山頂!天空の神仏習合「餘慶寺/豊原北島神社」神護寺かと思うぐらい【岡山シリーズ】
上寺山餘慶寺と豊原北島神社は今でも並んでいるので、本来の日本の神社仏閣の姿(神仏習合)を残していると言っても良いかと。「豊原北島神社」は「餘慶寺」の神宮寺のようですね。
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2024/07/25 初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
西大寺観音院から吉井川の東に見える「上寺山」に鎮座する神社
この神社仏閣の歴史や宝物は、こちらの瀬戸内市のPDFを参照ください。
神仏習合の形態を今に留めている
634年頃は、磐座信仰が行われていたとの記録がある
お正月は、寺と神社の二つを参り開運祈願のよう
▽豊原北島神社:瀬戸内市邑久町北島1186
634年、豊前国宇佐より勧請し創建
磐座信仰が行われていたとの記録があり、その名残もある
鎮座石の上にわらをとき敷いて奉祀したことから「ときわら」が荘名の「とよはら」となったとか
北島は往古この地が島であったことを示し、豊原荘北島に座す神社で延喜式外の古社
上豊原北嶋明神・上八幡大菩薩・正八幡宮ともいわれている
平安時代、近衛天皇の勅願所・白河・後鳥羽院領の鎮守神でもあった
平安時代末、山続きの今木城では源平合戦が行われた
源氏の武将・佐々木盛綱は児島藤戸合戦の折、戦勝を祈願して甲胃・武具を奉納した
神社を中心に両側に寺坊の建ち並ぶ形は、平安時代の神仏習合(本地垂迹)の形をとどめている
元々は、北島明神・豊原北島神・上八幡宮菩薩・正八幡宮などと呼ばれていた
1870年、豊原北島神社と改号した
祭神は「応神天皇」と「神功皇后」と「比メ大神」なので、元々は八幡系神社。御神体が磐座になっており、境内左側に「力石」がある。山の上に鎮座し、餘慶寺と並んでいることから、まさしく神仏習合のまま!!
→力石
力石が神社の鳥居を過ぎてすぐのところにあった。1858年に、現在の岡山市西大寺門前に住んだ寺元多三郎氏が、自宅から高下駄を履いて、片手に傘をさしながら担ぎあげたものであるという。多三郎は、「二つ石」の四股名で活躍した力士だったという。
→拝殿
→稲荷神社
京都・伏見稲荷大社(私のNOTE)から勧請のようですね。
→拝殿・本殿
本殿は、1919年に再建されたもの。
→東遥拝所、氣比神社
氣比神社は福井・氣比神宮(私のNOTE)から勧請かな?ここで氣比にあるとは思わなかったのだが。天神社は北野天満宮(私のNOTE)か太宰府天満宮(私のNOTE)から勧請だろうか?
▽上寺山餘慶寺
昔は大寺だったことがわかる寺!!薬師堂・本堂・三重塔など揃っている。重文の仏像も揃っており、平安時代の仏像も多いことから、見どころが多い寺であることに間違いはない。
→歴史など
本尊「千手観音」と平安時代作「薬師如来像」は秘仏になっている。薬師如来は4月1日から8日の「桜まつり」と「秋の大祭」に見仏可能。その他として、収蔵庫に「薬師如来像@重文」と「聖観音像@重文」、「十一面観音像@重文」が安置されている。共に平安時代の仏像!!
749年、報恩大師によって開山
日待山日輪寺と称し、備前四十八カ寺のひとつとして栄えた
平安時代は慈覚大師が再興し「本覚寺」と改めた
その後、近衛天皇の勅願所となり上寺山餘慶寺と改めた
赤松則宗の信仰を得て、さらには宇喜多氏、池田藩主の尊崇と保護を得た
山内には観音堂、薬師堂、三重塔、地蔵堂、鐘楼、日吉社、愛宕社、開山堂などの諸堂が伽藍を連ねる
本堂は観音堂で、千手観音は古くより「東向き観音」と名高い
かつては7院13坊といわれた塔頭は、恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院の六院が現存している
これらの塔頭の多さは中国地方でもあまり他に例を見ない
公式HP:https://yokeiji.or.jp/
公式youtube:https://www.youtube.com/@user-qh7pw8cx2u
→薬師堂
神社本殿から寺に行くと、薬師堂がある。
薬師堂の本尊「薬師如来坐像」は法隆寺(私のNOTE)の西側高台にあるお堂の薬師如来を思い出させる。脇侍の日光・月光菩薩は斜め後ろの須弥壇に安置されており、時代は新しく見えた。その周りには十二神将が安置されている。
→薬師堂からの寺の全体
右側には「豊原北島神社」で左側には「日吉神社」と「愛宕神社」が鎮座している。高台から街の眺めが素晴らしく、境内のバランスもよい。私たち夫婦独占できて幸せだ!!と寺の掃除をする人発見!!
→薬師堂横「愛宕社」「日吉社」
山にある神社仏閣は落雷で焼失というのが良くあるようだ。なので、火の神・カグツチを丁重に祀っているのだろう。ただ、面白いのは寺なので「勝軍地蔵」を安置しているようだ。
日吉神社は比叡山延暦寺(私のNOTE)と鎮守社である日吉大社(私のNOTE)と同じ位置づけで鎮座させたよう。
→八角堂、十三仏堂
→三重塔
→本堂「観音堂@重文」
札によると「永禄13年(1570)に建立、正徳4年(1714)に再建されたもので、正面の向唐破風などは江戸後期に付け加えられたものである。大棟が短く隅棟が長い特殊な構造となっているが、それぞれの棟線が美しく、寺院本堂としては、まれに見る姿になっている。」とのこと。
おおお~良い千手観音ですね。左右に錫杖を持っている。
→地蔵堂
→鐘楼
→帰り
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
以降は次を参照
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