見出し画像

note2周年記念日に思うこと

ちょうど2年前の今日、2020年12月1日(米国時間ね)に初めてnote投稿をしました。夫がコロナ禍でステージ4の大腸がんを宣告され、七ヶ月の闘病後に他界した直後のことです。

「人生お先真っ暗」わたしの心は闇の中にありました。

戸惑うばかりの気持ちをなんとか沈めなければと過去を振り返り、自分を見つめ直したり将来を考えたりと、心の整理のために始めました。

こうして、振り返ると2年の歳月でわたしは大きく変われたと思います。noteに記してきたこれまでの2年間の記事は、闇から少しずつ脱出していく軌跡となりました。

今でも夫がいない悲しみにふいに襲われることはありますが、2年前のようにずっと沈みメソメソすることはなくなりました。わたしにとって記す時間は、心と向き合う時間であり過去の自分と対話する時間でもあったので、思い出を辿りつつ夫と語り続けることができました。

記すために過去を振り返り、たくさんの思い出にひたる時間をもつことで、「あんなこともあった、こんなこともあった」と溢れ出る記憶の中で、たしかに経験してきた幸せな時間を噛みしめることができました。

自分のことながら「なんてドラマチックでおもしろい人生を歩んで来たのだろう」と。

当時気に留めなかったことにも意味があったことに気づき、たくさんの過去の出来ごとに対してより感謝の気持ちが湧いてきました。

記すことの効果は絶大でした。

あたりまえにあったことが実はとてもありがたいこと。

笑顔で過ごせる日々こそが宝の時間だったこと。

驚くような偶然がたくさんあり、そんな偶然に支えられて今があること。

シアワセな時間は毎日を味わうことでたくさんみつけられること。

泣いた日々こそ、のちにかけがえのない思い出の時に変わること。

憎しみや苦しみと思っていたネガティブな記憶にも意味をみつけやさしくなれること。

伴侶を失いひとりではもう何もできないと思っていたけど、あらたな自分の始まりだと気づけたこと。

困ったとき、辛いとき、わたしにはたくさん手を差し伸べてくれる人がいること。

「歳だから」を理由に人生をあきらめる必要がないこと。

わたしのまわりにいる人のシアワセは自分のシアワセに繋がっていること。

心に嘘をつかず、自分を信じて死ぬまで楽しい時間を味わうことが何よりたいせつなこと。

noteに記す時間から得たポジティブな発見が、あのときから2年経ったわたしを支えてくれています。

2年前には三日坊主への不安を抱えてのスタートでしたが、自身の心を育て、支えてくれる「記す時間」をこれからも細々と楽しんでいこうと思っています。

とまぁ、かなり自分勝手な理由でここに書いていますが、米国ミシガン州の片田舎から発信しているアラ還没イチの拙い文章を読んで下さっている皆さま、あたたかいコメント下さる皆さんにも、2年の節目にあらためてありがとうを言わせて下さいね。😘


★追記
noteデビューしてから半年のときに、わたしに“ライフエディター”という肩書を授けてくれたのはゼロの紙さんです。この肩書きに励まされてきたことも付け加えておきます。

自分の人生はいくつになっても自分自身で編んでいくものなのだとお告げをもらったような気持ちになれたのです。


2年目の節目に↓プロフィールも少しアップデートしておきました


🌺 共感、応援いただけるならとびあがって喜びます。 そして、その喜びと感謝を胸に次のどなたかに恩送りします。