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便所というワンルームの孤独な宇宙で、思わずそう、声を漏らした

ぼんやりとしていたら既に棺桶の中だったという事象が割とカジュアルに起こる世界線で生きていたことに気がつき、今年はそんなはずじゃなかった年間計画によれば今頃は隣にソウルメイトを携えワイハーの海に溺れている予定だった何をしているんだ俺は...と2月にしてようやくマナコが開いてきたので日記でも、書こうと思う。

その昔、妹Bが初めて就職した時のことであった。まだ入社して間もない彼女には安心して昼ごはんを食べる場所がなかったという。この時点で妹を無限に愛する姉としては会社ごとダイナマイトで吹っ飛ばしたいところだったが、大事な妹を就職そうそう無職にするわけにもいかず、その話を聞いては胸を痛め、藁人形と五寸釘の準備は出来ているから心配するな、なんなら人間魚雷にでも人間爆竹にでもなるから、大丈夫だからねと彼女を抱きしめ、『#(ハッシュタグ)重くてウザい姉』として更なるプレッシャーを与えていた。

妹B「大丈夫だよ!ご飯はトイレで食べてるから!」
や「何言うてんの?!あそこはご飯食べる場所ちゃうわ!食べたご飯を(下から)出す場所やで?!Bよ!そんな辛い思いまでして勤める場所なん?!大事なあんたが便所メシしてるやなんて...」
B「仕方ないじゃん。自分を歓迎してくれない控え室で食べてもご飯美味しくないよ、気も休まらないし」
や「なんぼいうてもあんまりやわ!せめて公園とかは?あかんの?トイレやないと、便所やないとあかん理由ある?!」
B「だって個室だし冷暖房完備だし綺麗だもん。普通に住めるし座れるし寝れるし...風呂なしアパートみたいなもんじゃん?」

言われてみればたしかにそうだ。別にトイレは汚い場所ではない。
当時妹Bの勤めていたビルは築浅で立派な建物、トイレも掃除の行き届いた、“ご飯落としても3秒ルールどころか1分は余裕でルールできる...”と思わせるレベルの清潔さであった。
そりゃあ息苦しい控え室より便所を選ぶのが精神衛生上とてもナチュラルなチョイスであろう。

なぜそんな昔のことを思い出したのかというと、言わずもがな最近の俺のモーニングルーティンも便所メシから始まるからだ。

起床して朝食を作り、かつ撮影をしてIG(インスタグラム)に載せメイクをして着替えてさらに撮影、またしてもIGに投稿してから出社する独女がこの世には一定数存在するらしいが、それは地球の裏側の秘境の話だと思ってやまない。AM6:30に起床してAM7:00に出発する俺にそんなことをする時間も余裕も意味もない。かといって30分早く起きるという思考は来世に預けているので浮かんでこない設定だ。

そうなると会社についてから朝食、となるわけだが、デスクでそれをするのもバツが悪い。ならばと試しに便所で朝食をとってみたらこれが大当たりであった。便所は静かだし綺麗だし落ち着くし、便座は暖かいしすぐ用が足せるし目を閉じて二度寝をしても誰にも咎められない。控えめに言ってもヘブン!俺は歓喜した。その日からすっかりルーティンだ。

俺はきまってAM8:15に個室に入るが、清掃のおばちゃんが来てくれる時間とちょうどバッティングする。しかも全個室を清掃し終える時間がぴったりAM8:15。ゆえに俺はその日一番綺麗な状態の個室で便所メシれる、というわけだ。おばちゃんと便所には感謝しかない。最近では毎朝コーヒーとプロテインバーを持って入る俺に「特等席...用意しといたよ!」と軽快な声かけをしてくれるおばちゃんとの距離の縮まりに、この勢いだと来週キスしかねない...とドギマギしている次第だ。

あんなに妹Bの便所メシに涙していたのに、その快適さに涙する自分が未来にいようとは『人生とは、かくもおもしろきもの也」と便と一緒に一句ひねりたくなる。

便所メシをしながら用を足すことも当然あって、今では何の感慨もなくこなしていることではあるが、ごくたまに『映画:ムカデ人間』が想起され、えずくこともなくはない事実だ。

生きている時は是が非でも目に入れたい綺麗な人も、死んだ途端に見えぬよう埋葬すべきと感じてしまうのはなぜだろう。頭皮についている時は美しいのに、床に落ちた途端不潔に感じる髪の毛の謎はどうしたら解けるのだろう。食べる時は美味しそうなのに、消化された途端汚物と見做され水に流されてしまうのはどうしてか。

ぼんやりと、そんなどうでもいいことをぼんやりと考えていたらあっという間に2月になっていた。

マナコを開いたついでにマ○コを温めようと、昨晩買った温熱パットを股間に充てがう。

「よ...よきかなぁ....(昇天)」

便所というワンルームの孤独な宇宙で、思わずそう、声を漏らした。

(※生まれてから死ぬまで、女の俺はこの形状のパットから逃れられない運命なのだと痛感した)

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