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孤独者のたのしい晩餐

こんにちは。㈱プレステージ・ヒューマンソリューションのやまきです。

みなさんにとって、たのしい晩餐とはどのようなものでしょうか?

本日は「孤独者のたのしい晩餐」について、書いてみたいと思います。

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わたしは元来、いろいろなひとと食事を共にするのが苦手だ。

例えば、非常に気の合うひとや親戚の飲み会は好きなのだが、どうしても「誰とでも」ということは難しい。

しかも大宴会となるとなおのこと。誘われても断ることのほうが多い

大人数ともなるとお店への出入りもそれぞれに合わせながら、ぐだぐだになることも苦手で、どちらかというと速やかであることを好む。

わたしは食事にもちょっとしたこだわりがあり、料理は自分で取りたい派なので、気の利いた女子たちの料理を取り分けてくれる親切も苦手ときている。まあ、ありがたいはありがたいのだけど。

平日のランチはいたしかたないことがあるとしても、夕食についてはどちらかというと「ひとりでゆっくり」のほうが落ち着く。

その方がマイペースで食べることができるし、ひとに気を使わなくてもよいから。

野菜炒め

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高校生のころ、わたしは地元ではお嬢さんが通うようなミッション系の学校に通っていた。

そのとき、「食事する姿はひとに見せるものではない」と言われた気がする。たしかその高校を母校とする美人先生が言ったと記憶している。

ある日、その美人先生はある結婚式に出席した。その時のビデオに自分が食事をする姿が映っていたらしい。

なんとも動物的で、その美人先生は「醜い」と思ったそうだ。だから、淑女たるもの「食事する姿はひとに見せるものではない」という教えとなった。

それ以来、わたしは食事をする際、傍らに鏡をおいて、自分の食事をする姿をチェックしながら食事をすることにした。

もう30年くらい続いている習慣。

たしかに美しく食べるのは気を使う作業だ。

だれかと食事を共にするのはいいが、食べることに気を使いながら、会話をすることもどちらかというと苦手。

「食べる」ときは「食べる」、「話す」ときは「話す」がいいと思っている。

しかも、わたしは「ひとり好き」なため、ランチをとるときにも好んでひとりでいることが多い。

そんなわたしを「孤独者」だと思っているひとも多いだろう。


そんなわたしは当然「孤独なグルメ」なるテレビ番組は割とすきだ。

わたしの場合はテレビ番組とは違い、(こんなご時世なので)質素倹約グルメではあるが…。

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そんなわたしが、ある人たちを夕食に誘った。

久しぶりに地方へ出張するので、ご一緒する「奇跡のレジェンド」に「地元の美味しいものを食べさせてあげたい!」という思いからだった。

その「奇跡のレジェンド」は75歳となるというのに、バリバリ現役の研修講師。美しい肢体と日本人離れしたお顔。そして白髪交じりのショートカットがよく似合う。まさに「奇跡」の美魔女なのである。海外生活が長かったからなのか、どこか外国の淑女風。ちゃきちゃきしていてウィットに富んだ話も興味深い。

もしかしたら、「もう2度とこういうチャンスはないかもしれない」と思い、今回の研修の依頼主でもある気心の知れたかたにも同席してもらえるようにお願いした。

わたしがセッティングするなんて、これも「奇跡」なのだが…。

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バタバタと翌日の研修の打ち合わせをし、なんとか夕食には丁度よい時間にお目当てのお店に向かって出発することができた。

そこは地元でも有名なお寿司屋さん。お米が苦手なわたしは、お寿司というよりも美味しいお刺身を目当てに、ぜひ夜に来てみたいと思っていたお店だった。

繁盛しているお寿司屋さんなので混んでいるのではないかと心配していたが、幸いなことに平日の月曜日ということもあり、空いていてホッとした。

それぞれのお好みでお寿司やお刺身などを注文した。気心の知れた依頼主は炙り3貫を注文したのだが、その美味しそうな姿にひかれ、「奇跡のレジェンド」は注文の主を差し置いて、1貫つまみ食いをし、「美味しい!」と言って一皿ペロリと食べてしまった。

そこのお寿司は、ひとを差し置くほど美味しいのだ。

お米をあまり食べないわたしも「えんがわの炙り」2貫のうち、一貫を勧められて食べてみた。「美味しい!」十分な厚さと脂、炙りが香ばしさを添えている。これは美味しい!たまらない!

そのあと、豪華で新鮮なお刺身をたらふく食べた。わたしが誰かとの食事の席でこれだけ食べるのは大変めずらしいこと。

そして、昔話などで会話も多いに盛り上がった。年季の入った人々の入社したころのエピソードは大変おもしろい。

「なんてたのしい晩餐なんだろう!!」

あー、なんだか幸せ!

いい思い出が一つできた。

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誰かと食事をするのも、食事中に会話をするのも苦手なわたしにとって、久しぶりの「たのしい晩餐」となった。

ひとと一緒に美味しいものを食べるって、こんなに幸せだったんだ。

わたしは自分がこんなに幸せな気分になることに驚いた。

「ひとり好き」であることで、もしかして、わたしは今までいくつかの幸せな時間を逃していたかもしれないと思った。


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「孤独者の晩餐」も、やはり誰かと一緒であったほうが幸せな気分を味わえる。そして、たのしい会話を交えた方が料理もより美味しく感じることを知った夜だった。

そして、その美味しいお寿司を大のお寿司好きの夫にも食べさせてあげたいと思った。

こういう気持ちもわたしにとってはすごくめずらしい。

夫とも「美味しい」ことを分かち合いたいと思った。

年齢を重ねたからなのか、いろいろなことをペースダウンしたからなのか、わからないけれど、こういう気づきに感謝したいと思った。

いつまで生きられるかわからないから、これからも「たのしい晩餐」を大切にしたいと思った夜だった。

もしかしたら、その「たのしい晩餐」が「最後の晩餐」になるかもしれないから。

富山 敷居村

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本日も読んでいただき、ありがとうございました。

皆さんもぜひ「たのしい晩餐」を!

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