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【書籍】 嫌われる勇気 看護学との比較

どうも、やなぎです。
今回は私の好きな本である「嫌われる勇気」を、看護師の視点から解説したいと思います。
完全にブームは過ぎ去っていますが、気ままに書かせてもらいます。

嫌われる勇気は大ベストセラーの本であり、読んだことがある人も多いと思います。
本書は非常に読みやすくなっている本ではありますが、それでも心理学を説明する本であるため難解な点もあります。
しかし、看護学とは矛盾するアドラーの教えもあります。
・トラウマを否定するアドラーとPTSD(心的外傷後ストレス障害)という疾患
・承認欲求の否定とマズローの欲求など

この記事ではアドラーと医療での違いを明確にしつつ、看護師として私なりの解説をさせていただこうかと思います。
なかなかの文量になってしまいましたが、ご興味ある方の暇つぶしになれば光栄です。

それでは、いってみましょーーー!!!


嫌われる勇気 2つのキーワード

本書は私の愛読書です。
素晴らしい教えが数多くあるため本当なら全てご紹介したいのですが、そうなるとあまりに多く論文のようになってしまうため、ここでは2つのキーワードに絞りました。

1.原因論と目的論 (追加でPTSDについて)
2.承認欲求



1.原因論と目的論

人間の行動理由として、この本では二つの考え方が紹介されています。
原因論と目的論ですが前者はフロイト、後者はアドラーが提唱しています。
ちなみにフロイトは精神科医・心理学者であり、看護学でも学ぶ著名なお方です。

早速ですが、この二つの考え方を比較します。
例として、虐待を受けて育った子は、将来自身も虐待をしてしまうという事象をあげてみましょう。
これは統計学上でも実際に確認されていることであり、看護だけでなく様々な分野において研究されていることでもあります。

原因論の場合、
上記の事象に関して虐待を受けたという過去が原因となり、本人も虐待をしてしまう
と考えます。

そして、看護学の話をしますが、看護ではエリクソンの発達理論というものを学びます。
これは一生を8つの時期(乳児期、学童期、老年期など)に分けて、それぞれの時期には越えるべき課題があり、達成することで人間として成長できるという理論です。
たとえば、乳児期では泣くことで家族の注目を集め、自らの世話をしてもらいます。この「世話をしてもらい安心する」という課題を達成することで基本的信頼を得て、その後の情緒獲得のための基礎が出来あがるとされています。
逆に、この時期に虐待などを受けて課題を達成できなかった子は基本的不信感を得てしまい、その後の人格形成に問題を来しやすいとされます。

原因論とエリクソンの発達理論の共通点として、どちらも“過去の原因”が現在の行動に影響するということがわかります。


しかし、これに真っ向から反対するのがアドラーの目的論です。
アドラーは虐待してしまうのは過去が原因だからではなく、現在に“虐待する目的”があるからだと考えます。
たとえば、子育てが好きじゃない思いや、子育てより遊びに行きたいという思い、言うことを聞かない子を服従させたいなど。これは本人も自覚できていない場合があるから厄介です。
アドラーは、本来は“虐待をする目的”があるのに、本人さえ気づかないうちに虐待を受けて育ったからだと、実際にはない因果関係を作ってしまうことがよくあるとしています。

なぜアドラーが目的論を考えたのかというと、虐待を連鎖させてしまう人は確かにいるが全員ではないというところに着目しました。
原因論が絶対であるならば、虐待の過去を背負った人間は全て虐待するはずですが実際はそうではない。

また、アドラーは原因論を認めてしまうと人間が変われなくなってしまうことを危惧します。
原因にすがるということはそれを隠れ蓑にして、変化しようとしない消極的な行為であると厳しく非難するのです。

アドラーは目的論を提唱することによって、過去に執着せず目的を変化させることができれば人間はいつでも変わることができる、幸せになれると説いているのです。

アドラーはPTSD(トラウマ)をも真っ向から否定します。

一般的に私たちが言うトラウマは、医療ではPTSD【心的外傷後ストレス障害】に含まれます。
PTSDとは大きなストレス(いじめ、天災など)を受けた後にその当時のことをフラッシュバックするようになり、不眠や抑うつ、過覚醒などの不調を来すことを指す、歴とした疾患です。
疾患を否定するなんて、アドラーさん中々に破天荒ですね。

なぜ否定するのかというと理由は虐待の連鎖と同じ。
全員がPTSDを発症しているわけではないからです。

PTSDを認めてしまうと、「私は過去に辛いことがあって…」と使い勝手の良い口実を与えてしまうことになるのです。
過去にどのような意味合いをつけるのかは自身の選択であり、だからこそ意味合いによっては誰しも前進することができる。
本書には、「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」という言葉があります。

