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ジョブ型だから、仕事を転々としやすいのかしら?

umiさんはよく女性の働き方についての記事を書かれています。

最近、ジョブ型という言葉をよく耳にするようになり思い出したことがあります。

日本が大好きな娘は米国の大学を卒業したあと、日本の会社に就職したくてニューヨークで開かれた日本企業のジョブフェアに行きました。「母娘旅のちょうどいい機会」と思い、二人でニューヨークに旅したのは今から15年ぐらい前のことです。

娘は大学ではアート専攻でした。卒業後はアパレル関係のテキスタイルデザイナー職を探していました。自作のデザインやイラストを携え、大学で教わったとおりに素晴らしいポートフォリオを作製し、日本企業の求める顔写真を貼った“履歴書”を持ってジョブフェアでいくつかの企業の面接に臨みました。

米国のresume(履歴書)は当時から顔写真は載せませんし年齢や性別、人種すら不要です。というより、尋ねてはいけないルールです。そんな大きな違いはわかっていたものの、せっかく持参したポートフォリオを日本企業の担当の人は見ようともしなかったことに衝撃を受けました。おまけに、新採用に際しては新卒かどうかが大切だからと説かれて大ショックを受けました。

そんな経験以来、日本の会社に就職したいと思っていた娘の夢はいとも簡単に捨て去られました。その後、米国老舗アパレルブランドにチャレンジし、最終面接まで残ったものの採用には至りませんでした。

その時の最終審査では、お題に沿って時間以内にデザインしプレゼンしたり、高級レストランでワインを飲みながらの会食面接、職務にある人たちとの交流や帰りにはたくさんのお土産までいただくといった感じだったようです。日本人として抱いていた会社の面接とはあまりに違っていたようで、娘はかなり興奮して帰宅したことを覚えています。

世界じゅうからリクルートされたデザイナーの卵たちと競合する機会を経て、甘かった自分に開眼し「このブランドで採用されるためにもっと勉強する」と言い出してアパレルデザインを勉強するために大学院進学を決めました。

アパレルファッションデザインのマスターを取得したあと、同会社に再チャレンジして合格。2010年に世界各国に支店を持つ望んでいたブランドのテキスタイルデザイナーデビューを果たしました。

娘のデザインした柄の服や小物を身につけられるのは幸せなこと。

もし日本の会社ならば、新卒という枠での給料しかもえなかったのでしょうが、米国では職種によりますが、その会社の職務に対しての対価なため、一般的な日本企業でもらう初任給に比べれば年齢に関係なく高額です。その後、仕事ぶりにあわせて昇給し年収もあがり、二十代後半にして州立大学の教授だった夫と同じぐらいの賃金になっていました。

ただ、せっかく夢を果たした娘も何年か勤めたところで、特に嫌な理由はないけど、なんとなく辞めたくなっていたところで、近所の別ブランドからのお誘いがあり、あっけなく転職しました。ただし、ヘッドハンティングのようなものなので、給料が下がることはありません。

しばらくそこで働いていましたが「前の会社よりも楽で退屈、これでは進歩がない」と思えてきたところで、再び、元の会社の子ども服部門から「戻って来ない?」と声がかかり、古巣に戻りました。

そして、2016年にトランプ政権誕生したあとは、保守カラーの強いオハイオ州から脱出してLAで暮らしたいからと2017年には会社を辞めてしまいました。LAの仕事を見つけてからならともかく、引っ越してから職探しするからと言って、夫婦揃って職なしのままLAに引っ越して行きました。

「なんとかなるっしょ」と言ってLAに向けて車で横断を試みる娘に、母としてハラハラドキドキでしたが、「四人の子連れで予定もなく日本を脱出してサモアでの暮らしを決行したわたしたち夫婦」に返す言葉などあるわけもありませんでした。その一部始終の行動を共にしてきた犠牲者(?)の娘にとっては親だからと、文句は言わせない自信もあったのでしょう。

親の心配をよそに、LAにたどり着きしばらくホテル暮らしのあとでアパートを見つけ、その後無事にアパレルデザイナーとしての仕事を獲得しました。それまでの職歴や肩書きは、彼女にとっての実力。意外とすんなり職も得られたのです。

そして、LA暮らしを順調に楽しんでいたのに、2019年に突如としてミシガンに本社のある大手スーパーのアパレル部門から「うちで働いてみない?」というオファーが舞い込みました。どうも、以前の会社の同僚がLAの会社で同種の仕事をしている娘を推薦したようです。

門前払いも失礼だからとりあえず話ぐらいは聞こうという姿勢で条件をきいたところ、まんざら悪い話でもない。そして本社が彼女の夫のホームタウンで彼の実家が近いというのも決め手になり、オファーを受け入れました。

青天の霹靂のように、2019年に娘夫婦はミシガンに戻ってきたところで、パンデミックに突入し、パンデミック中はずっとリモートでの仕事となりましたが、夫の癌発覚と闘病の最中、わたしとしては娘が近くにいてくれたことは幸運でした。

最低2年は勤めてほしいという契約が切れると、LAに戻りたい病を発症。スーパー母体の会社だったため、それまでの一流アパレルブランドとの仕事の仕方に比べるとどうしても性に合わなかったようでLAに戻ることを決断。すると元勤めていた会社が「戻っておいで」と言ってくれたので、職探しをすることなくすんなりとLAの古巣に帰っていきました。

娘の一連の動きを見ていると、ジョブ型のメリットが活かされていると感じます。職に対しての実績のある者は、同じ分野ならば即戦力になることがわかっているため、能力を使いたい会社が、相応の対価をその人材に払うことはあたりまえです。

日本では、せっかく学んだことや知識が活かされないまま、まず会社の一員になることを求められることが多いようですが、専門分野においては、ジョブ型が理に適っているように思います。

そうなることで、上がらないと言われている賃金も少しは上がっていくのではないでしょうか?










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