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もしブラック企業時代に『モモ』を読んでいたら、どうなっていたんだろう【読書感想文】

 「人生を変えた本」として紹介していいのか、今もそれはわからない。だけど少なくともこの本は、私の人生を変えなかった。それに気づくことが出来たから、やっぱり『モモ』は私の人生を変えた本だと思う。
 今回は、昔ブラック企業に勤めていた私が『モモ』を読んだ感想文。そんなお話に、お付き合いいただきたい。


ブラック企業と私

 あんな働き方、はっきり言って黒歴史だ。だけどこうして思い返す記憶があるのだから、これも人生として受け入れざるを得ない。

 舞台はコンサルティング・ファーム出身者が作ったベンチャー企業。深く考えずに新卒で入社した私は、そのブラックぶりを体感することになる。
 ブラックな要素は色々あったが、やはり突出していたのは長時間勤務。「〇〇さん、〇徹して喫煙所で泡を吹いて倒れたことあるらしい」といった話題は日常茶飯事だった。
 新卒の私も、最悪の時期は夜3時退社・朝8時出社、月残業約160時間という生活を送った。当時は、何をどうしたらいいのかわからないなりに、「仕事に殺されてたまるか」と、若さと勢いだけで乗り切った記憶がある。

元ブラック企業社員、『モモ』を読む

 そんな黒歴史の過去を乗り越えて、私は何とか生き延びた。そうして生き延びた人生で、ようやくミヒャエル・エンデ著『モモ』を手に取った。

 簡単におさらいすると、『モモ』は主人公の女の子“モモ”と“時間どろぼう”の戦いの物語だ。
 モモが戦うのは、人々が日頃“仕事のやりがい”や“人生のゆとり”、“楽しい余暇”にあてている時間を奪う、灰色の男たち、時間どろぼう。暴力的ではないのに確実に戦いが起きている、その不思議な雰囲気に心が奪われ、一気に読んでしまったことを今でも覚えている。

 そうして思った。
 もし、ブラック企業時代にこの本を読んでいたら。もし“時間どろぼう”の概念を知っていたら。自分はどうなっていたんだろうと。

誰が”時間どろぼう”か

 現代で「時間泥棒」と言われると、「漫然とした時間を経過させるなにか(例:ぼんやり情報を眺めている時間を生み出すSNS、脳死状態で作業し続けるソシャゲ)」といった印象だが、『モモ』の時間どろぼうは少し違う。
 人の人生から時間を奪う際、彼らは「無駄な時間を省いて貯蓄すれば、人生の時間が倍になる」といった内容で、言葉巧みに人を操る。要は、合理性・効率性偏重の人生を人に強いるわけだ。

 もし時間どろぼうが現代にいれば、我々が「時間泥棒」で消費する「充実した曖昧模糊とした時間」を、彼らは奪うのだろう。SNSを見る時間やソシャゲをする時間、もしかしたら、noteを開いてトップページを眺める時間や、今日は何を書こうかなとぼんやりしている時間でさえも。

 ブラック企業時代の自分は小説なんて書けなかったし、業務に必要なビジネス書ばかり読んでいた。それは、自分にとって大事な「充実した曖昧模糊とした時間」を、「働く」という選択肢で削り取っていたことに他ならない。
 当時の私は、自分が自分にとっての時間どろぼうになっているのに気づかなかった。
 気づかなかったから、がむしゃらに働き、「仕事に殺されてたまるか!」と生き延びることができた。その手が自分の首を絞めているなんて、考えてもいなかったのだ。

もしブラック企業時代に『モモ』を読んでいたら

 『モモ』の中で、モモは亀の後ろをゆっくり歩きながら、街中を歩きやがて時間どろぼうと対峙する。彼女が戦ったのは、灰色の男の見た目をした時間どろぼうだ。
 もし、あの行く末にいたのが自分と全く同じ顔をした存在だったら。それでもモモは、果敢に挑んだだろう。彼女は小さい女の子だけど、芯が通った強い子だから。
 だが、もし自分がモモと同じ立場だったら。私は多分、生きるのを諦めたと思う。

 『モモ』を読むことで、私は、当時の自分が結構ギリギリの状態だったことに気がついた。

今となっては大好きな本

 人生において『モモ』を読んだことはプラスでしかない。しかし、ブラック企業時代に『モモ』で描かれる概念を知らなくてよかった。
 私は、それまでの人生で『モモ』を読んでいなかったからこそ救われた。『モモ』を読んで最初に気づいたことがそれだ。なんだか、皮肉だけど。

 とは言え、『モモ』が時代を超えて愛される名著であることは確かだし、今では私にとって大好きな小説のひとつだ。今改めて思うのは、『モモ』を読んでよかったと思える人生の中にいられてよかったということ。全く状況はよくないけれど、それだけは確かなことだと思えてならない。

 『モモ』を読んでも、生きるのを諦めない人生。『モモ』を心の底からいい本だと思える人生。もしくは、『モモ』を読んだ記憶を辿って、「今の自分は危うい」と立ち止まれる人生。

 それってとても、幸せなことだ。



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© 2022 Aki Yamukai

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