人生とは誰かに決められるものではなく、また過去によって決まるものでもない。自らが選択するものであり、自分の人生は自分で歩むことができる。
そのためには過去に縛られない目的論で生きよう、とアドラーは説きます。


看護学はどちらかというと原因論で学びます。
多くの看護師さんは、その人の言動の裏側にはどんな背景・気持ちがあるのか考えようと先生や先輩に言われたことがありますよね。
私も救急外来で働いているときに様々な方と出会いました。
中にはその境遇に同情することもありましたが、同情するだけでは何も変わらないのが事実です。
患者が前に進めるように援助したいのであれば、目的論をもとにその方を勇気づけることが必要なんだと説くアドラーの考え方には一理あります。

しかし、だからといって患者にいきなり、
「過去を言い訳にして甘えるな!未来を変えるために自ら行動しろ!!」
とは言えないですよね笑。

傷ついている人に現実を直視させることは難しいです。

私は本書を読んでから、まず原因論から患者の精神的ケアをはじめ、本人が立ち直る時間をつくる。本人が前を向く体力を整えたら目的論へ移行させることが良いのかなと思っています。
はじめから目的論を説くのは荒治療すぎますが、いつまでも原因論に縛られていると前進がありません。
医療って相反するものを両立することが結構多々あって、そこが難しいところですよね。

あなたは目的論と原因論、どちらの考え方がより良いと考えましたか?


承認欲求

看護学では承認欲求に関して、マズローの欲求というもの学びます。
人間には欲求が5つあり、それらを順番に満たすことで自己実現できるという理論です。

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看護roo!さんより

人間はまず生理的欲求を満たそうとします。これには生命活動のための食事が該当します。それが満たされると次は安全の欲求を満たすため、住居や秩序を求めます。これまた満たされると次は社会集団に帰属することを求め、続けて社会や個人に承認されることを求め、最終的に自己実現の欲求に行き着くということです。

マズローさんは承認欲求とは、自己実現するうえで人間にとって欠かせないものとしました。
確かに他社に認められるというのはここに居てもいいんだという安心感を生み、自己肯定感を支えてくれますよね。


ただ、ここでももちろん、アドラーは承認欲求を否定します。

承認欲求などゴミ箱に捨ててしまえと言わんばかりに、完膚なきまでに否定します。
理由は単純明快。
誰かの承認欲求を満たそうとするのは自分の人生を生きていないことであり、それは幸せとは最も程遠いからです。

誰にも嫌われないよう八方美人である人は一見、周りとの協調性があるように受け取れます。
しかしアドラーは、誰にも嫌われたくないという勝手な願いを他者に押し付ける行為だと言うのです。

社会人として建設的な人間関係を築くことは必要であるが、行動の中に好かれたい、嫌われたくないといった気持ちを混合してはいけない。
自分のできる範囲のことをしたら、相手がどう考えるかは相手の課題であり、そこには立ち入らない。

これがアドラーで有名な「課題の分離」ですね。

看護師としての私の持論を言うのであれば、やはり最低限の承認欲求は必要だと思います。しかし、承認してもらうことが目的になってはいけなくて、自分の仕事に対する信用から生まれた副産物として他者の承認があるというのがベストなのかなと考えます。


まとめ

アドラー心理学と看護学の比較をしてみました。
そして、それぞれの違いを明確にしつつ、看護師の私はどう考えるのかをまとめさせていただきました。
そして、この記事をまとめていく中で、看護とアドラーに共通している点も見つけられました。

それは、
どちらも「正解がない」ということです。

看護には「看護観」という言葉があります。
教科書や検索ページによっても定義が微妙に変わってしまいますが、「私にとって看護とはこういうものです」という、一生の中でも変わり続ける定義であり、価値観でもあります。
正解がなく、常に変わり続けるものが看護観です。

そして、アドラー心理学に「正解がない」というのはどういったことなのか。
アドラーさんは自分の心理学が一部の人にだけ受け入れられることを望まず、すべての人のコモンセンス(常識、共通理解)となることを願ったようです。そして、アドラー心理学は完成した理論ではなく、様々な人の手によってより良いものへ更新されていくことを期待しました。

長々と話しましたが、結局のところ自分で正解を探すしかないようです。
だからこそ、アドラー心理学も看護学もより良くできるよう今だに研究がなされているわけですね。



さて、今回はこんなところで終わろうと思います。
看護学、アドラー心理学ともに様々な考え方があります。
さらに知りたくなった方はぜひ本書を読んでください。
続編となる「幸せになる勇気」もめちゃくちゃおすすめです。

ここまで読んでくださったあなたに大きな感謝を。
ありがとうございました。

ではでは、また気がむいたときに気ままな記事を書きます。
それではー-ー。

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