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長年連れ添った夫が死んでしまった&自己紹介

お互い、平均寿命ぐらいまではまだまだいっしょに生きると思っていたのにだ。コロナパンデミックと同時ぐらいに夫は癌宣告を受け、7ヶ月間の闘病の末にこの世を去った。わたしが聞き取った最期の言葉は「まだいっしょにいたい」だった。「それならいっしょに居てくれよ!」まだまだやり遺しがたくさんあることはわたしがいちばんわかっていたよ。

無念さがわかるだけに、残念で残念で仕方がない。初めて出会ってから43 年、いつもいつもいっしょに居た人がとつぜん消えてしまい、これからどうしようか?と戸惑っている。それでも、前を向いて生きていかなければならないのだから、これまでに経験したありとあらゆることを思い出して、過去の自分と向き合い、まずは心の整理をしようと思う。

なぜって、わたしはこれまでに見たこと、経験したことでできているのだから、自分を知らなければ、未来のプランなどたてられるはずもない。

見えなかったこと、考えなかったこと、あとでわかったこととか、きっときっとたくさんあるはずだから、今のうちに自分をおさらいして、わたしがどういう経緯でわたしになったのかを記しておこうと思う。

自己紹介

愛知県出身

16歳の時に夫に出会い、22歳で結婚。

23歳で娘誕生。同時に夫の提案で田舎暮らしを始める。その後ぽんぽんぽんと3人の息子が加わり、犬、鶏、アヒル、亀、うずらなども飼って田舎暮らしを12年堪能するも、田舎ならではの学校管理教育に疑問を抱きはじめ日本脱出を決行。

当時話題だった『パパラギ』に魅せられ、「そうだシンプルライフにチャレンジしよう」と、行き先は南太平洋に浮かぶ島国サモアで決まり。釣り三昧、ビーチ三昧の4年間を過ごす。

子どもたちのよりよい教育環境を求めて2001年に夫の学生ビザで家族みんなで米国に渡る。決まったシゴトもなく、駐在でもなくすべて自前なので米国で生き延びるのはそれなりにたいへんだった。(乗りかかった船から降りられない状態)

夫、博士号を取得の後、州立大学の教授に。娘、息子たちも州立大学、大学院を卒業。4人ともミシガン州在住。それぞれが好きな道に進み職についている。

卒母の後、妻に戻りここ数年来は夫婦水入らず生活を堪能していたところで2020年コロナパンデミックに突入、と同時に夫がステージ4の癌と診断。

コロナ禍での闘病の末、10月7日夫逝ってしまった。←イマココ

自己紹介として書くとなんだか支離滅裂だな。

ほんとうにいろんなドラマがあった。良かったこと以上に反省も多いけど、人の死があまりに身近に感じられる今だからこそ、自分も死んじゃう前に書き残しておかなきゃ。

こんなバックグラウンドを持つわたしだけど、自分探しのアウトプットの場としてnoteを活用させてもらうことにした。三日坊主にならないことを願いながら初回はこのへんで。

それにしてもこの noteとってもサクサクで使いやすいネ。







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