の桜」は御所から株分けしたといわれる。

 「御車返しの桜」、「九重桜」、京都御所から株分けしたといわれる「左近の桜」はそれぞれ満開時期が違うので、3本同時の満開を見ることは出来ないようですね・・。

→庭園


→外からの「怡雲庵(開山堂)」

 内陣拝観は後ほど。

→書院・方丈


 方丈から庭園の風景。2023年に近くにいた二人が、あれっ人が多いな~前は貸し切りだったのに~と言っていましたね。

 天井近くに仏壇がありますね。本尊の三尺釈迦如来立像ですかね。

→「怡雲庵(開山堂)」

 中に入ると、歴代天皇等のお位牌があり、上を見ると「十六羅漢像」が安置されている。

 十六羅漢像下には「阿弥陀如来三尊」で脇侍は大和坐りしている。

 阿弥陀三尊とは別に天井に三尊が安置されている。この中尊は見下ろしており、最初から高い位置に安置する設計をされていることがわかる。

 奥には「光厳天皇坐像」が安置されている。脇侍には側近の「順覚」などの僧像だそうな。順覚は、光厳天皇が諸国行脚の旅に出たとき、ただひとりお供した僧。

 境外には、光厳天皇の御陵「山国御陵」もあるようですね。後花園天皇も眠っているそうですが、宮内庁のHPで紹介されている歴代天皇陵には記載されていないようです。理由は、南朝が正統とされているからだとか。つまり、歴史は勝者のものということですね。北朝5代天皇は歴代天皇からは除外されている。

 詳細は次の記事をどうぞ!

https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DH/0032/DH00320R052.pdf

→「怡雲庵(開山堂)」から「方丈」へ

 周辺の自然を庭に見立て、寺の裏山を猿帰嶂、滝を白玉泉、山全体を万樹林と名付けたそうな。秋の主役は次の写真なんでしょうね。回廊から眺める庭園が良さげ。

 方丈から桜側の庭への写真。

→晴れたので庭園へ

→「方丈」と「御車返しの桜」

▼納豆もち・そば 京蕪庵

 予約のみだった・・。


▼旅行記、▼セットで行くところ

2023年京都の桜🌸岡崎周辺🌸京北パワスポ「賀茂神社/常照皇寺など」美味◆京都左京⑮上京⑦北⑦京北①◆|やんまあ@旅行記 (note.com)

▼冬(他力本願)





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